超人日記・俳句

自作俳句を中心に、自作短歌や読書やクラシックの感想も書いています。

<span itemprop="headline">名言煎餅とハードデイズナイト</span>

2018-01-29 20:13:21 | 無題

急な仕事で3週間で数十枚の作文が必要となり、休み返上でフル回転している。
今まで書いたメモ書きが大いに役に立ちそうだ。スケジュールは超タイトである。

怠け者になりなさい、呑気に暮らしなさいという水木しげる煎餅の名言を実行できずにいる。
2月の始めは旅の予定も入っているのでそのあと火の車である。
バーリアル・ノンアルで疲れをごまかしながら作文に次ぐ作文である。
ヘルマン・シェルヘンのマーラー9番を聞いて、バーリアル片手に作文業である。

気分転換にベーカリーまで散歩に行き、珈琲飲みながら、作文の落としどころを思案する。
どうして私はこの数年ノンストップでハードデイズナイトなのか。
自発的作文をひそかに計画していたのに、超特急作文が避けられない。
水木しげるの自伝マンガでカネダマのマボロシが飛ぶのを目撃してから激変したと書いてある。
カネダマが来るほど好転してないが、ハードデイズナイトに舵を切ったのは確かである。
使える本がアマゾンから届かない。吊り橋を渡っているような気分である。

「独りで立てるかい?そんな夢から覚めて。
 君の心に佇む友だちピーター、ケイト&ガープ!
 道に迷わないように手を引いてくれる。僕の肩につかまれば山も越えれる。
 どうなんだこんなユーウツはいつまで続くんだろう?ガラス瓶のなかに閉じ込められて…」
 (鈴木博文&慶一作詞)
この曲、実存の溜息を書いた傑作なのに、慶一さんは気落ちするので封印したと言う。

「空き瓶に閉じ込められた憂鬱を机に隠し仕事続ける」とこの曲を聞いてかつて書いた。

 同じ空見ているはずの友だちを目蓋に浮かべ書けぬ字を書く



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">橋を渡って珈琲を啜る</span>

2018-01-27 09:15:16 | 無題

一月の仕事もほぼ終わり。
今ボーンマス響とベルグルンドのシベリウス1番を聞いている。
重荷が冬景色に溶けて行く。

昨日は午後ホームセンターの裏の橋を渡った斜面の麓の珈琲店に再訪。
ヘブンリー・ヘブンの別天地の理想の喫茶である。
一人で来ているお客さんさえお洒落に見える。
薪ストーブが暖かく燃えている。四角い迷いの窓から明るい陽が差す。
木目調の広い店内。席同士に間隔がある。
私は近いけどバスで行っている。
バスは一時間に一本しかない。

一昨日は友人と爆笑話する。
ストコ節のトリスタンとイゾルテとか詩学の喜劇の写本を映画で食べる話とか、
イブ・モンタンの「彼は生きている」がζωの「ゼット」という映画の題だとか、
フルトヴェングラーのベートーヴェン2番をメンブランが新録みたいに
リマスターしてほしいとか、面白い話が連発だった。
ヴェーグ四重奏団のベートーヴェン四重奏曲がインティメイトで
室内感が暖かくていいという。私は持ってるので聞き直すことにする。
あと仕事場の手伝いを一日して、記入漏れを足して書類を提出する。
全ての人に受け入れられている気配はないが、
できる限りのことはしている。トータリー・ネイキッド&トータリー・ヌード、
ディープ・イン・ザ・ウッズ&アンディスカヴァード(デヴィッド・バーン)である。

冬空に肩の重荷が溶けてゆき橋を渡って珈琲を啜る



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">ロルカが言ったフォーゲット・ミー・ノット</span>

2018-01-23 16:16:28 | 無題

一月の仕事ももうすぐ終わり。ゴールが見えてきた。
今日は自宅で仕事する。
早く終わったので家にある現時点のベストクラシックCDを掻き集めて聞いている。
まずベートーヴェン交響曲全集はクルト・ザンデルリンク&フィルハーモニア盤。夕映えの美。
ブラームスはチェコフィル&ビエロフラーヴェク。渋い響き。
次点がウィーンフィル&カルロ・マリア・ジュリーニ。雄大な時の流れ。
マーラーはクーベリック&バイエルン放送響。渋い響き。テンポ速い。
ブルックナーはリッカルド・シャイー&ベルリン・ドイツ響+コンセルトヘボウ。深い響き。
シベリウスはベルグルンド&ボーンマス響。じっくり歌う。
チャイコフスキーはバーンスタイン&ニューヨークフィル。熱い演奏。
スジャータの珈琲を飲んで一人交響曲祭を開催中。
全てが無事着地しますように。
毎回そんなことばかり書いている。
分け入っても分け入っても青い山(山頭火)である。
走り続けて明かりが見えてきた。とりあえず出口は近い。

ガルシア・ロルカの映画でロルカが主人公の少年の持っていた詩集に「僕を忘れないで」と書いていた。
少年とさよならするときも「僕を忘れないで」と繰り返し叫んでいた。
ロルカの最期を想うと切ない話である。
please,please,please,forget me not…である。
自分の面影を残しておいてほしいのは叶わぬ願いである。
ブログの一行でも生きた記しになるのだろうか。
please,please,please,forget me not…である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">歌っていいのは夜か自分か</span>

2018-01-18 21:44:03 | 無題

今日の仕事も何とか無事終わる。
今は忙しいが20日のメンブランのシェルヘンのマーラー交響曲集発売を励みにしよう。
「どちらにしようかな天の神様の言う通り」の後
あべべのべ と言うのが普通だと思っていたら、
神奈川では、なのなのな というらしい。
各地に違う言い方が広まっている。民間伝承である。
また「結んで開いて」という童謡の広がり方も興味深いものらしい。
インターネットでホワイトアルバムのデモテープを聞いていたら、
ジェラス・ガイという曲と全く同じ旋律で
ネイチャー・チャイルドという曲をジョンが歌っていた。
ポールのマザーネイチャーズサンという曲と歌詞が似ている。
マハリシのところへ行って、「自然の子ども」という感覚が湧いていたに違いない。
ジェラス・ガイのメロディは結構古い作の使い回しなのだな。
今日はディープな映像を見て、夜はバーリアル飲んで
オタケン盤のブライトクランクの英雄&未完成を聞いてくつろぐ。
「ピアノ、ピアノ、夜と夜のピアノ、もう歌ってもいいんだよ、歌ってもいいんだよ、」
という曲が原マスミさんにはあるが、仕事が終わるとよく思い出す。
だが私は「ピアノ、ピアノ、僕と僕のピアノ、もう歌ってもいいんだよ」と
覚えてしまっていて、間違いを指摘される。
だが、私にとって僕と僕のピアノに歌ってもいいんだよと声を掛ける方が実感がある。
そちらの方がより切ないのである。
今はユーチューブでいろいろ見れて申し訳ないほどである。
最近気づいたが、追跡防止リストをIEギャラリーから追加すると、
広告を消すアドオンを入れるより負担が相当軽く、
同様の効果が得られるのに気づいた。これはすごい便利でストレスフリーである。
春からも山を越えれることを祈る。

夜遅く手足を伸ばし言い聞かすもう歌っても良いんだよ僕



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<span itemprop="headline">日常を忘れて梯子を昇る</span>

2018-01-13 21:00:05 | 無題

仕事に必要なことをしていた。
世界遺産とか神社風景で山の修行場の映像を探していたが、
まだ甘いので迫真の映像を選ぶ。

先日行った山荘風の木目調の広い喫茶店は薪ストーブがあり、
窓から光が入り、木調卓や布のソファがあり、別天地の理想の喫茶店だった。
しばらく日常を忘れた。理想郷である。
山のすそ野に建っている。
今日は夜ようやくバーリアル飲み、
シェルヘンのマーラーで持っているのを聞く。
ミトロプーロスのマーラー3番79分も熱気にあふれていて良かった。
今、シェルヘンのマーラー9番の最終楽章を聞いて憩っている。

今日はもう少し休んでシャワー浴びて全てをリセットして眠ろうと思う。
今年は去年のストックも多少あるが、
結局、出たとこ勝負な局面がまだまだある。
一年で相当量のメモ書きしたが、この春もペースを落として続ける予定。
その他に作文の当てもあるのでこの春、作文業にも力を入れたい。
いろいろノイズも入って来るが、前へ歩くしかない。

「道に迷わないように手を引いてくれる。僕の肩につかまれば山も越えれる。
 独りで立てるかい?ドアのキーを開けて(鈴木慶一、博文「何だ?このユーウツは!」)」


 マーラーで天の梯子を昇ったら眠りに就こう全て忘れて



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする