超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">ハイデガーとニーチェの無垢</span>

2010-09-25 00:42:52 | 無題

ここ数カ月読書の方向性を探っていたのだが、ハイデガーのニーチェ観を念頭に読書を組み立てて行ってはどうか、という考えがひらめいた。今日は面白そうな本を手に取ったがどこかに置き忘れてしまう夢を見た。これも暗中模索のヒントである。
今日はスタジオパークのゲストで水木しげる夫妻が出ているのを見て心に残った。
最近水木しげる氏がドラマのなかでゲーテの言葉を引いて、「好きなことを続けていれば悩むものだ、好きなことをやって道が開けて来ないときは好機を待て」と娘にアドバイスしたというエピソードが頭に残っていたので、なおさら印象的だった。
今日は私の本棚にハイデガーの本が多いことを指摘された。ハイデガーのニーチェ観!それだ。
フーゴ・オットのハイデガーの難解な伝記「マルティン・ハイデガー、伝記への途上で」に久しぶりに取り組んだ。ニーチェ全集の「生成の無垢」の上下も注文した。
フーゴ・オットはヴィクトル・ファリアスの「ハイデガーとナチズム」を相当意識している。アプローチは違うがオットとファリアスは関心の在り処が似ているのである。
一級の思想家ハイデガーがなぜナチズムに期待をし、一時期にせよ加担したのか。政治的挫折を経験したその後大きく思想を転回させ、人間の側からよりも、存在の側から世界を見る哲学へ移行した経緯は何か、と言った話題が考えられる。
ナチズムに期待を裏切られ、閉じ籠っていた時期に、ハイデガーはニーチェの徹底的な洗い直しと批判を行った。果たしてその真意はどこにあり、その批判はどこまでが正当で、どこまでが言い過ぎなのか。ニーチェ関連の著作とハイデガー関連の著作を並行して読み、その迷宮の出口を見出せたら面白いことになるだろうと直感した。平凡社ライブラリーのハイデガーの「ニーチェ」を読み直し、「形而上学入門」を読み直し、ビーメルの「ハイデガー」を熟読し、と夢は膨らむ。
そんなわけで今日は読書の種がみつかったことに自分でも驚いている。私のなかでは夢で置き忘れた本も、水木しげる氏のゲーテのことばも、全てが繋がっていて、読書熱が再燃したのである。その先を期待するより、まずは一つ、歩を進めることにしよう。

生成の無垢が地面に顔を出し水晶たちが歌い始める



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<span itemprop="headline">マーラーの交響宇宙</span>

2010-09-19 11:32:32 | 無題


今日は近所の本屋さんでモーストリー・クラシックのマーラー生誕一五〇年記念特集号を買い、近所のカフェで熟読した。カラー写真が多く、説明も丁寧である。ドナルド・キーンが若い頃のアメリカでのマーラー事情、ラジオで聞いたパツァーク、フェリアーの大地の歌が印象的だとか、大地の歌の漢詩の翻訳の問題点などを書いて巻頭を飾っている。
その他マーラーの生涯のポイント別解説や交響曲曲別解説など盛りだくさんである。マーラーの復活のコンセプト、何の裁きもなく誰もが救済されるのはキリスト教的というよりマーラー独自の発想ではないか、とか交響曲第三番はニーチェとキリスト教が並列されていて驚きだとか村井翔氏には色々気づかされた。
楽しいのが鈴木淳史氏の交響曲全集聞き比べで、アブラヴァネルはあっさりと淡白にまとめているが、オーケストラが下手なだけに返って独特の頼りなさが魅力となっている、バーンスタインの最初の全集は情熱的で、二度目の全集は執拗に迫ってくるなどと書いてある。
面白いのが鈴木淳史氏がクーベリックのドイツグラモフォンの全集について舩倉武一氏のクラシックジャーナルと同じ見解を取っているところだ。すなわちクーベリックのドイツグラモフォンの全集は後期ロマン派的でかつボヘミア的な所が生かされたマーラーだと言うのである。
鈴木淳史氏は高校生の頃、父親から成績が上がったらマーラー全集を買ってやると言って励まされたという。その頃CDは一枚三五〇〇円ぐらいしたのでとても高校生には手が出ないのがマーラーの全集だったというが、現在ではマーラーの精神病理を面白く腑分けして見せたシノーポリのマーラー全集が三千数百円で売っている時代になり、マーラーの交響曲を一番から十番までハシゴできるようになったという。私も以前マーラー全集の価格破壊の好例として、シノーポリのマーラー全集がついに三千六百円まで値下がりしたと書いたことがあるので鈴木淳史氏には共感した。
また鈴木淳史氏はアブラヴァネル、クーベリック、バーンスタインの全集の後、ステレオフォニックな音を効果的に使った、ショルティやハイティンクや美音ベルティーニなどが続々と全集を出し、音響史上の質の向上を促したが、現在最もマーラー的な全集はミヒャエル・ギーレンのSWRとの全集で、最も先鋭的でえぐい演奏を聞かせると言っていた。多様なマーラー情報が読めるのは悦ばしい限りだ。
マーラーが宇宙のように鳴っている 好機を待てば時代振り向く



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<span itemprop="headline">室内プールの身体感覚</span>

2010-09-11 21:12:51 | 無題

今日は何と、何年かぶりに室内プールに行った。
近所の図書館の付属のプールで、前から気になっていたのだが、隣の市なので入れないかと思ったが、電話で問い合わせると隣の市民でも入れるという。
水着とゴーグルとタオルを持って出かけた。入場券400円を券売機で買い、靴はビニール袋に入れて更衣室に入る。入場券はロッカーの内側に差し込み、鍵を取る。
久しぶりのプールだ、と子どものように思った。
恐る恐る水に浸かり、自由遊泳コースで泳ぐ。皆、ばてずに延々と泳いでいるが、私はかなり疲れる。
高校の時は水泳部だったので、水に入った身体感覚を思い出して追体験した。
口から泡をはき、ゆっくりと水中前方を見つめ、クロールでばたばたと泳ぎ進む。
息継ぎをして呼吸が苦しくなりながら、水の感じを楽しむ。
いつの間にか日頃の煩雑なことは忘れてひたすら泳いでいた。楽しい。
入場券をロッカーから外し、出口で差し込む。
帰りに見た夕焼けが妙に印象的だった。
全身がまんべんなく心地よく疲れるこの感じも懐かしい。
帰って、かき氷サクレを食べて、シューリヒトのベートーヴェン交響曲全集(国内盤)を聞く。
体の筋肉のあちこちが痛いのも懐かしい。
身体技法ということばを初めて用いたのは社会学者のマルセル・モースだと宇波彰氏が言っていた。
今日一日は忘れていた身体技法や身体感覚を取り戻すいい機会だった。
やはり水に入るのは胎内回帰というか宇宙遊泳みたいで新鮮である。
映画「卒業」でもダスティン・ホフマンの微妙な心境が水泳の描写で巧みに表されていた。
「ヒト、山に登る」、という柏瀬祐之という登山家が書いた哲学書があるが、「ヒト、水に潜る」も充分
テツガク的な気がする。
過去の遠い経験を思い出してなぞることに喜びを感じる今日この頃である。
ゴーグルで前をみつめて静寂な宇宙のなかで体動かす



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