超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">上高地の川底で見たもの</span>

2011-08-31 00:01:46 | 無題

昨日は七時少し前に新宿西口の地下通路を通って京王プラザの駐車場に着く。さわやか信州号、七時半出発。十六茶飲みトーハトオールアップル食べる。行楽気分。メディアケグでリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンとバッハのゴルトベルク変奏曲を聞きながら移動。
談合坂サービスエリアでサンドウィッチ買って食べる。みどり湖サービスエリアも停車。12時15分頃大正池ホテルに着く。軽く荷物を預けて足の親指に絆創膏を貼り、レストランで900円のカレー食べる。
売店で紺の登山帽550円で買う。エメラルド色の大正池には、深い眠りについた魔物が住んでいそう。
大正池から自然研究路で河童橋まで歩く。整備はされているのだが、大きく尖った石が多いので歩きづらい。時折見える清流や梓川の流れが澄んでいて心洗われる。
遠くに北アルプスの山並み。帰りは田代池に寄り、大正池ホテルまで歩く。大正池ホテルの浴場で、全身の血管が広がって解き放たれる。救われた気がした。木いちごジュース旨い。
夕食は小鉢とサーモンの刺身と岩魚の塩焼きとステーキと信州りんごゼリー。皆美味しい。
今日は七時に目が覚める。朝食はソーセージとハムとオムレツと三種のパンと珈琲。
バスで河童橋まで行き河童橋から明神館まで歩く。切り立った岩壁や林を抜ける。明神館でおにぎりを食べて引き返す。北アルプスの山並みを見上げ、川の流れを横目に林間を歩くのは心地良い。
河童橋に着き、梓川の川辺で休む。水は澄み、流れは速く、川底には惑星のように色とりどりの石があり、橙色、青、黄色の石が水から透けて見える。
梓川の薄緑の流れを見詰め、メディアケグでメタモルフォーゼンの憂愁やゴルトベルク変奏曲の清冽さを味わう。帰りも高速バスでメタモルフォーゼンとゴルトベルク変奏曲を交互に聞く。憂愁と清冽さが交叉する旅の終わり。諏訪湖サービスエリアで峠の釜めしを買って食べながら車窓が山深い緑から、都会の街並みへと徐々に変化して行くのを名残り惜しく味わい、旅を彩った音楽を繰り返し聞く。
最後にマッケラスのエジンバラライヴのベートーヴェン交響曲全集を聞き、これから出るシャイー&ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集に思いを馳せる。
上高地の梓川の川底で見た惑星のような色とりどりの霊妙な石の眺めは私の脳裏に焼きついてメタモルフォーゼンとともに夏の終わりの悲しみを淡くそめる。
川底の永遠を刻んだ原石が十色に見える夏の高原



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<span itemprop="headline">タバコフと胡桃の穴</span>

2011-08-24 01:35:17 | 無題

今日は書を閉じて、タバコフ指揮ソフィアフィル演奏のマーラー全集を聞く。
夜は友人と豪徳寺改札で待ち合わせてインドカレー店パティヤラパレスに行く。
友人は作家の森見登美彦と万城目学を愛読していて、独特な感覚では群を抜いていると断言する。
今年は中津川のコンサートに行けなかった、五木寛之の短編小説は繰り返し読んでも飽きない、棟方志功の画集は是非見て欲しい、仏画などは大作で圧巻だった、無調音楽を危険視する当時の一部の人々の気持ちは判らないでもないが、自分はスキャットで歌うとほとんど無調に近くなる、などと言っていた。
そのあと駅併設のサンマルクで珈琲を飲んで談笑して帰る。

家に帰ってNHKの向田邦子ドラマ胡桃の部屋を見る。なぜ胡桃の部屋という題なのか、今回初めて明かされる。
胡桃には空洞がある、胡桃には開かずの部屋がある、誰でも飛び込んではいけない禁域がある、やがてはけじめをつけなくてはいけない時が来る、という話だった。
けれどもこのドラマは一つ終わったかと思うと次の波乱が無数に来る。
この手の波乱なら私はいくらでも書けますよと向田邦子が言っているような気がする。
今日もまた、波乱含みの際どい場面で深川バロン倶楽部のガムランが高らかに鳴っていた。
タバコフとソフィアフィルのマーラー全集はぶっきらぼうで、なかなか面白い。
ふつうはもっと丁寧に歌い上げるところで爆走する。
夜にこれまたぶっきらぼうな、ミヒャエル・ギーレンのベートーヴェンの交響曲を聞く。
私はミヒャエル・ギーレンのベートーヴェンの交響曲のDVDも持っている。
ミヒャエル・ギーレンとSWRの演奏を見て、無愛想ななかに時折見せる詩情に心打たれている。
私はタバコフのマーラー全集やミヒャエル・ギーレンのベートーヴェンの交響曲のような、ぶっきらぼうな変化球が好きで、クラシックの幅の広さを味わっている。

隣人の開かずの部屋を垣間見てぶっきらぼうな曲に安らぐ



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<span itemprop="headline">メタモルフォーゼン礼賛</span>

2011-08-18 02:32:54 | 無題

最近私が気に入っているのはリヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」という曲である。ドイツが陥落寸前の時に暗澹たる気分で書かれた去りゆく時代の挽歌であり、単純なフレーズが絶妙に変化し、時に無調に近く聞こえる。
私が初めてこの曲を聞いたのはラジオでアシュケナージ指揮のチェコフィルの演奏だった。余りの耽美的な無調ぶりに驚いてこのCDを買いに行ったのを覚えている。
けれどルドルフ・ケンペのリヒャルト・シュトラウス集で聞けるメタモルフォーゼンは音階も明確で無調という感じがしない。
アシュケナージのメタモルフォーゼンの解説には確かにこの曲は無調に限りなく近づいている(「調性感がきわめて薄くなっている」よしむらけい)と書いてあった。
ヒトラーは無調を頽廃音楽だと言っていたので、ドイツが陥落寸前だからこそ書けた曲かもしれない。フルトヴェングラーの録音も幸い残っている。ユーチューブで一曲丸ごと聞ける。
暮れ行く時代の憂愁の挽歌であり、ある階層の没落の憂鬱を表すこの曲が、憂鬱な時の私の慰めになっている。私が良く聞くのはカラヤン指揮のメタモルフォーゼンで、聞きどころを要所要所押さえた定番となっている。
実は余りに娯楽寄りのリヒャルト・シュトラウス全部が好きなわけではなく、自伝的な英雄の生涯とこのメタモルフォーゼンが取り分け気に入っている。
バスで近郊の町まで移動するとき、最近メディアケグに同期したこのメタモルフォーゼンを聞きながら、車窓を眺め、自分の憂鬱に一時浸ってみる。
ローマン・コフマンのショスタコーヴィチ全集の憂鬱もいいが、リヒャルト・シュトラウスの黄昏の悲愴ぶりには特別な何かがある。
好きな作曲家ではマーラーとブルックナーをまず挙げるが、耽美的な憂鬱に浸れる曲を一曲選ぶとすれば、このメタモルフォーゼンである。避暑地に持って行って川の流れを見詰めながら聞きたい一曲である。

音を立て崩れる時に様々に変容をする自己を見つめる



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<span itemprop="headline">平均律とグレイトのあいだ</span>

2011-08-17 21:05:20 | 無題

今日は書を閉じ、ヴィルヘルム・ケンプの弾く平均律クラヴィーアを聞いた。夏の夕べに聞くヴィルヘルム・ケンプのバッハは格別。ケンプの一家は教会のオルガン奏者の家系なのでケンプにはバッハがよく似合う。
最近読んだ歴史読本の関東軍の特集は今ひとつだった。もっとも私は映画ラストエンペラーの歴史的背景が知りたいという気持ちで買ったので、狙いどころが編集部の意図とずれていたのかも知れない。
ヴィルヘルム・ケンプの平均律クラヴィーアを聞いたあと、友人と待ち合わせて、隣町のタイ料理店までバスで行く。
待ち合わせ時間まで10分ぐらいあったので、隣町の古本店を見る。最初CDの棚を見て、それから難解本のコーナーに行く。ロジェ・カイヨワの『神話と人間』があったので立ち読みする。藁にもすがる気持ちで840円で買いそうになったが、止めておく。
タイ料理店でナムトック豚肉サラダとパネーン肉煮込みとパッタイ麺とカオ・パット・トムヤム激辛炒飯とビールを頼み、四国旅行をした友人の回想を聞く。
四国は龍馬伝の影響が色濃く残っている、行く先々で夏祭りの踊りの準備をしている若者がいて羨ましかった、自分たちの世代の都会の郊外の出身者にはそういう帰るべき伝統がない、真夏にお遍路している人は痛々しかった、自分もレンタサイクルで四万十川沿いを回ったので、今熱中症気味だ、と言っていた。
私は都会の郊外の出身者はデラシネかも知れないが、都会の文化を謳歌したのだから一長一短だ、と話した。
ドトールコーヒーで温暖化説と氷河期説と両方がある、などの話をして帰る。帰りに未完成&グレイトが聞きたくなり、家に帰ったらカール・ベームのシューベルト交響曲全集を聞こうかと思ったが、どうせなら豪華に映像を謳歌したくなり、ギュンター・ヴァントと北ドイツ放送響のDENONの未完成&グレイトのDVDを大音量で鑑賞する。
私が初めて意識して聞いた交響曲のCDはギュンター・ヴァントとベルリン・フィルのシューベルトの未完成&グレイト2枚組だったのでギュンター・ヴァントのシューベルトは感慨深い。
一日の終わりとはこうありたいと思えるような演奏である。
真夏日に平均律で幕を開けグレイトで終わる夜の休息



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<span itemprop="headline">真夏日の夜聞くソナタ</span>

2011-08-10 18:22:34 | 無題

先日は書を閉じ、DENONのギュンター・ヴァントのブルックナーの八番をDVDで見る。
そのあとケルン放送響とのCDでギュンター・ヴァントのブルックナーの九番を大音量で聞く。
友人から電話で明大前の改札に8時20分に待ち合わせて、明大前の「宮古」という沖縄料理店に行く。
カウンター席で飲む。狭いが繁盛している。
スクガラス豆腐乗せ、ラフティ、ゴーヤと豚肉とポーク缶と厚揚げのミックス・チャンプルーと、宮古焼というお好み焼き風焼きそばとビールを頼む。
友人が休みに高知と徳島に行くというので龍馬伝の話になる。
近藤正臣の山内容堂公は怪演だった、鯨のように酒を飲み、目を剥く所が良かった、大森南朋の武市半平太も怪優ぶりを発揮していた、後藤象二郎(青木崇高)と龍馬(福山雅治)の関係も面白かった、向田邦子ドラマのガムランは深川バロン倶楽部という日本の団体の演奏らしい、と話す。

帰って向田邦子ドラマ胡桃の部屋見る。ガムランは今回目立たない。竹下景子は過食症の役。
夜にバレンボイム演奏の三大ピアノソナタ、悲愴・月光・熱情を聞く。
前に店でシューベルトの即興曲をゆっくりと噛み締めるように印象的に弾くCDが掛かっていて、誰かと思ったらバレンボイムだったという記憶がある。
そんなバレンボイムがベートーヴェンをどう弾くのか興味があった。
HMVのCD評では評判は余り良くないが、クレンペラーも驚いた天才ピアニストがそんなに悪いはずがあるだろうかという思いもあった。
聞いてみるとやはりゆっくりと噛み締めるように、溜めを作りながら押し出しは強く、印象的に弾く。
ケンプやバックハウスは別格として、現代のピアニストでは印象的に弾けるほうではないかと思った。
フルトヴェングラーに似たベートーヴェン交響曲全集を振ったり、指揮者として有名なバレンボイムである。
最近はピアノの腕が落ちたという噂もあるが、バレンボイムの初心の純な部分を垣間見たようで、ちょっと嬉しい。
真夏日の室温に耐え夜遅く改めて聞くソナタ切なく



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