超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ロルカ・ダリの原郷</span>

2009-11-18 18:40:34 | 無題

「ロルカ・ダリ、裏切られた友情」は心に突き刺さる本である。話の大半はロルカとダリの熱い青春グラフィティである。ダリが地元のカーニバルの装飾を担当してその幻想的な装飾に子どもたちが歓声を挙げた、とかロルカ脚本の舞台「マリアナ・ピネダ」にダリが斬新な意匠を凝らした舞台装置をデザインした、などの二人の蜜月期が本の大半を占める。彼らのマドリードの学生館の恵まれた芸術的空気は特筆に値する。学生と芸術家や詩人がともに集い、詩の朗読をし、徹夜で議論する。学生にとっては理想の環境である。彼らの中でもロルカとダリの存在感は特別なものがあった。ともに早熟であり、才能とアイディアにあふれ、学生たちの中心となった。
すでに奇抜な服装で奇才ぶりを発揮しつつあったダリと、内向的だが情熱的でフォークロア的なものを作品に結晶させたロルカ。ダリはのちのシュルレアリスム以前のダリであり、ロルカは既に私たちの知る詩人ロルカであった。なぜダリはロルカを裏切ってブニュエルとともにロルカらを揶揄する映画「アンダルシアの犬」を作るに至ったのか。パリのシュルレアリスムに感化されたダリは過去を全て清算する熱意に駆られた。ダリの中にはロルカの早熟さ、純粋さに対する嫉妬があり、ともに若き熱狂の時代を過ごした者の近親憎悪がある。ためらいがちなロルカのシュールなデッサン、同性愛的な傾向、有り余る才能があまりにフラジャイルであり、攻撃を誘ったのである。
映画「ロルカ暗殺の丘」に登場するロルカは少年にとって地元の英雄であり、魅惑的な年長者だった。夢みがちなロルカの作風は、フランスのシュルレアリスムの悪の要素はないが、充分シュールであり、しかも有機的に結びついたことばだった。ロルカは内戦で偏った政治党派に標的にされ、銃殺された。ロルカの死に対してダリの反応は分裂している。ロルカは自分が捨て去った過去の自分の分身なのだから。ロルカは生前民俗演劇団バラッカを結成して、車で巡業したりした。ロルカのそのようなバルトーク的探究者としての側面は、大いに評価されるべきところである。翻訳である所や、自前のシュールな作風のため、日本では親しみの持てない読者も多いロルカであるが、アンダルシアのグラナダ文化、とりわけジプシー文化に触発された幻想的な作品は、純粋なグラナダ文化を生のまま伝えるものではないにせよ、彼のフィルターで濾過された、ロルカ的グラナダを伝えて余りある。文化の再創造に関して言えば、局地的素材を自由に裁断した新しいフォークロアに可能性が開かれているのは、バルトークやコダーイのフォークロア的素材の再創造の例を見ても明らかだろう。



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<span itemprop="headline">「賢者の石」と意識の変容</span>

2009-11-13 13:14:10 | 無題

アウトサイダー・オカルト評論家コリン・ウィルソンの小説「賢者の石」はおもしろい。
莫大な遺産を貰い、友人リトルウェイとともに前頭頭部葉にニューマン合金を埋め込んで天才になった主人公レスターが、本を読みまくり、音楽を聞き漁り、歴史の謎を解きまくる。ウルトラ・ハイな主人公レスターである。
レスターにはいかにして死なずに済むか、という関心ごとがある。研究の結果、多くの恍惚を味わった芸術家、作家、作曲家は総じて長生きだと思うに至る。脳科学の成果を利用して、脳に超合金を移植して、ハイスピードで進化してしまう。進化したレスターとリトルウェイは、あらゆる文化を吟味する。彼らによれば哲学史を透視したのはヤスパースであり、最も恍惚の高みにある音楽はフルトヴェングラー指揮のブルックナーであり、またフレドリック・ディーリアスである。彼らは次第に過去が透視できるようになる。古代の遺物や原始時代の石器を見ただけで、その時代の様子がありありと目に浮かぶのだ。その結果不死の秘密を知った古きものどもが人類の歴史を操っていたことに気づく。
おもしろいのはコリン・ウィルソンが独学で哲学やオカルトを読みまくった結果、知恵熱が出て、思考が先走ってほとばしり出て止まらないという個人的体験が、このSF小説に詰め込まれているということだ。また脳手術でオカルト的知見を得るレスターとリトルウェイはSF版のシャーマンだということだ。エリアーデの「シャーマニズム」には額に水晶を埋めてオカルト的知見を得る例がいくつか書いてあるが、高嶺剛の映画「ウンタマギルー」にも同様の場面があり、発想が似ているのである。プリミティブな知恵が居場所を失った現代イギリスでシャーマニズムを復権させるために考え出された苦肉の策が、この脳手術による進化なのである。おそらくコリン・ウィルソンはジョン・C・リリーみたいに隔離水槽に入って薬をやって超人ハルクのようになりたかったのだろう。現代は再魔術化の時代と言われている。カタブツの自我を吹き飛ばしてヒューマノイドの可能性を極めたい人が増えているのではないか。今は古い呪術にすがれない再魔術願望のある人が個人個人で神話を書いている、という感覚ではないか。その意味でバロウズやティモシー・リアリーやジョン・リリーが身近な時代になったと言えそうだ。



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