不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

韮山反射炉発掘調査現地説明会

2019-10-21 00:24:00 | 日記



「韮山反射炉の保存・整備・活用に関する計画」に基づいて
調査研究推進を目的として5ヶ年計画がスタート。

もちろん世界遺産登録のためにも
それ以前にも
何度か発掘調査は実施されているけれど、
今回は大砲製造に関わる産業システムの解明と
地下遺構や周辺関連施設の情報収集がメイン。

2019/10/31まで行なわれている発掘調査の
説明会が行われたので、
いそいそ出かけてきた。
想像どおり楽しかった。

明治41年・42年の陸軍による修復工事の際に
大規模に整地された後がはっきり確認できる地層。


陸軍によって砂利を入れた後も
今日に至るまで度々砂利を入れているので、
江戸末期の建設当時の地表から
60センチ以上も埋め立てられていることもわかる。
このおかげで地下遺構が風化せず保存されているわけだけど。

今は煉瓦剥き出しになっているけれど、
漆喰で覆われていた時代もあった反射炉。
その漆喰が剥がされたり、
一部損壊した煉瓦のかけらを埋めるために
北炉西側に大きな穴を掘ってそこにまとめて埋めた形跡も。



この穴からは一尺の太さの木材も見つかったそうで、
今後の詳細な調査が必要だけれど
周辺の関連設備が撤去された時の廃材じゃないかと。
今は炉と煙突しか残っていない反射炉が
かつては革命的な工場施設であったという
往年の姿をより具体的に想像できる材料になるね。

今回新たに発掘された耐熱煉瓦。
河津梨本で作られたという耐熱煉瓦は
全部で26000個使われているけれど、
この煉瓦は一番内側に使われていたと思われ、
表面に溶解した銅が付着して
うっすらブルーに変色している。


創業当初こそ銑鉄を使用していたけれど
稼働後半期には青銅を使うことが多かったから。

ちゃんと鉄も溶かせたという証拠も。


漆喰も。


こういう出土品って
ちゃんと説明を聞きながら観察すると
とても面白い。
自分ひとりで見ると、ただの石ころでしかない。





市内にも被害をもたらした台風19号だけれど
奇跡的に反射炉は無事だった。
でも、年表を見ると
建設時から稼働停止して保存されていた1900年代前半までにも
頻繁に風雨の被害にあっていることもわかる。
特に建設時期の1800年代半ばに
よくめげないで復旧と再建を繰り返したなぁと感心する。
当時、国防の重要さと西洋式軍隊の必要性を
強く感じていた江川英龍の遺志が継承されていたからこそ、なのだろうね。