目の前に海という絶好のコンディション。
2005年8月に起きたこんな事件。
あれからほぼ一年。ようやく修復完成。
こんな仰々しい告知をしてました。
この修復費用の一部を捻出するために
今年2月にはトルナブオーニ界隈の有志が創めた
アソシエーションが「カーニヴァルの食宴」を開催して
一夜にして11000ユーロを稼ぎ出したのも記憶に新しい。
彫刻の壊れた右手の部分のみを囲うようにして組まれた足場。
重力に逆らって重い大理石の塊を接着しなくてはならないため
足場の鉄の部分は大理石の支えの役割も兼ねていたよう。
こうしみじみ観ると、
そしてミケランジェロのダヴィデ像と見比べると
確かに「不恰好」。
ミケランジェロには
「なんてたくさんの大理石を無駄にしたんだよ」
とコメントされてしまった彫刻ですから。
それでも1500年代マニエリスムの傑作のひとつといわれる噴水。
これ以上災難が降りかからないことを祈るばかり。
今はそうした被害を未然に防ぐためもあって
噴水の周りには簡素な鉄柵が設けられて
近づけないようになっていますが
1500年代終わりには
もちろんそんな鉄の柵は存在しませんでした。
そして当時はこの優雅な噴水も
一般市民にとっては都合のよい洗濯場だったのです。
今でもこの噴水の右手後方
パラッツォ・ヴェッキオの壁には石碑が残っています。
そこには何が書いてあるかというと
「BANDO DEI SIGNORI OTTODI GUARDIA E BALIA
CHE NESSUNO ARDISCA INTORNO A
QUESTA FONTE A BRACCIA 20
VARIE SPORCHEZZE DI SORTA ALCUNA,
LAVARE IN ESSA CALAMAI, PANNI O ALTRO,
NE' BUTTARVI LEGNAME O ALTRE SPORCIZIE,
SOTTO PENA DI DUCATI QUATTRO
E DELL'ARBITRIO DI LORO SIGNORIE」
簡単に要約すれば
「この噴水の周囲半径20ブラッチャ(約12メートル)で
何人もインク壷や洗濯物などを洗うことを禁ず。
また材木やゴミを投げ入れて汚してもならない。
違反者には4ドゥカーティの罰金を科す。」
各個人の家に上下水道がまだ普及していなかった時代。
そんな時代の名残が
観光地のど真ん中にポツリとあるわけです。
ある意味感慨深いです。
現在この石碑をよく観ようと思ったら
鉄柵の中に入らないと確認できないかも。
この変な石碑見たさに鉄柵を越えるのはやめましょう。
夏のイベント会場として人気の
Forte Belvedere。
今年もいろいろなイベント目白押しのようです。
丘の上だからきっと風通しもよくて
夏の夜イベント参加しながら涼むのには
ちょうどよいのだけれど
さすがに歩いていくには体力的に難しい。
そんなわけで無料シャトルバス運行。
Viale Giovine Italiaのところにある
Murateのパーキングエリアから出発するシャトルバス。
往路 20:00、20:30、それ以降は15分おきに出発
最終便は24:00
復路 20:15、20:45、それ以降は15分おきに出発
最終便は24:15
別にイベントに興味がなくても夕涼みに行きたい!
イベント情報はこちらを参照
Forte Davvero
今年はモーツアルト年で
ヨーロッパのあちこち盛り上がってますね。
モーツアルトはその生涯で3回のイタリア旅行をしていて
初めてイタリアの地を踏んだのが彼が14歳のとき。
そのときにはフィレンツェにも訪れていて
若き天才はドゥオーモ近くに宿泊したそうです。
今は既にホテルの姿など跡形も残っていませんが。
街中の喧騒に消え入りそうな古い建物がそれ。
フィレンツェの中央駅とドゥオーモを結ぶバス通り沿いの
MelBOOKSHOPのはす向かいにある建物。
普通に通り過ぎちゃうところですね。
2006年4月までは
「そうだよ、今年モーツアルト年だよ、何とかしなくちゃ」
ということで簡易のプラスチックプレートが
取り付けられていたのですが↓。
あんまりにも格好悪いので
早く石碑がつかないものかと待っていたのです。
ようやくきれいな石碑が取り付けられましたが
街行く人はあまり気に留めていないみたい。
1770年のこの初イタリア旅行のときに
天才的なピアノのエキシビションをしたモーツァルト。
そのときに弾いたといわれるピアノは
今でもフィレンツェに残っています。
メディチ家からロレーナ家に受け継がれた
Poggio Imperialeの別荘にこっそり隠されています。