CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

まちなかコンサート at 神戸国際会館 on 2017-5-3

2017年05月03日 16時44分20秒 | 神戸情報
本日(2017-5-3)はインフィオラータ 北野坂を観るために出かけていました。

帰りに偶然、表題のイベントに出くわしましたので写真紹介します。
現在、神戸国際フルート音楽祭関連のイベントが開催中で上記イベントもその一環だと思います

まちなかコンサート at 神戸国際会館 on 2017-5-3の基本情報

日時:2017年5月3日 1st 14:00~ 2nd 15:00~
場所:神戸国際会館地下1階 サンクンガーデン
主催:神戸市・株式会社神戸国際会館
出演者:室田涼子、住野智子






上の写真がイベントの様子です。


上の写真は1stの演奏予定の曲目です
14時12分くらいにきましたので曲目としては4.花は咲く 5.ドレミの歌 6.キラキラ星変奏曲

天候も良く、軽快な音楽を楽しむことが出来ました(しかも無料で)




上の2枚の写真演奏者のプロフィール(配布リーフレットより)

小生の関連ブログ:第8回 神戸国際フルートコンクール 始まる on 2013-3-28
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日本茶のルーツ 日吉茶園 と最澄の生誕地「生源寺」 on 2017-4-13

2017年05月03日 05時18分19秒 | 滋賀県情報
2017年4月13日、日吉大社の山王祭を観るために京阪電鉄坂本駅に来ていました。

その時、偶然ではありますが日本茶のルーツ 日吉茶園を見つけました。

昨日(2017-5-2)は2017年の八十八夜で、お茶の季節でもありますので紹介することになりました。


上の写真が日吉茶園です。

京阪電鉄坂本駅を下車してすぐの東側に日吉茶園があります。

日吉茶園最澄(767-822)が延暦24年(805)に中国の唐から持ち帰ったお茶の種を
植えたとされる茶園で日本茶のルーツの地と言えます。

わが国で初めて「お茶を飲むという」意味での発祥は最澄と四方に唐に渡り帰朝した梵釈寺の
永忠(えいちゅう)が滋賀に訪れた嵯峨天皇にお茶を献じた弘仁6年(815)です。

日吉茶園の基本情報
住所:大津市坂本4丁目 京阪坂本駅前の東すぐ
問い合わせ先:坂本観光案内所 077-578-6565



上の写真は京阪坂本駅前の地図で日吉茶園の位置が書かれています。


上の写真は日吉茶園の現地説明板です。

この説明板には上述の内容に加え山王祭で4基の神輿に献茶する儀式があること。

比叡山延暦寺浄土院で伝教大師最澄の命日に行われる「長講会(ちょうこうえ)」でも献茶される
ことが記載されています。


上の写真は大正10年に日吉大社が建立した由来碑です。




上の2枚の写真は伝教大師最澄の生誕地 生源寺
 最澄の生誕は2説あり確定されていない。
  1.神護景雲元年(767)出生説

  2.天平神護2年(766)出生説


生源寺の境内に延暦寺を開いた伝教大師最澄が産湯を使ったという井戸が残る。
最澄は、古市郷(膳所から南郷あたり)の生まれとの記録もあるが延暦寺のお膝元・坂本には
最澄出生にまつわる旧跡が多く、他に出産時の胞衣(えな)を埋めた塚や父でこの地方豪族として
知られた三津首百枝(みつのおびと ももえ)の屋敷跡(現在の本堂の位置にあった)などがある。
最澄の母、藤原藤子(とうし)は貴族の出であった。






上の3枚の写真は最澄の両親「三津首 百枝」と「藤原 藤子」
出典:2017年1月13日 BS-TBS 高島礼子 日本の古都 比叡山の謎


天台宗の開祖として有名な最澄についての解説 By Wikipedia(一部加筆)
最澄(さいちょう)(767-822)は、平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)の豪族の家に生れ、
俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。

先祖は後漢の孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に
渡来したといわれている。
767年 坂本の地に生誕

780年、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し名を最澄と改めた。

785年、19歳のとき東大寺で具足戒を受ける。同年7月、比叡山に登り山林修行に入り、
      大蔵経を読破。

788年、22歳で比叡山に延暦寺を開く

805年5月、帰路の途中和田岬(神戸市)に上陸し、最初の密教教化霊場である能福護国密寺を開創

806年(大同元年)1月、最澄の上表により、天台業2人(止観業1人、遮那(しゃな)業1人)
    が年分度者となる。これは南都六宗に準じる。これが日本の天台宗の開宗である。

822年6月26日(弘仁13年6月4日)、比叡山の中道院で没

最澄の弟子には円仁(慈覚大師)、円珍などがいる。
最澄の死後、嵯峨天皇から日本初の「伝教大師」の称号が与えられた。

天台宗は密教系の宗派で現存の寺院は数多い。
延暦寺を台密、大日経義釈による京都東寺を東密という。



上の写真は神戸市兵庫区の能福寺にある最澄像

関連ブログ:最澄像 in 神戸市兵庫区能福寺 on 2012-4-10
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