超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">天狗少年の仙人修行</span>

2018-04-29 17:06:48 | 無題
今、天狗少年が人気だという。
前に論考を書いたので読んでほしい。

国学者平田篤胤が天狗に弟子入りした少年寅吉から仙境の消息を訊く「仙境異聞」は魅力的な書だ。
「仙境異聞」で寅吉が語る習俗は、多くは山人のものと思われる。
柳田國男が若い頃惹きつけられ、想像を巡らせた山人の世界は確かな背景に支えられたものだろう。
寅吉は山人の神道系行者に習った習俗や本草学、漢方、呪術の知識を平田篤胤に聞かせた模様。
平地の常民文化とは違う山人の独特の文化が息づいていたこと、山人にはネットワークがあって、山野を行き来していたこと、行者が村人の願いを修法や本草学によって叶えることを期待されていた点、山人の行者は人を喰ったところがあって、自らを多少誇張して神秘化して話していたこと、寅吉が聡明で記憶力がよく行者のことばや見聞きしたことをよく覚えていて明瞭に質問に答えていたことなどが分かる。
行者たちには符牒や隠語があって例えば一年を100年と数えるような決まりがあったりして、それが四〇〇〇年生きたなどと平然と語られる背景にあったのだろう。
催眠術やハルシネーションのような宗教作法が密かに伝えられてもいよう。そうしたことを考慮すると、
平田篤胤の仙境異聞は立派な人類学の聞き取り仕事の賜物だということが分かる。
山人の世界は現代で言えば、岩手県の早池峰の山伏神楽にその残響が聞き取れるような、山の行者の世界である。
私はかつて早池峰の岳神楽、大償神楽を熱心に取材して歩いたことがあるが、どうも背景に山林を駆ける
山伏や薬売りや隠密や行者の見えない網目が働いていたことに気がついてその奥深さに感嘆したことがある。
世界的にみると道教を含めた汎呪術師的宗教世界の系譜に連なるところがある「仙境」の世界が例えばパブロ・アマリンゴの「アマゾンの呪術師」の絵画世界へも広がって見て取れる。
そのような世界の宗教学の見地から言っても貴重な地平への鍵が「仙境異聞」には豊富に聞き取れて、私のような者には尽きることない想像を掻き立てる貴重な文献である。
平田篤胤が日本を神国の中心と捉える価値観を持ちながらも、幽界への尽きせぬ好奇心を持った純粋なところのある開かれた学者であったことが、この希少な本を後世に残す幸運をもたらした。時代的限界を知的好奇心が突き破る好例である。
仙界を旅した子ども追いかける探究心の熱き眼差し


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">初谷むいさん×山田航さんトークイベントに行く</span>

2018-04-25 22:36:30 | 無題
書肆吉成で初谷むいさんの歌集「花は泡、そこにいたって会いたいよ」発売記念のトークイベントの、山田航さんとの対談を拝聴しに行く。吉成さんの紹介で、初谷むいさんや山田航さんや書肆侃侃房の方とご挨拶できてうれしかった。
来場者は初谷むいさんの愛読者の方と、北大短歌会の方々が多い。
ということは私は割と例外者なのだが、お二人の人柄に触れて楽しいお話を聞けて良かった。
長年の研鑽の賜物の歌集だが、やはり初々しい。
「CMにふつうに感動したりする 夢という夢はないけどそれは希望だ」という歌があったりする。
私は「何となくつまらない日に目に留まる夢だらけの字がなぜか嬉しい」という短歌をゆうちょのCMを見て書いた。
むいさんの「めが覚めて夢の中ではすきだった誰かがすこやかに遠ざかる」というのもいいな。
私は異性の夢を見ると健やかに忘れることができず、一日思い出したりする。
むいさんの歌に
「ぼくたちは狂っていたけど降りかかる雪がふたりを水でつないだ」というのもある。
狂気の部分にふつうは直面できない。私はそうだ。むいさんのうたは意表を突く元気なのや、切ない気持ちの表現も多いけど、ご本人が喋っていたように闇を襞のように抱えていた歌が多いのに気づく。
切ない恋愛表現の世界から遠ざかって早幾年の私だが、これを読むと今を生きている息遣いが伝わる。
「ひとにさわるときにはじめてわたしから熱がでていてあたたかかった」というのもおじさんには書けない。
この世を去る前に一度でいいから少女になりたい、という歌がミラクル・リージョンにあるが、そんな読後感だ。
初谷むいさん、名前通り初々しい笑顔だった。

遠い日に憧れていたあの人に逢った気がする歌の一コマ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">メニューインBOXの扉を開く</span>

2018-04-20 15:12:01 | 無題
ようやく今週の仕事も終えた。ハードスケジュールのワイルド・ワイルド・ライフである。
ニコラーエワの芸術BOX今日発売日だったが28日に延期でがっかり。
その代わり、ユーディ・メニューインのバイオリンの30CDセット4800円届く。
メンブラン=ドキュメント盤。
先ほど無伴奏バイオリンソナタとパルティータ聞き、
今シベリウスのバイオリン・コンチェルト聞いている。
なかなか天才技巧で感動の名演揃い。
というのも友人がバイオリンならメニューインとルドルフ・ケンペの
ブラームスのコンチェルトがいいと言っていて、
それに無伴奏バイオリンソナタとパルティータも欲しいな、
と思ったら、二つ買うと3千円なので、それならいっそ、
30枚組4800円のアニヴァーサリー・コレクションのほうが
ずっとお得だな、ということで、これにした。
幸いバイオリン物はほぼ持っていないのでフレッシュな感覚である。
友人がバイオリニストを一人選ぶならメニューインだよ!と一押しなのである。
というわけで少し贅沢ではあるがメニューインの艶のある音色に聞き入っている。

艶のある弦の響きが作り出す光を放つ旋律の虹


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">伝説の詩人が歌う感覚</span>

2018-04-12 21:59:01 | 無題
今、アラウの大箱のベートーヴェンピアノソナタ30番台を聞いて憩っている。
私はアラウが究極の癒しだと思う。
でも友人がブレンデルの60年代の全集もいいよ、アマゾンで3600円だよと教えてくれた。
うーん、ブレンデルに3600円かと躊躇したので、同じ録音をVOXBOXで2枚ずつバラで注文した。
第1集から第4集まで。結局第2集が1300円もしたので計2400円も掛かってしまった。中古なのに。
3万円の人文書はどうやら入荷しそうもない。図書館で数回借りて読破しよう。

今日、オルフェウス論が刷り上がった。ディオニュソス論に次ぐ連作。
だが、オルフェウス論をさらに書き進めて行きましょうと提案されている。
日々の仕事もあり、書きかけの別の原稿もあり、作文にまとまった時間が取れない。
3月は作文尽くしで、通常の仕事に戻れるか心配していたが、今のところ軟着陸している。今のところは、何とかなっている。
私は取り越し苦労が人より多い。取り越し苦労をなくすこと、体力の消耗を回復すること、
日々の仕事をこなすこと、そして作文する時間を確保すること。この辺りが今の課題。

3万円の700ページ2段組み3冊の人文書入手したいのだが。中古で5千円ぐらいなら上乗せしても欲しい。
某書店でうちは取次先がいくつもあるからとりあえず注文してくださいと言われて注文した。
電話で聞いてみるとだめかもしれないと言われた。先に飴をちらつかせてあとで取り消すとは。

ルイスキャロルのドリーム・チャイルドのDVDがブックオフで高額で売られていたが、私はVHSをDVD化する予定。
私は生きるために指揮をして、作曲のために生きているとマーラーは言った。私も実は作文のために生きている。
とりあえず、アラウ聞いて、ホーレンシュタインの熱演聞き直し、ブレンデルを待ち、ニコラーエワで生き延びよう。

伝説の詩人の声が胸中でいつも思いを歌う感覚


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">卒業生や叔父叔母と古希を祝う</span>

2018-04-08 17:22:54 | 無題
昨日はI塚先生の古希祝いで卒業生20人ぐらいで会食して話す。
「目は霞み耳に蝉鳴き歯は落ちて霜を戴く身こそつらけれ(慈円)」など老境の歌をいくつか集めた奥さまのグラヌール紙頂く。ゆかりの方の祝辞が読み上げられる。杜甫の古希とは死と戯れる幽玄の境地に遊ぶ年齢ということで亡き知識人と戯れる日も近い、この際身一つになって旅人として幽玄を漂いましょうというメッセージが読まれる。卒業生のミュージシャン3人組の思い出のボサノバと奄美から帰って作った自作の想いを歌った歌が披露され、方位計と旅日記が贈呈され、I塚先生は太極拳をやっているけど、これは自分の体と対話して、臨終に備える技術だというお話をして、漂泊の人生を新たに生き直す決意と謝意を述べられた。図書館学の先生が杜甫の古希の意味で締めて閉会。2次会は別のフロアのバーで元ゼミ生とそれぞれの近況を話す。
今日は卒業生が店主さんの、大通りの古書店で、またI先生や卒業生と話し、「ないものがある世界」という創作の新作を買い、ホテルのダイナーで、チキンカレーやハンバーグやパスタを食べてサッポロクラシックを飲んでI塚先生と私たちと叔父夫婦で会食する。
I塚先生は一遍上人の旅の足跡をたどって回る旅をしている、親鸞は信心を強調するが一遍では南無阿弥陀仏の言葉だけで往生する、信じていない人にお札を配っていいのか一遍が迷ったときに熊野権現のお告げで信不信を問わず、浄不浄を問わず配るべしと言われて覚悟ができた話は確かにグッとくる、JRの大人の休日ジパング倶楽部で安く回れる、いずれ一遍をたどる本にする予定だ、
貴方の文章は溜めが足りない、こう来ると思うとその通りになる、もう少し答えを先に言わずに回り道を楽しめるように書けると好い、オルフェウスのその後のイメージ史ももうひとつ書けると好い、黒いオルフェまで行ってほしい、そのまえに前回の執筆の続編か、あの手法で行けると思うと仰る。
これから函館の南茅部の縄文遺跡を見に行くという。私は五來重の仏教民俗学は面白いと話す。
叔父は小樽札幌の水彩画で体力づくりして老後に備えている、この辺りの三角屋根がなくなったでしょう、天神山や羊ヶ丘や八紘学園辺りは行くと好い、自分もブラザーのプリンタで絵をスキャンしている、人の5倍はCD聞いてるね、記憶力もいいし作文も早い、河合隼雄氏の子息は秀才肌か、私の絵が前行った山麓の喫茶に飾られるという、ネット上のシステムとシステムの相似形を比較する研究をしていた、別の解き方で同じ答えにたどり着く面白さが数学にはある、円空と木喰や捨て聖一遍上人は私も読んだ、と話す。

年配を信用するなと年配が開き直れる古希に乾杯
(ドント・トラスト・オーヴァー・サーティーという標語が60年代にあった)






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする