超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

白熱の雑談バトル

2020-06-30 07:21:49 | 無題
友人と話す。
原書欲に燃えるのはいいけど、象牙の塔の住人になってはいけない。
ドイツ観念論の哲学者とか、訳文で読んでさえ、何が言いたいか判らない。
原語で一生費やすのはもったいない。
スウェーデンの田舎に卒業旅行に行ったアメリカ人たちが地元の
習俗の謎に触れて殺されていくホラー映画を見た。(「ミッドサマー」)。
萩尾望都と竹宮恵子の青春ドキュメントで漫画家に憧れて上京する話を読んだ(「マンガ青春記」)。
小池都知事の人生を辿る暴露本(「女帝」)を読んだ。
人間の人身御供的な側面は真相は闇だし、直面しない方がいい。
それがエロチシズムだとか言うとバタイユの露悪趣味になっちゃう。
スピノザが何でユダヤ教でもキリスト教でもない独自の神学が書けたのか謎だ、
自然は合目的に作られているというのはカントの考えじゃなくて、
反省的判断力はそう考えてしまうという説だ、という区別はほぼ全員気が付いていない。
アイディアも湧いて来るし、頭も日記的な所も冴えてるから、そのうち伸びる。
これからも発展形だ!と励まされる。
翌日へとへとだが、いろいろ聞けてよかった。

お互いに気心知れた友人と学を交えた雑談で過ごす
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北の梅雨のデイライフ

2020-06-29 07:05:00 | 無題
きのうも夕方、専門店街まで行って、ベーカリーで珈琲を飲み、
2階で服をみて、バスで服飾量販店行き、
何も買わずに帰る。
インターネットでイギリス経験論など買う。
明後日辺り、まとまって箱で来そうだ。
最近の楽しみは、ベートーヴェン・マスターワークスの
プラケースの大箱を聞くこと。
ラファエル・フルーベック・デ・バルゴス指揮の英雄や
運命や7番のゆったりした落ち着いた演奏。
メディチ四重奏団のイタリア的な明るい演奏。
イェール四重奏団の驚異的な闊達な演奏。
ジョン・リルの丁寧な音遣いで上手に間を取ったピアノソナタ。
ベルリン交響楽団のきれいにまとまった序曲集、などより取り見取り。
聖ベルナルドの説教集や、カントの三批判書やスピノザも手配した。
でも、テレワークがあるし、当分熟読できそうもない。
ビートルズの全アルバム、リマスターでほしい気がするが、
財布がそこまで回らない。札幌の雨を梅雨というのか不明だが、
梅雨のような気候の中、鋭気を養っている。

音楽や本が彩る日常が夢の記憶を思い出させる
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夏至の頃生まれて祝う

2020-06-26 06:04:00 | 無題
きのうはベートーヴェンのプラケースの大箱(格安)来る。
交響曲の指揮者がばらばらでかなり不満。
リボル・ペシェクの2&4とケーゲルの第九以外は
知らない人ばかり。田園はジェームズ・ロッホラン。
その他3&8,5&7はラファエル・フルーベック・デ・バルゴス。
何だ、この無名の指揮者の寄せ集めは。よほどの事情通のマニアか、
逆に全く指揮者など気にしない初心者は喜ぶかも知らないけど。
全曲、リボル・ペシェクで統一してくれれば、欣喜雀躍なのに。
そうでなくても、フェレンチークとかサヴァリッシュとかで
統一できそうなものであるが。
だが、聞いてみると、突出した演奏はないが、安心してきける、
落ち着いた標準的な演奏で曲を知るうえで、問題はない。そういう狙いか。
ピアノソナタは、全曲、ジョン・リル。
この人、マニアでは評価が高い。
聞いてみると、間の取り方、音の置き方が丁寧で、
実にじっくりと心を込めて弾いているのが分かる。
これは、掘り出し物だった。
四重奏曲は前半メディチ四重奏団。これもマイナーな団体で
中古で格安で売っているが、なかなか良い演奏と評判である。
後半は、イェール四重奏団。これはなかなか珍しい演奏。
夕方、フルーツ・ショートケーキ食べ、
夜は、近くの洋食屋さんでニョッキとハンバーグとノンアルを
食し、夜もジョン・リルのピアノソナタ聞いて終わる。

格安の大箱セットのつまみ食い夜はニョッキでまずは乾杯
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カントの理解を整理する

2020-06-24 00:29:38 | 無題
カッシーラーの「カントの生涯と学説」読み終わる。
総じて、カッシーラーは頭が良すぎて細部にこだわり、根本的なカントの考えの見取り図を取り逃がしている。
カッシーラーの説明より、引用されるカント自身のことばのほうが、明快なのである。
まず、カントがコペルニクス的な転回と言っているのは、
認識が対象に先立つ、ということである。
ひとがものをそれと分かるのは、ひとが生まれつき持っている、ものを知る受け皿(感性、理解力による認識能力=純粋理性)が
元々あるからである。
ものをそれと分かる生まれつきの受け皿の第一は、空間と時間という受け皿であり、
それに従って理解の枠が成り立っている。
その受け皿を通じて、感覚された対象がそれとして受け取られるのである。
現れとしての物の背後に、物それ自体があるかどうかは知りえない。
また、ひとの理性は、世界は有限かとか、神はあるかとか、魂はあるかについては、人間の限界上知りえない。
ただし、そうしたことを考えてしまうのが、ひとというものである。
実践理性の話からいえば、内なる理性の声は、「どんなときでも正しいと思えること」をするように訴えてくる。
また、ひとは自然は合目的に作られていると判断力によってみなしている。本当に自然は合目的かは別問題である。
ただし、ひとの理解の枠を超えて、美しいものとか、自然への畏れがひとを捉えてしまうことが多々ある。

今書いたことはこれまで学んできた要諦だが、改めて「世界の大思想」で確認してみたい。

どのようにその対象を受け取るかその受け皿は生まれつき有る

コメント (3)
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スピノザの伝記を読む

2020-06-22 17:48:23 | 無題
夜、仕事が山積みのなか、止むに止まれず「スピノザの生涯と精神」貪り読む。
友人の勧めで自分の神についての考えを漏らしたところ、ユダヤ教から破門された。
ハーグに隠居して、44歳ぐらいで亡くなった。天体望遠鏡のレンズ磨きで生計を立てていた。
レンズの埃が持病の肺病を悪化させた。ひどく貧しいわけでなく、年金を公爵から受け取っていた。
ユダヤ教徒からも、デカルト主義者からも、キリスト教徒からも、理解されなかった。
スピノザの擁護者から批判者まで数人の人が書いた伝記と学説。
スピノザはモーゼの教えや律法を、便宜上の宗教だと考えていた。
友人に対しては、神が物質でないとは聖書に書いてない、とか聖霊、ことに天使の
ビジョンは、夢や幻に現れることは事実だが、神の本質ではないと漏らし、
ユダヤ教の聖職者から破門にされ、師匠のティレイルの怒りを買った。
主著「エチカ」の要諦は、
神はこの世を超越しておらず、人格神でも作り手でもなく、この世に様態として広がっている。
神は時間的にも空間的にも無限な唯一の実体であり、自然は神の変容体で、
この世のことは、すべて神の必然であり、理性によって、神そのものである自然や自己の摂理を
深く知ることが、人の幸福である。考えも物質の広がりも神の属性であり、平行して相関している。
ただし、これはクリスチャンが反論のために要約した学説だが、「エチカ」の特徴をよく取り出している。

神つまり自然や自己の内実を究めることが人の幸福
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