超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">蟹座の誕生日デイズ</span>

2010-06-24 15:12:57 | 無題

もうすぐ誕生日だ。誕生日の前はなるべく自分の好きなものを集めて味わって過ごす。
先週は飯田橋のサパナというネパール料理屋さんで音楽をやっている予備校時代からの友人と会食した。それに先だって彼が所属しているゴスペル団体のチャリティコンサートがあって、それを話題に飲んだ。タンドリーチキン、シシカバブ、カレー二種、ヨーグルト、チャイとネパールビールを頼んだが、ボリューム感たっぷりで美味しかった。彼が言うにはゴスペルには文法に合わない歌詞が結構ある、慣用的な表現だろうとのことだった。私はゴスペルの文法書を作る文法学者の苦心を空想した。
先日は同窓会で深大寺に行った。深大寺そば湧水で、湧水そばとそば羊羹を食した。そば羊羹はそば湯ゼリーと小豆とそば粉入りそば湯ゼリーの三層構造で、プルっとした食感が絶妙である。それから参道で落花生飴を買い、本堂でお参りをした後、参道を抜けて神代植物公園に行き多種多様なバラをバラ園で見て記念写真を撮り、温室で南国情緒を味わって汗をかいた後、曼殊苑という喫茶に入って、みかんジュースや珈琲を飲んだ。皆それぞれの人生を背負っているのだが、とりとめのない話をしていると一瞬そんなことは忘れてしまう。
月曜は神保町の中古CD屋さんで探していたハイティンクのアダージョ~マーラーを見つける。誕生日ラックである。水曜は吉祥寺の中古CD屋さんをみた。ショルティのマーラー全集があったが、私は既に持っている。誕生日の前はベートーヴェンやシューベルトのピアノソナタを聞いて過ごすのが定番だが、今年はオルベルツのハイドンのピアノソナタ全集やマリア・ジョアオ・ピリスのモーツァルトのピアノソナタ全集を聞いて誕生日を待っている。ピリスのモーツァルトは思春期の情熱的だが淡い夢想のようだ。
モーツァルトのピアノソナタ集で気に入っているのは瞑想的なクラウディオ・アラウや天使の笑い声のフリードリヒ・グルダのモーツァルト・テープスと言われる録音があるが、ピリスの青春の息吹も捨てがたい。
きのうはミヒャエル・ギーレンのベートーヴェンの交響曲全集のDVDを流しっ放しにして作業をしていた。最近読んでいるのは龍渓書舎のパウサニアスのギリシア記とラッセルの西洋哲学史である。パウサニアスのギリシア記は既に全盛期を過ぎてしまったギリシアをノスタルジーの視線で辿っているところが独特だ。歴史とレトロスペクティヴという視点が生まれる。そんなこんなで蟹座の私がまた一つ年を重ねる。
思春期の夢想も遠い年代に振り返りつつまた走りたい



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<span itemprop="headline">ミャンマー料理とハイドンの日々</span>

2010-06-11 22:30:52 | 無題


昨日の夜は高田馬場のミンガラバーというミャンマー料理屋さんで友人と食事をした。
マトン・カレー、鶏モモ肉とピラフのセット、辛口のきしめんの炒め物を食べ、ミャンマービールを飲んだ。その友人にリゲティ・ワークスというボックスセットを貸したら何という情報量の多さだと言っていた。本に載っているイラストを見せて、誰の絵だと尋ねて原マスミだと言っていた。この友人は驚くべき量の本を趣味で買う。私も何のわだかまりもなく、楽しい気持ちで本屋に行けたらいいのにと思う。
昨日は秋月龍氏の「禅問答」を読み終えた。同じことをした二人の僧の一方がほめられ、一方がけなされるという公案があり、それを悟りの深さで振り分けたのだと考えたらまちがいで、良いも悪いもない、自由な境涯でしゃべっているのだ、という解説がついている。こういう人を食った公案が一杯載っていて興味が尽きない。
今日はデンオンから発売されているオルベルツのハイドンのピアノソナタ全集を聞いていた。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のハイドン四重奏集やドラティのハイドン交響曲全集もそうだが、ハイドンは人の心の傷のある部分に優しく作用する。ピアノソナタ全集の曲はモーツァルトに似ているが、時折憂愁を帯びた珠玉の小品揃いである。今日はバーンスタインのドイツグラモフォンのマーラー全集も聞いた。
バーンスタインのマーラー全集には三種類あって、60年代のニューヨークフィルが中心のCBSの全集、70年代のユニテル音源と呼ばれる映像でのライヴの全集、80年代のウィーンフィルを中心としたドイツグラモフォンのCDのライヴの全集である。ユニテル音源の映像も80年代の全集もドイツグラモフォンから出ているので紛らわしいが、映像は70年代、ドイツグラモフォンのCDは80年代で基本的に別物である。これらの全集を聞き分けることができたら、違いを楽しむのも味わい深いだろう。
最近、マーラー全集の価格破壊が進んでいる。ついにあの青春大作のシノーポリのマーラー全集が3千6百円で売り出されることになった。タバコフを除けば、個人のマーラー全集でこれだけ廉価なのも珍しい。そんなこんなでミャンマー料理を食べ、マーラーやオルベルツのハイドンのピアノソナタ全集を聞いて、世の荒波をしのいで暮らしている。

荒波に翻弄されて消えそうなその福音をハイドンに聞く



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<span itemprop="headline">自動ピアノと解体した民謡</span>

2010-06-04 12:11:45 | 無題

コンロン・ナンカロウのスタディーズ・フォー・プレイヤー・ピアノを聞いた。機械が弾くいかれたラグタイムみたいな曲が多い。基調はラグタイムやホンキー・トンク、ジャズなどのアメリカ音楽なのである。それを、霊長類には演奏不能な複雑怪奇な変則的リズムで自動ピアノに演奏させる倒錯した快感。ジャズっぽい曲ばかりでなく、タイプライターの音を拾ったような意味不明の非連続音とかいろいろヴァージョンはあるが、いくらグルーヴ感を出されても機械が演奏しているんだから不気味である。その種の倒錯を気持ちいいと感じるようになったら、ナンカロウと同じ自動ピアノおたくの酩酊のとりこである。質感はピアノだが発想がテクノである。逃げ出したくなるか、放心するか、賭けのようなものだ。
それからジェルジ・リゲティ・ワークスを聞いている。リゲティの基本ラインは首を締め付けるような怪音かぎくしゃくしたリズムとメロディの妙である。バルトークから引き継いだと言われる不協和音路線、同じフレーズを反復して重ねて行く解体した民謡のような声楽、これが異様でまた怖い。ボリュームが普段の倍になるぐらいまで合唱の音が大きくなってゆくので近所迷惑であわてて音を絞ったほどだ。
ピアノ曲はナンカロウの影響を受けている。複雑なリズムパターンのいかれた酩酊感。けれどもプレイヤー・ピアノではなく、人が弾く生ピアノなので有機的でナンカロウより近寄りやすい。現代音楽らしいが抒情的でもある名曲は多い。ほとんどぎくしゃくしたリズムとメロディの組み合わせで大作オペラを作ってしまったグラン・マカブルなど奇作揃いである。メトロノームを並べて鳴らした作品などは感心しない。アイディア先行音楽後付けである。
リゲティ・ワークスのなかでは分解した民謡のようなヴォーカル・ワークスや深みのあるキーボード・ワークス(ピアノも含む)がご機嫌で有機的な作品が多くお勧めである。バルトーク流室内楽もクラシックの延長線上で聞ける。ナンカロウはクラシックよりもラグタイムやジャズが底流にある現代アメリカのバッハだが、リゲティの本領はやはりクラシックに片足突っ込んだマッド・サイエンティストの時折見せる抒情にある。リゲティの実験精神はメカニカル・ワークスの方に色濃く出ているのだが、聞いていて心地よいのはキーボード・ワークスとヴォーカル・ワークスだった。ナンカロウの自動ピアノに始まって、奇才リゲティの音の劇場に足を踏み入れ、現代音楽の熊野古道をさまよった数日間だった。
ちなみにフィッシャー・ディースカウの無限連鎖のシューベルト歌曲集はまだ聞き切れていない。



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