超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

オッフェンバックの歌劇

2021-02-24 06:37:05 | 無題
昨日はウィーンフィルの伴奏で、オッフェンバックのDVD「地獄のオルフェ」観る。
退廃的な、おふざけ満載の19世紀オペラブッファ(軽歌劇)で、高級
なんだか低級なんだか分からない。オルフェウスの神話を軸に、天界と
地獄をオリュンポスの神々が駆け回る、究極の悪ふざけ。
上演時間140分は、ちょっとキツかった。
根が真面目なので、モーツァルトの再来のようなバカ騒ぎ感覚は
付いていけないところがある。しかも、たいへんお下品だった。
歌って踊ってお祭り騒ぎで終わる。スカッとするかといえば、
作品の底流に悪徳賛美があるので手放しに楽しめない。
登場人物が、「世論」を除いて全員おバカなのだ。
「天国と地獄」という別名があり、オリュンポス山頂と冥界を神々が
行き来するドタバタ喜劇である。19世紀小市民社会の風刺があるらしい。
かなり風変わりなものを見た。異世界体験という意味では面白いかも。
夜は、服飾量販店に駆け込みで行き、ツイルパンツ(カーキ)夏物を受け取り、
特売のベージュのハイネックのシャツを970円で買って、
帰って久しぶりに自由作文に手を着ける。
自由作文に必要な本を数冊取り寄せる。何だか充実感ある。
今は、エルネスト・アンセルメの「ヨーロッパの偉大な伝統」箱から、
ベートーヴェンの交響曲を聞いている。1960年前後にしては、
大変良好なステレオ録音で、ヘンテコと呼ばれるが、演奏も
勢いがあって心地よい。アンセルメのフランス箱、ロシア箱
そしてこのヨーロッパ箱は楽しめる逸品である。

天国と地獄を神が行き来するドタバタ喜劇ヘンな感覚

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六花亭の幌尻カレー

2021-02-23 12:07:42 | 無題
福住の六花亭の二階で幌尻カレーというのを食べた。
すごい高級感ある味。
北海道にエスニックカレーが根付かないのは、
すでに地元のカレーが美味しく、定着しているから
だろう。
ボタニカルアートの壁の花を背に、特別感ある
時間を味わえた。
雪道を歩いて来た甲斐があった。
照明がまた完璧にきれい。
ショートケーキが税込み270円だった。お買い得。
帰ってオッフェンバックの「地獄のオルフェ」のDVDでも
鑑賞するつもり。

オルフェウスそばに居る日の喫茶店明るい中で暦味わう
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三多摩の幼年時代

2021-02-20 21:39:06 | 無題
昔のことだが、母の喪の時期、空き家になった実家の片付けに追われた。
時々、母が私の幼少時、ソファでめくっていた、雑誌「マダム」「ミセス」
が捨てずに取ってあったのが出て来て昔が偲ばれる。
特に感慨深かったのが、お正月などに家族で遊ぶ、野球盤や人生ゲームが
何種類か戸袋から出て来たことだ。
仕事柄、父が不在がちだったので、母と私たち兄弟はよく、野球盤や
人生ゲームで遊んだ。
今の人は知らないかもしれないが、一種のすごろくで、コマに人生で起きる
ハプニングやアクシデントが書かれていて、500万円没収とか、
アメリカの叔母の遺産で2千万貰うとか、いろいろ指示があり、
後戻りしたり、お金の損得があったりする。
最終的にゴールにたどり着いたときの総資産で勝敗が決まる、何とも
ゲンキンなゲームだが、家族で夢中になって遊んだことが幾度となく
あった。
偽物とはいえお金が飛び交うのが子どもには刺激的で、母は本気で
はしゃいだり、がっかりしたりしていた。
今から思えば、予想がつく話だが、大体大勝ちするのは母で、
次に勝つのは兄で、私は大抵ビリであった。
その頃の楽しい家族の思い出が母も忘れられなかったのだろう。
野球盤も人生ゲームも何種類か捨て切れずにそのまま戸袋に残っていた。
正月に子どもにゲームを買ってやる習慣が中学校になっても残っていて、
すでにサッカーなどに夢中だった私はもう子どもの現物ゲームに興味は
薄れていたが、断り切れずにありがたく貰っていたのも思い出深い。
大抵の玩具は近所の家と同じように、米軍住宅地の金網の前のムラタという
玩具屋さんで買っていた。メンコとか、軍人将棋とか、銀玉鉄砲とか
手錠とか、「太陽にほえろ」で刑事ものに憧れていた子どもたちが
よく出入りしていた。私も二段ベッドで兄と銀玉鉄砲の打ち合いを
して遊んでいたのが思い出される。忍者、刑事、探偵、スパイには憧れた。
メンコには人造人間キカイダーやイナズマンなどの偽物の絵がよく
描いてあり、角を折ったり、蝋を塗ったり勝つために工夫をした。
基礎体力、筋力のない私はメンコも滅法弱く、すぐすっからかんになった。
喪の作業にはそのような甘美な思い出との再会もあり、懐かしかった。
喪の作業の頃、バルトの「明るい部屋」を読んでいたので、共感した。

幼少時人生ゲームに負けていた 失われてた時を求めて


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思想史と神話の穴に落下

2021-02-19 19:34:42 | 無題
昨日は、小阪修平著「そうだったのか現代思想」のハイデガー紹介読む。
ハイデガーは、「認識の体系」の外に、「歴史」や「人間の人生」があることに
向き合った。ここまではいいのだが、そこで、歴史と実人生を
結ぶのが民族の運命である、という危ない思想に近づいた。
とはいえ、何かが在るということ、人が居るということの意味に
取り組んだのがハイデガーだった、というところまで読む。

次にリッサン著の「オッフェンバック」の説明で、
「地獄のオルフェ」ではオルフェウスが
オリュンポス山に行ってゼウスに頼んで冥王ハデスを説得してもらう。
一行はオリュンポス山という天国から、冥界という地獄に
降りて行き、その悦楽の園に心奪われる。
それでも裁判が開かれ、ゼウスは冥王ハデスからエウリュディケを
夫オルフェウスに返すように、と判決を下す。
ただし、地上に出るまではオルフェウスは後ろを振り返っては
ならないと約束させる。
ハデスは二人の上昇の途中で落雷を起こし、オルフェウスは
振り返ってしまい、奪還計画は失敗する。
ゼウスはエウリュディケをバッコスの巫女の一人に
加えることにして、劇はバッコスの祝祭で終幕する。
これを神話史にうまく位置づける着想を練る。

思想史をそうだったかと振り返り神話の穴の迷宮に落ち
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驚愕の読書体験

2021-02-18 10:06:54 | 無題
昨日の午後、小阪修平著「そうだったのか現代思想」の
ソシュールの部分まで読む。ことばが先で、物の序列はあと。
ことばの意味は他のことばとの関係で決まる。
ことばの歴史ではなく、ある時点でのあり方を調べる。
ことばの表の意味と裏の意味を知る。ことばにその名がついた
必然はない。こういうことが、のちの相対主義に影響する。

そのあと、リッサン著「オッフェンバック―音楽における笑い」
のオペラ「地獄のオルフェ」の説明を読む。
オルフェウスは作曲家で音楽の先生。
エウリュディケは蜂飼いアリスタイオスと浮気している。
オルフェウスがエウリュディケに毒蛇の罠を仕掛ける。
アリスタイオスは実は冥王ハデスで、毒蛇の罠を用いて
エウリュディケを冥界に連れて行く。
オルフェウスは世論に押されて、冥界からエウリュディケを
連れ戻しに行く。
何てことだ!元の神話と全然違うぞ。
どうこの話を受け止めればいいのだ、と頭を抱える。

夜は、ポストに入っていた、「ホーニヒベルガー博士の秘密」
という幻想小説を読み、著者の分身とも言える博士が
インドの瞑想体験をブカレストで繰り返し、理想郷シャンバラ
に入るべく失踪するという話を読み、驚愕する。
濃厚な一日だった。

町なかで変性意識を体験しシャンバラに行き永遠に消える

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