超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">僕にも春を告げるカッコウ</span>

2010-03-26 15:48:55 | 無題
きのうkiriのクリームチーズを買ったので、今日はフランスパンを買いに行った。
最近地デジの広告攻めに負けて、ビエラとディーガをまとめて買った。使い方が覚えられず苦労している。
今はタバコフ指揮、ソフィアフィルのマーラー交響曲全集を聞いている。
子どもの頃頭痛を訴えて大学病院へ行って検査したら、耳の聞こえがよすぎるので頭に響くのだと言われた。そんな耳には、タバコフは聞こえが激しすぎる。前に中古屋でデ・ワールトのマーラー交響曲全集を格安で売っていたが買いそびれた。
最近、「開かれ―人間と動物」という難解書をめくっている。
バタイユに近い立場からハイデガーを再吟味して、人間と動物の境界領域に何かを見出そうとしている。人間と動物の裂け目を問題視する勧めである。
最近四谷三丁目の喫茶茶会記というジャズ喫茶で漫画家の畑中純さんの新作を見た。猫尽くしである。
私もひと月ほど隣人の猫を預かっていたので、猫話で盛り上がった。
それから知り合いの心理学の先生と新宿に行き、中村屋で私はスープカレー、先生はボルシチを食べていた。
ラカンはひらめきがある独断家だから面白い、フロイトは考えすぎて変なことを言うから飽きない、などとお話を伺った。
もうすぐ春だが試行錯誤して出口を探している。前に「ささいなことにもすぐ動揺してしまうあなたに。」という本を読んだ。
ふさぎこむ自分の胸に手を当てる僕にも春を告げるカッコウ
「春を告げるカッコウ」というフレデリック・ディーリアスの曲から作った短歌。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">珈琲と詩人の血</span>

2010-03-16 17:14:11 | 無題

父の見舞いに行って、千疋屋の木箱入りのチーズケーキを貰った。
フランスで個展をやった親の知人のアーティストが作品が高く売れたからといってくれたものを半分貰った。久しぶりに単価が高いものを食べた。
この前の休みは近くの街まで行って馴染みの店で野菜のケーキとブレンドコーヒーを食した。
コーヒーを飲むとちょっぴり気分がよくなる。そのことについて書いた寺田寅彦の「珈琲哲学序説」というのを読んだことがある。コーヒーを飲むと気分が昂揚する、この昂揚感を用いて哲学ができないかと論じた意欲作だった。
侯考賢監督の『珈琲時光』という映画も珈琲を小道具に使い、洪文也という台湾出身の日本にいた作曲家を一青窈が調べて行く小津風の映画で珈琲の醸し出す世界を掬い取っていた。
私もコーヒーを二杯ぐらい飲むと頭が調子よく動く。二杯以上飲むとだめだ。私は酒を友人と飲んだ後で酔い覚ましに喫茶店でコーヒーを飲んで余談を話すのが好きだ。主要な話は酒の席で終わっているので、喫茶店で話すのは思い出話やよもやま話である。けれどもそんな時間にふと悩みの出口が見えたりするからふしぎだ。
喫茶店で一人でいると、詩を書きたくなったりするのも面白い。
コーヒーが微妙に作用して人に疲れを忘れさせ、意外な思いつきを呼び込むことがある。
私の場合ビールを軽く一杯、そのあとにコーヒーを一杯飲むぐらいが気分が良い。家にいるとわざわざそんなことはしないから、ビールとコーヒーは外出用の組み合わせである。
「ともだちは海のにおい」という絵本ではくじらがビール愛好家で、いるかがお茶愛好家だった。そういえばミルクティーも独特の安心感を醸し出す。嗜好品はそれぞれ人の脳を刺激する面白い作用があって、憎めない。嗜好品のささやかな安心感や多幸感は厳しい毎日を送る私たちの、小さな救命ボートではないか。
珈琲を飲んで詩人の血が起きる 冷めると日々の泡が始まる



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする