超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ユング辞典、悲喜こもごも、年の瀬</span>

2013-12-28 23:29:15 | 無題

昼間は内田光子のシューベルトピアノソナタ集聞き、
ユング心理学辞典読む。
解釈は夢の意味を読み取ること、拡充は夢を神話や伝説の象徴的意味で補うこと、
乖離は意識と無意識が仲違いすること。
エロスは生の情感的原理であり、ロゴスは分別の原理。
エロスは死の本能(タナトス)や、権力への意志(クラトス)とも対立する。
今日は有田潤読む。あと一章で文法書終わり。
今年はよく読んだ。
友人からメールで8時に梅ヶ丘で会う。
友人はドラマーの旧友とお別れした、
その身内がなかなか見つからなかったという話を中心に話す。
千林の近江屋という居酒屋に行ったがベストだったという話、
立命館の周りが山が近い町で雰囲気がいいという話、
今まで行けなかった京都の店に集中的に行けた話をしていた。
そのあと定番の円谷プロの緊急指令…の非行少女カオリのあらすじ、
恐怖劇場アンバランスの詳しい話を滔々と喋る。
最後になって、人はどんな行動に出るか判らない、
一概に愚かだと決めつけられない、
自分もひとつ間違えばどうなっていたか判らない、
音楽で他人が救えると安易に思ってはいけないと真顔で話す。
食べたのは焼き豚、ちくわ麩、うずらの玉子、獅子唐、牛筋辛煮、ハムカツで計4100円。
読書家の友人が登場すると自分と差が出ると言っていた。
エリック・ドルフィーのアウト・トゥ・ランチをひねって再現したアルバムが
大友良英にはあるという話も前にしていた。

年の瀬に悲喜こもごもを織り交ぜておどけて話す友人の思い



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">イブの放談、シューベルト到着、聖夜突入</span>

2013-12-25 01:01:01 | 無題

クリスマス・イブは友人と喫茶店で話し込む。
友人はジョセフ・キャンベルの「神話と力」はよかったという。
私はレヴィ=ストロースと比べて大衆的でコマーシャルなところが気になって放置していた。
ジョセフ・キャンベルは神話の広告マンだと思った。
だが、友人もあれほど言うのだから再読してみようかという気になり
本の山をかき分けて見つけ出した。
友人はreligionの語源はなんでしたっけと聞いたので言い澱んでしまったが、ユングが「ヌミノースを凝視すること」だと言っていたのを後で思い出した。友人が語源サイトで調べたところ、「神と人をふたたび結びつける」という意味で理解されていたという。そっちのほうがほんとうみたいだ。
友人は慈悲と智慧はぎりぎりのところでは一体で、その世界を見ているのが涅槃だと喋る。
なかなか参考になる意見である。
友人は独学で我が道を行く。
私みたいに判断中止をしないのである。
私は石橋を叩いて渡る方だが、友人は独立独歩で思考実験する。
その旺盛な好奇心と吸収力と突破力、見習いたいものだ。
今日やっと内田光子のシューベルトピアノソナタ集届いた。
今、繰り返し聞いている。
内田光子のシューベルトは内向的で内省的である。
その孤独な打鍵はシューベルトの人懐っこい孤独と共鳴する。
夕飯は無印のパラック・チキンカレーを食べた。
内省的なシューベルトを聞いてクリスマスに突入した。
カール・ベームのsymphonies、ヘルマン・ヘッセも聞いたというエドウィン・フィッシャーの平均律、加えて内田光子のシューベルトピアノソナタ集でクリスマスは万全である。

遠き日の聖なるものを凝視して神と人との結びつきを思う



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">N響&デ・ワールトの第九を会場で体感</span>

2013-12-22 18:28:12 | 無題

午後一時40分渋谷駅に着く。
2時5分NHKホールに着く。三階R7列4番に着席。早く着いて待っている時間がいい。
3時開演。
国立音大入場。N響楽団員入場。待望のエド・デ・ワールト登場。
第九、厳かに始まる。
最初から渾身の演奏。指揮は自然体。
第一楽章も第二楽章も迫力満点。ティンパニがよく響く。
チェロの低音、バイオリンの高音が絶妙。
ラジオで聞くのと会場で聞くのは迫力が全然違う。
音が桁外れによく鳴る。
第三楽章は弱音で畳み掛ける。
最終楽章で歓喜天が宙を舞う。
バリトン甲斐栄次郎、テノール望月哲也、ソプラノ中村恵理、アルト加納悦子。ソリスト勢、上手い。
国立音大の若々しい声量のある声が地鳴りするほど響き渡る。
演奏は最後に加速して全開でフィナーレを迎える。
N響会心の演奏。
満場の拍手、鳴り止まない。
今年の悲喜こもごもが結晶して洗われてゆく。
貴重な時間を過ごせた。
今年も無事この時間を迎えることができた。
一年を振り返り来年に希望を繋ぐ。
4時40分渋谷駅に着く。
NHKホールには大きなクリスマスツリーが飾られていた。
念願のN響&デ・ワールトのベートーヴェンの第九を体感した。
帰ってクリスマスケーキを食べる予定。

場内に歓喜の歌が鳴り響き悲喜こもごもが結晶化する



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">ヘルマン・ヘッセ、平均律、愛の園</span>

2013-12-22 00:26:45 | 無題

エドウィン・フィッシャーの平均律クラヴィーアを開封して聞く。
メリハリのある緩急自在な演奏で硬質だが雑音が全くなく今も十分聞ける世界初の全曲録音。
昨日、ヘルマン・ヘッセと音楽を読み終わる。
エドウィン・フィッシャーの楽屋で眼の前でフィッシャーが静かにこの平均律を引いているのを聞いて、感動して動けなくなったとヘルマン・ヘッセは書いている。
そのヘルマン・ヘッセも聞いたというエドウィン・フィッシャー自らが弾いた平均律クラヴィーアの録音が時代を越えて今現在聞ける僥倖はことばに尽くしがたい。
最近取り寄せたユング心理学辞典が届いてさっそく読む。
悪、アニマ、アンビバレンス、意識…。
どれを取っても読み飛ばせないほど内容が濃すぎる。

午前中、カール・ベームのsymphoniesを聞く。
好リマスタリングで改めて聞くと音がヴィヴィッドで新鮮な驚きがある。
仕舞っていたカーボンヒーターを遂に取り出して当たる。
セラミックより断然暖かい。
ラジオでN響&エド・デ・ワールトの第九、МDに録りながら聞く。
今日の電波の入り具合の良さは奇跡的。
一見穏やかだがアーティキュレーションにアクセントをつけた指揮ぶり。
演奏は段々熱気を帯びて、力強くなって頂点で終わる。
私は明日渋谷に聞きに行く。
明日は二時開場、三時開演。
チケットを鞄に入れる。
夜、ciao!の「ラスト・ファンファーレ」を聞いてかしぶちさんを偲ぶ。

魂の旅を深めてさすらえばいつかは着くか愛の園へと



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">暮れゆく年を名著名演で送る</span>

2013-12-19 12:36:21 | 無題

ヘルマン・ヘッセと音楽をようやく半分読んだ。
オトマール・シェックなど同時代の知らない音楽家との交流も描かれている。
この時期、ヘルマン・ヘッセは胸に沁みる。
私はフォルカー・ミヒェルス編のヘルマン・ヘッセのエッセイを5冊ほど読んだ。
まだアルプス南麓の村の途中だが、ヘルマン・ヘッセと音楽を読んでいる。
ヘッセは好き嫌いが多いようで古典的な音楽家の評価が高く19世紀後半の音楽家の評価が低い。
ヘッセのガラス玉遊戯でも音楽の機微を語るのに多くの時間が費やされている。
演奏会の報告や描写など音楽を言葉に置き換えるのが上手い。
大きく渦を描いて演奏された音楽が言葉に昇華されて宙を舞う。
ヘッセは表現主義風の水彩画を描くが、音楽的にはアンドレーエとの交流、ブゾーニとの
交流などが特筆される。
ヘッセも聞いたと思われるフォルクマール・アンドレーエのブルックナーが
全集化されて残っているのは稀有なことだ。
フォルクマール・アンドレーエのブルックナー全集は凛とした逸品である。
ヘルマン・ヘッセの水彩画という本も出ているがどうだろう。
活字が少なくてすぐ読み終わってしまうのではないか。
ヘルマン・ヘッセの雲というエッセイ集も出ているがどうだろう。
天気の話ばかり載っていてもこまってしまうかもしれない。
そうは言ってもそのうち手が出てしまうかもしれない。
フォルカー・ミヒェルス編のヘッセのエッセイはほとんど外れがない。
昨日はユング心理学辞典を取り寄せた。ユングはヘッセの友人である。
カール・ベームのsymphoniesも取り寄せた。
最近は日本の名著道元とヘルマン・ヘッセの二本柱である。

星空に願いを込めて暮れてゆく今年を本と名演で送る



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする