超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ヘルマン・ヘッセと創作の秘訣</span>

2013-07-28 20:56:51 | 無題

先日は友人から電話が来て梅ヶ丘で待ち合わせる。フォレスティカフェで珈琲280円を飲み、読んだ本、聞いた音楽などをメモ書きして待つ。
時間通り友人が来て、インド&タイ料理店パラベッシュに行く。選挙の話、風立ちぬの話、あまちゃんの話、大地の子の話などを聞く。
友人はヘッセにも興味が出てきたとようやく言う。ヘッセがナチス時代に違和感を感じると書けるのは稀有なことだ、ふつうはそうはいかないと言う。ほうれん草とチーズのカレー、ナンとシシカバブ食べる。友人はチキンカレー食べる。
二人で計4900円。
今日は一通り抜き書きや洋書の読書を終えた後、水谷智洋の文法書を読み進め、西洋哲学小事典を読み進めてから最後にヘルマン・ヘッセ読む。
またもやヘッセの「地獄は克服できる」である。
夢の中で苦しみを拒絶する声と、苦しみを甘受するよう促す声が交互に闘ってもがくようすを回想したエッセイを読む。心の軌跡の再現力が豊かである。
昨日読んだところは大聖堂の音楽会に出かけて帰るまでの様子を音楽描写を含めて詳細に書き上げたエッセイだった。
今日はさらに精神分析が作家に与えた影響の成果と限界とシラーの先見の明を書いたエッセイを読む。
シラーは創造力が心の中に入り込むときの番人を遠ざけ、創造力が心の中に入り込むことを許し、その後
構想を組み立てることの大切さをすでに述べていたとヘッセは語る。
無意識の力や抑圧と検閲、創造性との関係を芸術家は自然と体得していたのだとヘッセは言う。

ヘッセの言う「地獄」には、様々な運命の責苦と戦うこと、責苦を甘受することの両方が含まれる。
むしろヘッセは回想の結晶作用として、過去を包み込み、受け入れさせる回想の力を強調する。
この意見に従えば、日記を事細かに書くことは、後々救いの種になるのである。
日頃から日記の効用を考えている私にとって共感できるエッセイだ。「わがままこそ最高の美徳」に続き
「地獄は克服できる」をうなずきながら読む日々である。
ギュンター・ヴァントとベルリンフィルのブルックナーの深淵を聞き、ヘッセを熟読して山を越える。
創造の息吹が入り込んでくる流れを止めず構想に生かす



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<span itemprop="headline">ヘッセのわがままの美徳、光の見える場所</span>

2013-07-23 20:58:24 | 無題

ヘルマン・ヘッセの「わがままこそ最高の美徳」読み終わる。
監禁された荒野のおおかみの寓話、
隣人の競泳選手のところへ来た手紙が誤送されていた話、
同時代のナチスへの熱狂に対する強烈な違和感を書き綴った日記など読む。
続いて同じくヘッセの「地獄は克服できる」読み進める。
この場合地獄は創作のスランプであったり、不眠症であったりする。
無為の術では千夜一夜物語の無尽蔵の時間感覚を味わうとよい、
とか埃が舞っているのを見つめるとよいとか、
何もしないで過ごす工夫が書かれている。
全体にゆったり過ごすことの大切さが説かれている。
また、眠れぬ夜は自分自身と向き合う効用もあると説く。
眠れぬ人へ共感しつつ、
他人にこの上なく親切な人は多くの苦難を経た人だと言う。
内面の困難に打ち克つヒントが知恵を絞って書かれている。
内面の困難=地獄は克服できると言うヘッセは
人一倍繊細で悩み抜いた人だ。
そのヘッセが小さなことに悦びを見つけようとか
時間を掛けて味わおうと現代人への処方箋を書く。
孤独なヘッセの温かい人間性が感じられる一冊である。
その同じヘッセの「ガラス玉遊戯」角川文庫上下巻を取り寄せる。
ヘッセの最後の長編小説で、それまでの要素が全部入った総決算的な作品。
ヘッセの代表作のひとつなのに、しばらく入手困難だったとは驚きである。
最近はウェストミンスター・レガシーのシューベルト室内楽を聞き、
読んだ本の抜き書きをして、最後にヘッセのエッセイを読むことにしている。
ヘッセの一筋縄ではいかない複雑な精神構造が魅力的である。
私もヘッセを読み進めて心の道行きの友として愛読したい。
内面の地獄が克服できるなら光の見える場所に行きたい



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<span itemprop="headline">読書群、音楽群の飛来</span>

2013-07-18 21:04:36 | 無題

昨日は夜ヘッセの「わがままこそ最高の美徳」を読んでいたら友人から電話で豪徳寺で待ち合わせる。
サンマルクカフェで読んだ本、聞いたCDなどをメモ書きしてブラック珈琲飲んで待つ。時間前に友人来る。
友人はクラシックの全集は二枚聞けば上出来か、本音が出たな、恐れ入ったよ、車輪の下はむごすぎて
課題図書になるのはおかしい、三島由紀夫の美しい星と晩年の三島には開きがある、美しい星の議論の部分は本気で書いているとしか思えない、純と愛は眠り姫の衝撃的な再現で終わる、男女逆転だ、あまちゃんでは小泉今日子が後半ロケに居ないらしい、ツァラトゥストラは自分が読んだ訳がひどかった、羅生門はどこがいいのかわからない、取っつきにくくて読めなかった古典・名作は多い、と喋っていた。パティヤラ・パレスでひよこ豆のカレー(チャナマサラ)とホウレン草と豆のカレー、ナンとシシカバブで計4200円。
リヒテルの弾くシューベルトのピアノソナタ21番聞きながら帰る。同じフレーズの反復で異様に遅く弾く。癖になる名演だ。
昨夜は印象的な夢をみる。ノートに読んだ文章の抜き書きをする。いつもは古代宗教の本を読むことにしているのだが今日はそこまで手が回らない。ジョルジュ・シャンドールのバルトーク・ピアノ独奏曲全集からミクロコスモスを何枚か聞く。
今日は中公クラシックスの老子中古良品で安く買う。ボックスのポップスとジャーニー・トゥ・ユア・ハートを別々に格安で注文する。2イン1CDでは中古で高値がついている。ボックスはラジオで数曲聞いて
気になっていたが2イン1CDが高価なので今まで入手できずにいた。別々に検索すると安価。
バルトークのミクロコスモスは感情過多でなく知的で聞くといい空気が流れる。シャンドール盤しか持っていないが私にはこれで十分である。
今後は集めた本や音楽を消化することに専念したい。ヘッセのエッセイは素晴らしい。友人に伝わらなかったのは返す返すも残念である。バルトークのミクロコスモスの曲は野に咲く名もなき花のように可憐である。
明日は宅配でいろいろ届きそうで心待ちにしている。この夏集中して読みたい書物群がある。ひそかな楽しみである。
書物群音楽群を積み上げて深みに向けてひた走りたい



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<span itemprop="headline">ヘルマン・ヘッセの身も凍る孤独</span>

2013-07-17 19:49:41 | 無題

昨日はフェドセーエフのチャイコフスキーの2番聞く。フェドセーエフのチャイコフスキーの四番未聴。
昨日中公クラシックスの荘子上下注文する。今日届くはずなのだが、まだ来ない。今日も集中的な読書の抜き書きのあと、ヘッセの「わがままこそ最高の美徳」を読む。
第一次世界大戦が終わって戸惑う若者たちの前に、ニーチェのツァラトゥストラが現れ、自分自身であることを学べ、両親から自由になれ、世界の改革に期待を寄せるな、孤独の中で生きることを学べ、ツァラトゥストラに盲従するなと高らかに述べ伝える話をヘッセは書く。現代の寓話。ツァラトゥストラはここではニーチェではなくヘッセの分身。
そのあとヘッセはペルシャのキュロス王に勝った、マッサゲダイ族の案内人との会話を書く。
マッサゲダイ族の案内人の若者はヘロドトスのマッサゲダイ族の記述に神経質で、自民族の進歩に誇りを持ち、キリスト教の受容を誇らしげに語る。本当の会話なのかはわからない。多分、ヘッセの創作なのだろう。
この本を読んでいると、ヘッセがいかに孤独を友とし、自分自身であろうと気遣い、同時代に対して内向型の生き方の可能性を説き、詩人として、作家として、絵描きとして生きようと決心し、苦難の道を歩んできたことがわかる。
ヘッセは個性化について書いた「デミアン」と孤独な探求について書いた「シッダールタ」は別物ではなく、互いに同じことを別の側面から掘り下げた作品だと断言している。進化論を勇気ある者たちのジャンプの例として出すのはどうかと思うが、ヘッセが真に自分自身として生きることを信条とし、そのために世間と距離が生じても構わないと公然と言うのは勇気が要る発言である。
ヘッセは自分自身であれと若者に言うが、社会でしかるべき位置を築けとも言う。内向的でありながら、現実的な社会での位置にも配慮する厳しい助言である。
けれども最終的には、好きな絵を描き、好きな文章を書いてそのうえお金も頂こうとは随分虫がいい話だと自分に釘を刺すことも忘れない。ヘッセの言うわがままがいかに内容豊かなものか、本を読み進めるたびに実感する。
ヘッセは他人の個性を殺すことは殺人に等しいと、汝、殺すなかれを主題にしたエッセイで述べている。
世間の殺人的な偏見や抑圧に耐えて自分を押し通すことに徹したヘッセは痛々しいがある意味で幸運である。作家や詩人になれなかった無数の無名の人々の声なき声に、むろんヘッセも気が付いていたに違いない。
群衆に自分自身であれと説くヘルマン・ヘッセの身も凍る孤独



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<span itemprop="headline">書物漂流、父の書斎、過去の再燃</span>

2013-07-13 21:07:20 | 無題

隣町の喫茶店で友人と話す。
臨済と普化は互いに補っているという話、鈴木大拙の話、鈴木俊隆はじぶんの弟子が「誰が忘れた荷物を取りに行くか」と話しているうちにさっさと荷物を取りに行っていたという話、
南直哉と茂木健一郎の対談の話、ヴァレリーは口説き節だという話、マラルメの骰子一擲は凄いという話、ランボーは早熟な奇才だという話、
ヘッセのシッダールタは汲めども尽きぬ世界を旅して河に至るという話、
大乗起信論の不空は涅槃だという話、三昧はサマディーの音訳だという話、良寛が掛け軸に犬に仏性ありやと落書きして逃げた話、中間子と場の与える影響の話を聞く。
帰ると「ヘッセの読書術」という本が投函されていた。午前中読んだ本の抜粋をメモる。最近読んだ本の抜粋をメモることにしている。一見遠回りだが、読んだことが形として残る。
今日は実家で新盆。父の書斎に分け入ってチャトウィンの「パタゴニア」を借用してきた。本文は読んだ形跡がないが、後書きの部分にびっしり線が引いてある。チャトウィンの本は別に原書も置いてあったから、本文は英語で読んでいたのかも知れない。
意外と私と持っている本の傾向が重ならない。大部分の蔵書は寄贈されたあとだから、晩年の父の関心は
私とは遠い所へ至っていたのかも知れない。
それでも一遍聖絵や一遍上人語録が並べて置かれたりして踊念仏への関心が窺える。お盆に父の蔵書を眺めるのも冥界の釜の蓋が空いたお蔭だろう。
帰って休んだ後、ギュンター・ヴァントのブルックナーのライヴ音源を聞く。ブルックナーとシューベルトには定評がある。ギュンター・ヴァントの楽譜の読みは的確だ。
フェドセーエフのチャイコフスキーの交響曲が来週にも届く予定。
リリーフ社のチャイコフスキーの音源は旧録のスタジオ録音よりヴィヴィッドで臨場感があり素晴らしい。
古い整理箱を開けてみたらタイ旅行の仏像とロジャー・マッギンふうの色眼鏡が出てきた。過去の自分と出会ったようで意外な驚きがある。色眼鏡を掛けて、シタールをウォークマンで聞きながら仕事を往復していた頃を思い出した。自分はその頃老獪で今の方が若い。そんな歌詞を思い出した。

本好きの友人と会い新盆に父の書斎で面影と語る



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