超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">アクリルと鍵盤</span>

2010-08-28 17:52:22 | 無題


先日、同窓会があって、皆でグループ展をやろうという話になったので、かねてから描きたいお宝がある私は、数日前、新宿の世界堂へ行ってパレット付きアクリルガッシュ絵の具と絵筆とスモールサイズのキャンバスを買い揃えた。計二八〇〇円。これで気分は画家である。久しぶりに世界堂へ行って画材を揃えるとそれだけで嬉しく、また懐かしい気持ちで一杯である。この際上手い下手は関係ない。みんな違ってみんな良いの精神である。
新宿に行ったのはもう一つわけがあって、アンドラーシュ・シフのバッハの鍵盤楽器のための作品集十二枚組を手に入れようと思ったのだ。中古CD屋さんには高額盤しかなかったが、タワーレコードで廉価盤が売っていた。
さっそく帰って平均律クラヴィーアやゴルトベルク変奏曲を堪能した。静謐ななかに光のある逸品ぞろいである。アンドラーシュ・シフはモーツァルトでもバッハのように弾くのでバッハとは相性がいい。シフでは他にモーツァルトとシューベルトのピアノソナタを持っているが、皆淡い光を放つ地の塩のような名品である。
バッハのピアノ版ではグールドが有名で演奏も面白いのだが、私が好きなのはケンプ1000で出ていたヴィルヘルム・ケンプのイギリス組曲や平均律クラヴィーアやゴルトベルク変奏曲である。
先祖代々教会のオルガン弾きだったケンプのバッハは枯れていて優美で朴訥とした折り目正しいバッハである。余計な装飾音を一切加えない素朴なバッハには心打たれる。
今日はついに、買って来た画材を使って絵を一枚仕上げた。相当な充実感である。
高尾山に登った時も、小学生の頃歩いた記憶を思い出しながら歩いたが、絵を描いているときも、学生時代に絵筆を握っていた時のことを懐かしく思い出しながら輪郭を描き、絵の具を混ぜ、キャンバスに塗った。
全部描き終えてから、絵を立てかけて見直し、充足感に満たされた。
自分の描いた絵をぼんやりと眺めながら、もう一度アンドラーシュ・シフの弾くゴルトベルク変奏曲を繰り返し聞いた。そうやって自分の周りを好きな本や音楽や絵の具で満たして、何とか毎日をしのいで暮らしている。
美の種をまいて数年数十年気づけば森に蜜が流れる



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<span itemprop="headline">高尾山は、霊気満山</span>

2010-08-20 14:59:52 | 無題


5時に起きてインゲンと揚げを食べる。アイスコーヒーを飲み、アンドラーシュ・シフのモーツァルト・ピアノソナタを聞く。7時に家を出て高尾山に向かう。
8時半に高尾山口に着く。朝早いので涼しい。8時45分発のケーブルカーあおば号に清滝駅から乗り、急な勾配を登って高尾山駅で降りる。小雨が降っていて雲行きが気がかりだった。
薬王院の浄心門はいつ来ても霊気満山という銘が掛かっている。霊気満山、いい言葉だ。その他草木萬霊と言う字が書いてあるところもあった。山川草木悉有仏性に通じる。
薬王院の階段を登り御本尊飯縄(いづな)大権現という烏天狗のお顔をした神様に手を合わせて祈る。高尾山はあちこちに天狗の銅像が立っていてなかなか迫力がある。薬王院の階段を延々と登って、山頂に出る。霧深くてとても富士山は拝めなかった。
ビニールを敷いておにぎりを食べる。グレーと白の斑の猫が近寄って立ち去る。山猫ではないようだ。山頂では中学生の集団が軽装でぶらぶらしていた。
霧深い空気がまた妖気というか水木しげる氏の絵のようで、霊気満山でよかった。行きは1号路だが、下りは3号路で帰る。傾斜はなだらかだが、結構、山際の険しい所も通る。霧に曇る霊山も雰囲気がある。
山際の道を歩き、渓流をいくつも渡って、だいぶ歩いて浄心門の脇へ出る。
ケーブルカーあおば号に十一時半に乗り、小説の話をしている大学生が騒いでいる中、山を降りる。土産に高尾せんべいという瓦煎餅を買う。どこかでソフトクリームを食べようと決めていたのだが、結局高尾山のパンフレットに載っているフモトヤというイタリア風の店でジェラートを買って、店の前の椅子で食べる。
無心で山際の道を歩き、渓流を渡っているとき、どこに足を置こうかと夢中で、日々の悩みはすっかり忘れていた。これも霊気満山のお陰だろう。
家に帰ってみると、アウトドア・プロダクツの靴が完全に壊れていた。小学生の頃は毎年登っていたのだが、その時の記憶をたどりながら歩いた。
朝、本堂から聞こえてきた般若心経が、山の霊気にこだまして、忘れていた何かを思い出させてくれた。
高尾山はいつまでも、天狗の守護する修験道の根本道場として、東京人を影で支える異界であってほしい。



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<span itemprop="headline">マーラー乱読</span>

2010-08-08 18:20:49 | 無題

クラシックジャーナルの特集が「マーラーを究める」で、オントモムックの完全ディスコグラフィーと比べた結果、クラシックジャーナルの方を買う。前島良雄氏の巻頭エッセイがマーラーの常識を覆すことを意識した文章で、アルマ・マーラーの書いていることは信用できない、ドビュッシーが席を立ったなどありえない、交響曲10番を未完にしたのは次の年の夏にじっくり書こうと自信があったからで、晩年死の不安におびえていたということはない、巨人も復活も夜の歌も副題は本人の意向に沿ったものではない、売れるための商戦だなどと書いてある。
面白かったのは、舩倉武一氏の「クーベリックのマーラー全集へのオマージュ」である。クーベリックのマーラー全集は現在あまり人気がなく過去の産物とされているが、クーベリックのマーラー全集は後期ロマン派として、また斬新な書法で近代に繋がるものとして穏当に解釈されたものであり、特にボヘミア生まれのマーラーのボヘミア的な特質をよく理解している、葬送の章がコミカルに転調するのも、ボヘミアの陽気な葬儀の習慣を反映していて、マーラーの意図をボヘミア人として深く理解して演奏している、バーンスタインのマーラーのように心の葛藤をえぐり出した、聞き手を暗闇に引きずり込む種類の演奏ではないが、一見穏やかで懐の深い名録音揃いである、と書いてあってクーベリック好きの私は大いにうなずいたのであった。
ただ、auditeのライヴ録音はえてして演奏が雑でドイツグラモフォンの全集にはとても及ばないと書いてあって、そこが意見が分かれるところだ。ライヴは演奏の完璧さよりも臨場感が命であり、その点若干おとなしいドイツグラモフォンの全集を大いに補うのがauditeの気宇壮大なライヴの劇的な演奏だと私は思うのだ。ドイツグラモフォンの全集を愛するあまり、ライヴ録音の採点が辛くなったのはよくわかるが、auditeのライヴが残されていて本当によかったと私は思っている。
その他、裄野條氏のカラヤンのマーラーの論考なども読みごたえがあった。ただ、カラヤンはあれだけ演奏歴があるのだから、早いうちに志せば、全集をつくることもできたであろう。それを後回しにしたのは比重が軽かったとしか思えない。晩年はマーラー演奏に力を入れていたが、マーラー・マニアではなかったのだろう。巻末近くにある土井尊博氏のマーラーCDの寸評付きの聞き比べも、吉井亜彦氏の名盤鑑定百科のスタイルを思わせるが大変興味深かった。これに付け足すとすれば、ヴァーツラフ・ノイマンのマーラー全集評であろうか。ともかく、今回のクラシックジャーナルの特集は完全にオントモムックより充実していた。インバルの国内版全集を誉める余りブリリアントを劣悪と言ったり言い過ぎの面はあるが充分満足のゆくマーラー特集である。



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<span itemprop="headline">禅僧列伝で飛ぶ方法</span>

2010-08-02 19:07:29 | 無題

先日古本屋さんで田中博美氏の中国禅僧列伝を手に取った。現在入手困難と手書きで書いてあった。あいにくお金の持ち合わせがないので、家に帰って検索してみたら普通に売っている。これも何かの縁だと思って取り寄せた。読んでみると禅僧の系譜が書いてあって、どの僧がああやって政治家に取り入った、こうやって政治家に取り入ったという話が結構多く、禅の本筋ではないので余分に感じた。面白いのは体当たりで挑みあう師と弟子がいて、丁々発止の問答を繰り広げ、ある時は弟子が気づき、ある時は師が一本取られるという様子の生き生きとした描写のほうである。
この中国禅僧列伝でも面白いのは馬祖が出てきて弟子と丁々発止の問答をするあたりからである。
あるとき百丈懐海が師匠の馬祖と歩いていた。すると野鴨が飛んでゆくのが見えた。馬祖は懐海にあれは何だと言った。懐海は「野鴨です」と答えた。これは普通の会話ではないのである。馬祖は懐海を何とかして何気ない会話から見性体験に結びつけたいと願っていた。それに気付かずただ「野鴨です」と答えた懐海は不覚だった。そこで馬祖は第二問を発する。「どこへ行ったのか」懐海はまだわからない。「飛んで行ってしまいました」一緒に見ていたのだから馬祖はそんなことは知っている。馬祖はたまりかねて、懐海の鼻を嫌というほどひねり上げた。懐海は思わず「痛い」と言った。そこで馬祖は「飛んで行って何かいないじゃないか」と言った。ここでようやく懐海は問答の真意を悟った。
翌日、懐海は「昨日は和尚に鼻を嫌というほどひねられて痛かった」と言った。馬祖は「昨日お前はどこに心を留めていたのかね」と尋ねる。懐海は「今日は痛くありません」と答えた。これは今日からは目が覚めたという意味である。馬祖はそれを見て、「お前は深く『今日』の意味がわかったのだね。」と笑った。これは懐海も鴨になれて初めて心が開けたという意味である。修行者ではないのでわかりかねるところも多々あるが、自在に鳥にも雲にも岩にもなれて、大安心の心をつかむことが禅の修行の目指すところである、という。私は鈴木俊隆禅師が「禅者が鳥をみたら彼は言うだろう、あの鳥は私だ」と言って鳥の鳴き真似をしてみせたのをユーチューブで見たのを思い出した。秋月龍禅師も、星を見て俺が光っていると思わず口走るのが禅の境地だとどこかで言っていた。
分別が付く前の子どもも空を行く雲を見て、僕は空で雲で鳥のさえずりだと思うだろう。私と他者は未分化のままで、裸の知覚の戯れをともに分け合っている、そういう未分化の知覚の共有が後に他者の存在を認める原体験になる、とメルロポンティも考えていたようだ。
禅僧に鼻を手ひどくひねられて野鴨になって飛ぶ風を知る



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