研究授業のあとはいつもお世話になっているよしやすさんと食事をしながら談笑。そのときに、先月参加した北九州JALTでの漆原朗子先生のご発表に話が及んだ。漆原先生は北九州の方言に焦点をあて生成文法的説明を試みているとのことで、「~しとう」とか「~しよる」といった地元の人間になじみの言葉を用いて言語学的に解説をされたのだ。
そのときにわたしが気づいたこと。
和文英訳において「~している」が重要なポイントになることは非常に有名である。ただし、「~している」は「いま行っている」という意味だけでなく「状態」を表すことがある。という説明に留まっていることが多いのではないだろうか。
例えば、I am playing tennis now. 「いまテニスをしている」に対して、
I know his name. 「彼の名前を知っている」といったところだ。
これらに加えて「習慣的動作」については指摘されることも多いだろう。
例えば、I work for Sony. 「ソニーに勤めています」である。
2つ目のポイントは個人的に間違いのツボだ。若いころ、飲み会の席で外国人に「どこの学校に勤めてるの?」と聞かれて、うっかり進行形で答えたら「いま君は酒を飲んでいるんじゃないの」と笑われたことがある。
さて、今回のわたしの気づきは「~している」は完了の意味を表す場合があるということ。
例えば、「手紙は着きましたか」に対して「着いています」
これは自分にとって長い間の盲点であった。まさに目から鱗がはがれた感じである。というのも、「~が増えている」という作文で、現在進行形、現在完了進行形、現在完了形の3種が正答として提示されているのを見て違和感を感じてきたからだ。この点について、うまく説明できないでいたのである。
関連する興味深い表現として「死」に関するものがある。「死んでいる」は意味的には完了であるが、He is dead. で表現されよう。
また「死んだ」については、コンテキストによって意味が変わってくる。
「その犬は今朝死んだ」であれば、The dog died this morning. であろう。
しかし、「あの犬どうしてる?」「あれならもう死んだよ」なら、The dog is dead. である。
すなわち、「死んでいる」にも「死んだ」にも完了の意味があり、それらを英語で表現する場合には形容詞を用いるということになる。
さらには、同じ完了のニュアンスを持っていても「死んでいる」は、その主体が話者の目前にある場合(つまり死体が目の前にある場合)に使い、「死んだ」はその主体が話者の目の前にない場合に使うのだということに気づいたのである。

そのときにわたしが気づいたこと。
和文英訳において「~している」が重要なポイントになることは非常に有名である。ただし、「~している」は「いま行っている」という意味だけでなく「状態」を表すことがある。という説明に留まっていることが多いのではないだろうか。
例えば、I am playing tennis now. 「いまテニスをしている」に対して、
I know his name. 「彼の名前を知っている」といったところだ。
これらに加えて「習慣的動作」については指摘されることも多いだろう。
例えば、I work for Sony. 「ソニーに勤めています」である。
2つ目のポイントは個人的に間違いのツボだ。若いころ、飲み会の席で外国人に「どこの学校に勤めてるの?」と聞かれて、うっかり進行形で答えたら「いま君は酒を飲んでいるんじゃないの」と笑われたことがある。
さて、今回のわたしの気づきは「~している」は完了の意味を表す場合があるということ。
例えば、「手紙は着きましたか」に対して「着いています」
これは自分にとって長い間の盲点であった。まさに目から鱗がはがれた感じである。というのも、「~が増えている」という作文で、現在進行形、現在完了進行形、現在完了形の3種が正答として提示されているのを見て違和感を感じてきたからだ。この点について、うまく説明できないでいたのである。
関連する興味深い表現として「死」に関するものがある。「死んでいる」は意味的には完了であるが、He is dead. で表現されよう。
また「死んだ」については、コンテキストによって意味が変わってくる。
「その犬は今朝死んだ」であれば、The dog died this morning. であろう。
しかし、「あの犬どうしてる?」「あれならもう死んだよ」なら、The dog is dead. である。
すなわち、「死んでいる」にも「死んだ」にも完了の意味があり、それらを英語で表現する場合には形容詞を用いるということになる。
さらには、同じ完了のニュアンスを持っていても「死んでいる」は、その主体が話者の目前にある場合(つまり死体が目の前にある場合)に使い、「死んだ」はその主体が話者の目の前にない場合に使うのだということに気づいたのである。
