超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">日々雑感、読んだ本、期待の大曲</span>

2016-09-25 23:50:03 | 無題

ヨーロッパの民間信仰の本を読み、読み疲れたので気晴らしに近郊のストアに行く。
夏物のジャケットが値下げしていたがサイズが合わず買えなかった。
そこで隣町のユニクロ見るが夏物のジャケットはもう扱っていない。
ストアでモスグリーンのトレーナー1900円+税を買う。
毎年この時期買いそびれた夏物のジャケットを探して奔走する。
私の理想の夏物のジャケットは
①紙みたいに薄い
②色はベージュ
③サイズは大き目
④テーラード・ジャケットの形をしている、である。
帰ってまたヨーロッパの民間信仰の本を読む。
来週仕事が入って集中的に読書ができない。
カール・シューリヒト・エディションという大型ボックスが出る。
ヘンスラーの20CDや10CDをすでに持っている人には新たに買う必要がない。
ヘンスラーもコンサートホール・レコーディングスもデッカ・レコーディングスも持っていないなら、この際一挙に買うのもまた良しである。
今日は夜、都まんじゅうを食べ、カモミールティーを飲んで一休み。
陽水のハンサムボーイを聞いて、エミリーという曲のサビの部分がAGFのコーヒーの広告に英語で使われていたことを思い出す。
この広告コーヒーの匂いを嗅いでいるのはデヴィッド・バーンなのだが、英語でエミリーを歌っているのは井上陽水本人なのである。
皆、英語だからデヴィッド・バーンが歌っていると勘違いしているが、声を聞けば、陽水本人だと判る。陽水は歌う見人という英語のテープを出していて、その中にこのエミリーの英語版も入っていると思ったら、入っていなかった。
一月にピエタリ・インキネンのブルックナー8番を聞きに行く。
若手の大曲演奏、期待大である。

冬の夜猛威を振るう夜の魔もそっと聞き入る大曲の渦



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<span itemprop="headline">埋もれていたものがザクザク見つかる</span>

2016-09-18 21:59:39 | 無題

今日はiMacを箱に詰めてエコゆうパックでアップル社に送る。
iMacの裏から紛失した『構造と不幸』という本とギリシャで買ったイコン出てくる。
『構造と不幸』は最近読みたくて富山県の古本屋で807円で買って取り寄せているところだった。
木曜発送だが連休で届かなくて火曜に届く予定の本である。
今日は『構造と不幸』熟読した。
ヴィルヘルム・ケンプの平均律クラヴィーアが止まったのも気づかなかったほどである。
本を二重に買ってしまうという不幸。
またヘルマン・ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』も友人に勧められた愛読書だが最近見かけなかった。
これはヘッセの本棚の裏に押し込まれていて見つかった。
今日は失せものが見つかる日だ。
だが本が幾重にも重なって何もかも見当たらなくなるのは私の無精癖のせいだ。
時期によって必要な本が違って使ってない本は下へ端へと埋もれてゆく。
西域には埋蔵経という考えがあり、埋もれていたお経が必要な時代になると不思議と見つかるという話だ。『構造と不幸』とヘッセとギリシャのイコンは私の部屋のそれかも知れない。
私の部屋は不思議な磁場のせいか物がよく無くなる。
そして必要なときに本の山から出没して今これを読めと信号を発するのである。
まだ埋もれているバンコクの仏像が見つからない。
また必要なときに、本の脇から出てくるかも知れない。
CDもまた同じように循環している。
今、表面にあるのはニキタ・マガロフのショパン独奏曲全集とエミール・タバコフのマーラー全集とグレン・グールドのオリジナル・アルバムズである。
ルタオのマアルという染みチョコを食べて、オールフリーを飲んで憩っている。

大切な物がなくなる磁場の部屋埋もれ尽したお宝と遭う



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<span itemprop="headline">ショルティ売却、神戸屋でアヒージョ</span>

2016-09-11 18:29:44 | 無題

最近街に出てないので中古CD店に行く。
ゲオルグ・ショルティのワーグナーの単売10点と
デヴィッド・ジンマンのグレート・シンフォニーズを査定してもらう。

40分待った。欲しいCDもあったが我慢我慢。
ワーグナー6000円とジンマン2450円で8450円で売れた。
ジンマンは新品同様にしては安かったがショルティは意外と売れた。

帰りに母の誕生日も近いので昔母と行った神戸屋レストランで夕食を取る。
鶏肉と茸のアヒージョとパンとコーヒーを食し、母を偲ぶ。

アヒージョってしょっぱい油漬けみたいなのだけどパンによく合う。
昨日は難解書を読み終えてリヒャルト・シュトラウスの
メタモルフォーゼンとシューリヒト&ハーグフィルのブルックナー7番を聞いた。

私の難解書紀行もまだ先が長いのである。

ローマン・コフマンのショスタコーヴィチや
キリル・コンドラシンのマーラー選集を聞いて長旅を乗り越えたい。
コンドラシン、エミール・タバコフ、ハイティンクその他で
マーラーを浴びるほど聞きたい。

最近いのちのことば社の良書を見つけ喜んでいる。

押し入れの聞かなくなったショルティを残さず売ってアヒージョを食す



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<span itemprop="headline">ギュンター・ヴァントやお気に入りのCD</span>

2016-09-04 17:46:04 | 無題

今日は難解書を読み終えて、ギュンター・ヴァント&ベルリンフィルの未完成とグレートを聞く。
友人に同じCDを何回も聞くところがいいと言われた。
と言っても毎回新しいCDを紹介することもできないので、やむなく愛聴盤について繰り返し書く。
ギュンター・ヴァント&ベルリンフィルの未完成とグレートは私が初めて聞いた交響曲なのである。
クラシックとは何かまるで知らなかった私が、店頭で手にしたCDがこれ。
その当時の流行盤だがこれが私には大変好印象だった。そのうち「クラシックのツボ」という本を買って、鈴木淳史が音楽の構造が何かわからせてくれる名盤。これを聞いておっかさん、これ宇宙ぜよと思わず叫んだという話も印象的だった。
ギュンター・ヴァントの厳格な造形美が私には妙にしっくり来た。鈴木淳史ではないが、おっかさん、これ宇宙ぜよ、と唸ってしまう。
毎日の潮流の間隙を縫って、昔聞いたギュンター・ヴァントの未完成とグレートに回帰できる幸せ。
ふんわりスフレを食べてワタボクコーヒーを飲み、ギュンター・ヴァントで一息である。
ギュンター・ヴァント・ライヴと言うボックスセットにオリジナルジャケットで収録されている。
ギュンター・ヴァント・ライヴは私の宝物のひとつである。
ブルーノ・ワルター・エディションとギュンター・ヴァント・ライヴは私のボックス二強である。
ブルーノ・ワルター・エディションを買いそびれた人はヴェニアス社のブルーノ・ワルター・コレクション30枚組でも十分満足が行くと思う。
私のブログは音楽の芸術的価値よりもあれがお買い得とかそういう情報が多いとも言う。
安くて良いCDスレみたいだと言われたことがある。芸術の良し悪しに踏み込めないのはお恥ずかしいが、勧めているCDの芸術的価値は言わずもがなである。
ただ、自分が安く手に入れたCDの情報を音楽ファンと共有したいのである。
今ヴェーグ四重奏団の芸術がアマゾンで安い。英語で打たないと出てこないけど、安い。
そろそろ夕方である。今日の疲れを癒して明日に備えたい。

厳格な造形の美が重厚な宇宙となって部屋に広がる



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