CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

[懐古行列」華やか 17年ぶり復活 神戸まつり 産経新聞報道より

2017年05月22日 09時59分55秒 | 神戸情報
「懐古行列」華やか 17年ぶり復活 神戸まつり

産経新聞の報道へのリンクで2017-5-19の懐古行列を紹介します。

懐古行列は昭和8年(1933)11月7・8日の初回から1969年まで、「みなとの祭」のメイン行事として人気を集めたが、同祭が神戸まつりに変わった際に消滅。第30回神戸まつり(2000年)での復活以来、神戸開港150年ということもあり17年ぶりに企画された。1969年からは実に47年ぶりの復活である。第47回神戸まつりの2日目の昨日(2017年5月19日)の16時過ぎに神戸市中央区元町通り6丁目に集合した61人神戸所縁の人物に扮した出演者が三宮センター街まで約1時間半かけて練り歩きました。

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昭和8年(1933)11月7・8両日開催の第1回 神戸みなとの祭

2017年05月22日 07時23分29秒 | 神戸情報
はじめに(神戸みなとの祭開催までの時代背景)

昭和2年(1927年)2月の片岡直温大蔵大臣の大失言(「渡辺銀行が行き詰まった」)により、
同年の3月15日東京渡辺銀行などが取り付け休業となり昭和恐慌が始まっています。
既に経営不振に陥っていた神戸の「鈴木商店」が同年4月に破綻した。
昭和3年(1928)の4月には第2次山東出兵、同年6月4日には張作霖爆殺事件など軍部が
台頭し経済危機打倒を旗印に対抗勢力を治安維持法により取り締まりが強化された。
昭和4年(1929)10月24日にはNY市場で株価の大暴落(暗黒の木曜日)で世界恐慌
「大学は出たけれど」就職先なしの流行語も生まれた。昭和6年(1931)満州事変が勃発し、
国際社会で批判の目が向けられるようになっています。しかし、満州事変により、海運業界は
活況を呈し、鉄鋼と造船の町である神戸は、この軍需景気の恩恵を蒙り、経済状態も少し息を
吹き返した。
このような時代状況の中、神戸市は時代の不安な気分を払拭しようと
昭和8年(1933)11月7日、8日の2日間、第1回「みなとの祭」を開催した。


第1回 神戸みなとの祭の行事内容

出典:「神戸みなとの祭  第1回(昭和8年11月7・8日)」著者:神戸市民祭協会 編
    出版者:神戸市民祭協会


上記の文献に行事内容と写真が添付されていますので簡単に紹介していきます。

第1 日(11月7 日)
・神事祭典(大倉山公園) 9:00~11:00
・祭の女王戴冠式(兵庫突堤) 12:30~ 
  菊の生花で飾られた自動車に搭乗 国際大行進の先頭として出発
・国際大行進(市内) 13:30~
・神戸ナイト(海上提灯行列) 夜間 打ち上げ花火(南防波堤、東防波堤、中央突堤先端)
・音楽演奏(湊川公園, 外人劇場) 午後
・学校児童生徒体操大会, 旗行列(原田の森、市民運動場に集合) 10:00~
・市民大祝賀会

第2 日(11 月8 日)
・懐古行列(市内) 12:30~  550名参加
・スポーツ諸会 10:00~

二日間に亘る行事
・菊花展覧会(大倉山公園、湊川公園)
・花電車及び市内装飾
・港湾巡覧
・市内各町の行事

第1回 神戸みなとの祭の写真集


上の写真は「国際大行進」の出発の風景


上の写真は「花の女王と王女の花自動車」


上の写真は「花自動車」


上の写真は「懐古行列」出発前




上の2枚の写真は「花電車」




上の2枚の写真は「懐古行列」

懐古行列のテーマは次の3つ
 1)源平合戦

 2)楠木正成の忠孝

 3)神戸港開港前後の経過


懐古行列の見方という小冊子が作成されています。


上の写真は懐古行列の見方の著者 岡久渭城の「はしがき」の部分

内容についてもう少し詳しく記述します。

1)源平合戦: 福原遷都から一の谷合戦迄 1~20番まで

2)楠木正成の忠孝:大楠公の聖駕奉迎 1~12番

3)神戸港開港前後の経過:

  ・談判から開港まで 1~7番

  ・七卿落の思い出 1~5番

  ・神戸海軍操練所 1~7番

  ・開港当時の姿  1~16番


上の写真は出典の表紙(兵庫県立図書館の蔵書)  


上の写真は昭和8年(1933)頃の神戸市街図


「みなとの祭」は昭和8年以降も回を重ねますが、次第に戦時色を濃くし、賑やかな催しは中止され、
神事だけが行われるようになりました。戦後、昭和23年に復活し、 25年の神戸博覧会を機に懐古行列が、
その翌年に国際大行進が加わり次第に戦前の賑わいを取り戻していきました。


上の写真は「第28回 みなとの祭」の行事内容を記したものです。 


関連サイト:

神戸新聞 2018-11-9電子版
https://www.kobe-np.co.jp/news/odekake-plus/news/detail.shtml?news/odekake-plus/news/pickup/201811/11804880

http://blog.livedoor.jp/liveyousan/archives/12396296.html

神戸アーカイブ写真館
https://kobe-shashinkan.jp/archives/author/itoi/page/45

神戸女子大学図書館
http://lib.yg.kobe-wu.ac.jp/exhibition39.html

みなとの祭 主題歌
http://zariganisan.web.fc2.com/kobep/kobep1.htm

神戸まつりの歴史
http://www.kobe-matsuri.com/history/

近代神戸略年表
http://www.city.kobe.lg.jp/information/about/energy/rekishi/nenpyo.html

リンクが上手くいかない場合
神戸市トップページ > 総合メニュー > 市政情報 > 市について > 市勢要覧 > 歴史 > 近代神戸略年表

又はトップページより「近代神戸略年表」で検索

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第47回神戸まつりで17年ぶりに復活した懐古行列 on 2017-5-19

2017年05月21日 06時56分33秒 | 神戸情報
第47回神戸まつりの2日目の一昨日(2017年5月19日(金))の16時過ぎに
神戸市中央区元町通り6丁目に集合した61人神戸所縁の人物に扮した出演者が三宮センター街
まで約1時間半かけて練り歩きました。写真と動画で紹介します。

懐古行列は昭和8年(1933)11月7・8日の初回から1969年まで、「みなとの祭」の
メイン行事として人気を集めたが、みなと祭が神戸まつりに変わった際に消滅。
第30回神戸まつり(2000年)での復活以来、神戸開港150年ということもあり
17年ぶりに企画された。1969年からは実に47年ぶりの復活である。


上の写真は古代を彩る人たち 7人、武家時代の人たち11人、有馬温泉を愛した人たち4人
合計22名の方々が神戸駅前に勢ぞろいし「いざ 出陣」の掛け声で気勢をあげました。


上の写真は勢ぞろいした武人に扮した方々


上の写真は聖徳太子(左)と紫式部(右)



上の写真は行列の先頭の栄誉を得た神功皇后


行列の先頭の前を雅楽の演奏とプラカードで先導する生田雅楽隊の皆様と神戸まつりの応援スタッフ


上の動画は「懐古行列」先頭から古代を彩る人たち 7人、武家時代の人たち11人まで
元町通り6丁目の出発地点付近


上の写真は古代を彩る人たち 7人

1.神功皇后(成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)13代仲哀天皇(148-200)の皇后
   神戸の三恩人(ほかに平清盛、伊藤博文)の一人
   所縁の場所:敏馬神社

2.聖徳太子(574-622) 所縁の場所:会下山公園、無動寺、鏑射寺(かぶらいじ)
   関連ブログ:聖徳太子墓(叡福寺北古墳)訪問記 on 2014-12-2
         
         法隆寺 on 2015-12-20 その10 (最終回) 法隆寺大宝蔵院の百済観音

3.4.松風・村雨 在原行平との悲恋伝説の姉妹
   所縁の場所:松風・村雨堂、松風・村雨の墓、須磨海岸(須磨琴)

5.空海(774-835) 真言宗の開祖
   所縁の場所:須磨寺、天上寺、大龍寺

6.光源氏 紫式部作「源氏物語」の主役
   所縁の場所:現光寺

7.紫式部(973?-1014?)源氏物語の作者
   所縁の場所:伝紫式部の塔(北区藍那)

   関連ブログ:伝紫式部の塔 on 2012-4-2


上の写真は武家時代の人たち11人

8.平清盛
(1118-1181)平安時代末期の天下人 神戸の三恩人(ほかに神功皇后、伊藤博文)
   所縁の場所:福原一帯、清盛塚、能福寺、熊野神社、厳島神社、東福寺、雪見御所跡
         その他数えきれないほど多くの場所があります
   
9.平重盛(1138-1179) 平清盛の長男後継者
   所縁の場所:布引の滝

10.平頼盛(1133-1186)平清盛の弟(異母)
   所縁の場所:荒田八幡神社

息が切れてきたのでこれからは名前のみを記載していきます。
11.平敦盛

12.源義経

13.武蔵坊弁慶

14.熊谷直実

15.後醍醐天皇

16.楠木正成

17.足利尊氏

18.梶原景季




上の動画は「懐古行列」武家時代の人たち11人から有馬温泉を愛した人たち4人まで


上の写真は有馬温泉を愛した人たち4人の行列

19.行基

20.豊臣秀吉

21.ねね

22.淀君



上の動画は「懐古行列」有馬温泉を愛した人たち4人から最後尾まで


上の写真は「懐古行列」海の覇者たち5人の行列

先頭(右端)は今回の実行委員長である生田神社名誉宮司 加藤隆久氏

23.高田屋嘉兵衛

24.北風荘右衛門

25.工楽松右衛門

26.勝海舟

27.坂本龍馬




上の写真は「懐古行列」神戸の港を支えた英雄 8人の行列

31.J.W.ハートに神木哲男先生が演じられていました。

28.生島四郎太夫

29.陸奥宗光

30.加納宗七

31.J.Wハート

32.伊藤博文

33.神田孝平

34.J.マーシャル

35.森垣亀一郎
  関連ブログ:神戸はじめ物語 その13 日本で初めてのケーソン工法を神戸港で実施 By 森垣亀一郎




上の写真は「懐古行列」神戸の文化を担った人たち 6人の行列

36.L.ハーン

37.W.モラエス

38.福本ヨネ

39.池長孟

40.小磯良平

41.川西英








上の3枚の写真は「懐古行列」神戸の産業を担ったビジネスマン 5人の行列

神戸の文化を担った人たちの最後尾 41.川西栄を演じた青山大介さんも写っています。

42.L.H.ハンター

43.平野愛子

44.鈴木よね

45.金子直吉

46.川崎正蔵



上の写真は「懐古行列」六甲山を愛した山男 4人の行列

47.A.C.シム

48.A.H.グルーム

49.本多静六

50.加藤文太郎





上の2枚の写真は「懐古行列」神戸に人材を育てた教育者 5人の行列

最後尾の白衣を着た55.J.C.ベリーさんを演じた方はカメラ目線に愛嬌を振りまいておられました。

51.間人たね

52.E.タルカット

53.W.R.ランバス

54.水島銕也

55.J.C.ベリー


上の写真は「懐古行列」神戸の衣食住を育てた人たち 3人の行列

56.藤井元治郎

57.H.フロインドリーブ

58.M.ゴンチャロフ



上の写真は「懐古行列」神戸の福祉・社会事業に尽くした人びと 2人の行列

59.呉錦堂

60.孫文


神戸の衣食住を育てた人たちの最後尾、58.ゴンチャロフ(ウイスキーを持った白い服)の存在感がある


上の写真は「懐古行列」神戸の福祉・社会事業に尽くした人びと 2人と戦中最後の沖縄県知事
61.島田叡 久元喜造市長が演じられていました。




上の写真は昭和8年(1933)11月8日 第1回 みなとの祭の「懐古行列」の様子です。


上の写真は三宮センター街を行進する「懐古行列」
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明治4年(1871)と明治24年(1891)神戸居留地を襲った台風による被害

2017年05月20日 04時57分12秒 | 神戸情報
明治4年5月17日 (新暦換算1871年7月4日)に神戸を襲った台風直後の、雑居地海岸通の写真と
明治24年(1891)8月16日の台風による海岸通りの被害状況の写真がジャパンクロニクル紙が
大正7年(1918)に編集発行した「ジュビリーナンバー 1868-1918」に掲載されていました。

この写真を利用して被害状況を記述していきます。

1.明治4年(1871)の台風被害

上の写真が1871年の台風被害状況です。

メリケン波止場付近から西方を望んだもので、右端の、ベランダの破壊された建物は、建築中の
ヒョーゴ・ホテル(1918年時点では米国領事館N.Y.K現在の郵船ビルの場所にあった)で
土台は掘り起こされ、ベランダは破壊された。
メリケン波止場の東側にある小さな税関の監視所は吹き飛ばされた
Hiogoホテルの西側の2軒の家屋のバランダも全壊した。
居留地での浸水は3ft(90cm)、日本人の居住地区では5ft(1.5m)
汽船8隻が陸地に吹き上げられた。居留地から西の海岸は兵庫にかけて被害が大きく
溺死・不明24人 大小船舶の破損も500隻以上


2.明治24年(1891)の台風被害


明治24年(1891)8月16日の台風では暴風雨が最も激しい時に丸太の繋留ロープが切れ
兵庫の丸太が流出、湾を横切って海岸通りの岸壁に激突破壊された場所から海水が居留地に
流れ込んだ。港内の汽船や艀もロープが切れて岸壁にたたきつけられた。

死者3人、家屋流出3戸、倒壊27戸、大破54戸、床上浸水147戸、床下浸水750戸
港湾破損39箇所、船舶流失4隻、船舶破損164隻の被害が出た


上の写真(地図)は明治35年(1902)12月10日 清水吉康 著 川上乾一 発行
田村豊盛堂 出版社の大阪全図の中の付属図で神戸市街地の当時の地図です。

海岸通りの前面に防波堤がすでに建設されています。
この頃になると東の防波堤の建設の効果も相まって護岸壁が波浪により破壊されることは
なくなっている。

参照サイト:六甲山系災害史(兵庫県)

      気象災害(戦前・戦中編) - 防災情報、地震災害情報のトップニュース
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神戸市埋蔵文化財センター春季企画展 「発見! 遺跡のどうぶつたち」 on 2017-5-13

2017年05月18日 05時31分01秒 | 神戸情報
2017年5月13日、神戸市埋蔵文化財センターで開催されている2017年春季企画展
「発見! 遺跡のどうぶつたち」を見学しましたので写真紹介します。

併行して14時~15時30分表題の企画展の解説をする講演会もあり聴講しました。
講演会での話も含めて展示の内容を簡略に観ていきます。



上の写真は西神中央公園の入口に設置の企画展の看板

神戸市埋蔵文化財センター春季企画展 「発見! 遺跡のどうぶつたち」の基本情報
会期:平成29年(2017)4月15日(土曜)~5月28日(日曜)
場所:神戸市埋蔵文化財センター  神戸市西区糀台6丁目1 西神中央公園内 TEL:078-992-0656
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:5月22日(月曜) 入館料:無料
公式サイト:http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/



上の写真は2017年度の神戸市埋蔵文化財センターの企画展スケジュール


上の写真は今回の企画展「発見! 遺跡のどうぶつたち」挨拶文パネル


上の写真は展示室の遠景


上の写真は主役の動物たち(イノシシ、ニヒンシカ、イヌ、サル、タヌキ)の剥製

1.動物を食べる




上の2枚の写真は動物を食べるコーナーの展示
縄文時代の石の鏃(二宮東遺跡、玉津田中遺跡、滝の奥遺跡)

弥生時代の新方遺跡出土のシカ・イノシシ・イヌ・イルカの骨及びアザラシ類の骨が展示
  イノシシが50%、シカが44%でこの2つが弥生時代のメインの肉
  縄文時代、イヌは猟犬として利用されていたが弥生時代になると食用にもなった


上の写真は上述の縄文人が犬を現在と同じようにペットとして飼っていたと思われる遺構



魚類の採取道具と骨、貝類の展示

ニホンジカの骨格標本:兵庫県立人と自然の博物館所蔵

参考ブログ:神戸市埋蔵文化財センター2013年夏企画展「発掘された骨たち」の展示から


2.動物を描く 



馬形埴輪(住吉宮町遺跡、住吉東古墳)

高塚山2号墳の石室石材

装飾付須恵器(篠山市 箱塚4号墳)


上の写真は「土器に描かれた動物たち」の展示


上の写真は「想像上の動物たち」の展示


上の写真は土人形、動物が描かれた陶磁器(兵庫津遺跡)

亀形の硯(宅原遺跡)が面白かった
和鏡、鳳凰の飾り金具(滝の奥遺跡)も貴重


上の写真は「まじないに使われた土製品」の展示

3.動物と働く




上の写真は「動物と働く」の展示

狩口台きつね塚古墳出土金銅装馬具他が展示

住吉宮町遺跡で長年飼われていた馬が埋葬される写真パネルに興味があった。







上の3枚の写真は稲作など農耕に関する動物と道具(馬鍬)
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花百咲(はなひさき)でのランチ on 2017-5-11

2017年05月17日 05時43分54秒 | 神戸情報
2017年5月11日(木)に食べた花百咲(はなひさき)でのランチを
写真紹介します。

花百咲の基本情報
料理ジャンンルは和食
住所:神戸市垂水区神田町4-31    TEL:078-708-0911
定休日:日曜、祝祭日


Goo地図はこちら
 

過去に何回か紹介していますが久しぶりに行ったので紹介することにしました。
定番で行く店の一つです。
特徴として陶器の窯でご飯が炊かれておりご飯が美味しい。



上の写真は当日いただいたビーフシチューの定食です 900円(税込)

奥様も同じものを選択しました。

過去の訪問記:

    花百咲(はなひさき)での昼食 on 2010-6-12

    花百咲(はなひさき)での昼食 on 2010-10-16

    花百咲(はなひさき)での昼食 on 2012-4-17

    花百咲(はなひさき)でのランチ on 2012-7-17

    花百咲(はなひさき)でのランチ on 2012-9-6

    花百咲(はなひさき)でのランチ on 2014-3-19
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西神ニュータウン 養田中の池遺跡 訪問記 on 2017-5-13

2017年05月16日 05時20分13秒 | 神戸情報
2017年5月13日に西神ニュータウン 養田中の池遺跡を訪問しましたので写真紹介します。

養田中の池遺跡は弥生時代の土器が多数出土している長福寺裏山遺跡として知られていましたが
発掘調査の結果、標高90m前後の丘陵上に立地する高地性集落であることが判明。

神戸市教育員会のサイトで簡単に解説されていますのでリンクさせていただきます。
 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/center/spots/html/nishi/youta.html

養田中の池遺跡の所在地
神戸市西区高塚台6丁目  現在は養田中の池緑地になっています。

神戸市教育員会のサイトにもアクセスの詳細情報があります。


上の写真はGoogleの地図に養田中の池遺跡の位置を示しました。
地図からも明石川流域方面を一望できる立地であることが判ります。

この地図へのリンク


上の写真は丘陵の一番高い位置に建つ東屋です。


上の写真は住居跡。丘陵の尾根と斜面で竪穴住居が14棟以上発見されました。

出所:神戸市埋蔵文化財センター編 西神ニュータウン内の遺跡(平成18年(2006))


上の写真は養田中の池遺跡跡の遠景 東屋も写っています。




上の写真は神戸市開発局1級基準点と銘板(上述の東屋の近くにありました)




上の2枚の写真は養田中の池遺跡の西端で一辺約10mの方墳(古墳時代初頭)が見つかっています。
2基以上の割竹形木棺と土器棺が検出


上の写真は養田中の池遺跡から出土の土器

冒頭に記載の長福寺には弥生時代の土器が多数展示されています。
以前の訪問記にリンクしておきます。
 神戸六地蔵5番霊場 長福寺 on 2009-8-24

関連ブログ:
 神戸市埋蔵文化財センター 平成28年度春季企画展 見学録 on 2016-4-17
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西神ニュータウン 第55地点遺跡 訪問記 on 2017-5-13

2017年05月15日 04時43分12秒 | 神戸情報
西神ニュータウンは、52年前の昭和40年(1975)に神戸市総合基本計画の策定に伴い建設が開始

西神ニュータウンの中には下記の住宅団地と産業団地があります。

住宅団地:西神住宅団地・西神住宅第2団地(西神南ニュータウン)・神戸研究学園都市の3団地
産業団地:西神工業団地(西神インダストリアルパーク)・西神第2工業団地(神戸ハイテクパーク)
           ・神戸サイエンスパーク・神戸流通業務団地(神戸流通センター)の4団地


街開きは西神住宅団地が1982年、西神住宅第2団地が1993年、神戸研究学園都市が1985年である。

昭和45年(1970)には4月には都市計画地域内の埋蔵文化財が航空写真、地勢調査などから
調査され85地点で遺跡の存在の可能性が高いとの報告がありました。

西神ニュータウン内の遺跡の調査は昭和45年(1970)の第一次調査から平成7年(1995)まで25年間
実施されています。

2017年5月13日に西神ニュータウン 第55地点遺跡を訪問し写真を
撮ってきましたので紹介します。

第55地点遺跡の所在地
 神戸市西区春日台7丁目(本来の場所は復元古墳(春日56公園)の西方約200m)

Goo地図はこちら
 

 春日56公園になっています。本来の場所は復元古墳の西方約200m

西神ニュータウン 第55地点遺跡は標高60~80mの丘陵の上にあり明石川を眺望できる
丘陵の上にある遺跡で昭和60年(1985)の発掘調査の結果3基の古墳が検出されました。


上の写真は発掘当時の航空写真で2基の古墳があることが判ります。
B地区の発掘




上の2枚の写真は復元された西神ニュータウン内 第55号地点2号墳(復元)の遠景
本来の場所は復元古墳の西方約200mのところだそうです。


上の写真は現地説明板




上の写真はは復元された2号墳の埋葬施設

石室は地下に埋め込まれているそうです。

2号墳の基本情報

形式:円墳 直径約17m 高さ2.5m
造成時期:4~5世紀
埋葬施設:長さ3.1m 幅0.5mの割竹形木棺
棺内の遺物:袋状鉄斧(てっぷ)、鉄剣、ヤリガンナ状鉄器



上の写真は2号墳から出土した鉄製品

神戸市埋蔵文化財センター編 西神ニュータウン内の遺跡(平成18年(2006))によれば

1号墳は南北11.5m 東西13.4m 高さ1.3mの楕円形墳 
 須恵器杯、脚付短頚壺(きゃくつきたんけいこ)、甕などが出土 6世紀中頃に造成
 埋葬施設は木棺墓と推定

3号墳は南北16.5m、搭載13.5m 高さ1.5mの長方形墳
 ほとんど遺物はないが古墳時代中期のものと考えられます
 埋葬施設は木棺墓と推定


上の写真は西神ニュータウン 第55地点遺跡から出土の土器
(神戸市埋蔵文化財センターの展示)
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西神ニュータウン 第65地点遺跡 訪問記 on 2017-5-13

2017年05月14日 12時51分39秒 | 神戸情報
西神ニュータウンは、52年前ぼ昭和40年(1975)に神戸市総合基本計画の策定に伴い建設が開始

西神ニュータウンの中には下記の住宅団地と産業団地があります。

住宅団地:西神住宅団地・西神住宅第2団地(西神南ニュータウン)・神戸研究学園都市の3団地
産業団地:西神工業団地(西神インダストリアルパーク)・西神第2工業団地(神戸ハイテクパーク)
           ・神戸サイエンスパーク・神戸流通業務団地(神戸流通センター)の4団地

街開きは西神住宅団地が1982年、西神住宅第2団地が1993年、神戸研究学園都市が1985年である。

昭和45年(1970)には4月には都市計画地域内の埋蔵文化財が航空写真、地勢調査などから
調査され85地点で遺跡の存在の可能性が高いとの報告がありました。

西神ニュータウン内の遺跡の調査は昭和45年(1970)の第一次調査から平成7年(1995)まで25年間
実施されています。

2017年5月13日に西神ニュータウン 第65地点遺跡を訪問し写真を撮ってきましたので紹介します。

西神ニュータウン 第65地点遺跡は標高80~102mの丘陵地に立地する弥生時代の中期後半
(2100年前~2000年前)の高地性集落で直径4~6mの竪穴式住居、一辺5~7mの隅丸方形住宅
が合計、15棟検出されています。

西神ニュータウン 第65地点遺跡の所在地


上の写真は西神ニュータウン 第65地点遺跡の場所を示したGoogle地図です

神戸市西区樫野台1丁目にあり、現在は樫野 オリト山公園として遺跡は保存されています。

上の写真は樫野 オリト山公園と記された石碑

オリト山の由来は西神地区栃木の中に小字名として「ヲリト山」からきているようです。


上の写真は樫野 オリト山公園の中の案内図


上の写真は上記石碑のある場所の公園の平坦部


上の写真は登り口の階段








上の4枚の写真は上記登り口にある現地の説明板

神戸市指定文化財に登録された銅鐸の鋳型(一対で銅鐸の鋳型が見つかったのは、なんと全国初)
で、とても貴重な資料だそうです。
以前は説明板に鋳型のレプリカが展示されていたようですが現在は跡形なし。


上の写真は眺望の良い場所に設置された東屋








上の写真は東屋のある場所に設置された現地説明板


上の写真は東屋からの眺望の説明板


上の写真は発掘調査が行われた頃の西神ニュータウン 第65地点遺跡の航空写真
 出典:神戸市埋蔵文化財センター編 西神ニュータウン内の遺跡(平成18年(2006))


上の写真は竪穴住居跡の遺構 B地区 SB06 (昭和59年度 神戸市埋蔵文化財年報 Page32)
 出典:神戸市埋蔵文化財センター編 西神ニュータウン内の遺跡(平成18年(2006))




上の2枚の写真は弥生中期の土器と石斧
 出典:神戸市埋蔵文化財センター編 西神ニュータウン内の遺跡(平成18年(2006))



上の写真はお祭り広場


上の写真はお祭り広場に掲示されていた地図と説明板


上の写真は公園内に設置された関西電力の樫野変電所
この場所でも平成7年(1995)に発掘調査が行われています。

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阪神岩屋駅 on 2017-4-24&5-12

2017年05月12日 16時54分03秒 | 神戸情報
阪神岩屋駅について2017年4月21日と5月12日に撮った写真より紹介します。

阪神岩屋駅は明治38年(1905)4月12日 の 阪神本線の開業と同時に開業しています。




上の写真は阪神岩屋駅の改札口(現在は1箇所のみ)と岩屋駅改札口広場内のミュジアムロードの看板
撮影:2017-5-12


上の写真は阪神岩屋駅のホーム 撮影:2017-4-21


上の写真は阪神岩屋駅の下り方面の岩屋駅のホーム内の駅表示板 撮影:2017-4-21


上の写真は阪神岩屋駅でかって使用されていた東口階段 撮影:2017-4-21

かつては島式ホーム1面2線を有していたが、阪神・淡路大震災後、駅の南側に再開発地帯「HAT神戸」が
整備されたため、平成11年(1999)から平成13年(2001)にかけて駅舎移転などの改良工事が実施された

改良後は掘割部分に方向別単式ホーム2面2線を有し、エレベーターとエスカレーターが設置されている
それに伴い東口の改札口は閉鎖された。

Wikipediaより阪神岩屋駅の歴史年表を添付します。

1905年(明治38年)4月12日 - 阪神本線の開業と同時に当駅が開業[1]。
1933年(昭和8年)6月17日 - 当駅以西が地下線に切り替え[1]。
1938年(昭和13年)7月5日 - 阪神大水害の被害を受け本線が不通となる。
              7月22日西灘-三宮間開通、8月16日本線復旧[3]。
1945年(昭和20年)3月16日 - ホーム上屋が空襲で損傷[4]。
1968年(昭和43年)4月7日 - 山陽電気鉄道が神戸高速鉄道東西線を経て大石駅までの直通運転開始。
1995年(平成7年)
     1月17日 - 阪神・淡路大震災が発生し阪神本線運休。当駅も一時営業中止[1]。
     2月20日 - 当駅 - 三宮駅間運転再開により当駅も営業再開[1]。
     3月1日 - 西灘駅 - 当駅間運転再開[1](同年6月26日に全線復旧)。
1998年(平成10年)
     2月15日 - 山陽電気鉄道が山陽特急の阪神線乗り入れを三宮駅までに短縮。
           これにより当駅に停車する山陽の列車はS特急と普通に限定される。
     7月1日 - 朝の上りに限り急行が停車するようになる。
1999年(平成11年)8月27日 - 鉄道駅総合改善事業による駅施設改良工事を開始。
          これにより神戸高速鉄道に駅関連施設を譲渡(詳細は同社の項目を参照)。
2001年(平成13年)
     3月10日 - 山陽電気鉄道がS特急と普通の阪神線乗り入れを三宮駅まで短縮。
           当駅に停車する山陽の営業列車は消滅。
           また、この日より快速急行と急行が全列車停車するようになる。
     6月22日 - 上りホーム(梅田方面)新設により、それまでの1面2線から2面2線に改装。
           従来のホームは下り専用となる。
     8月31日 - 駅舎改築・移転に伴い、駅施設改良工事が完成。
2009年(平成21年)3月20日 - 快速急行の停車がなくなり(同時に急行も乗り入れ中止)、
                すべての優等列車が通過となる。
2011年(平成23年)3月15日 - 「兵庫県立美術館前」の副名称が与えられる。
2014年(平成26年)4月1日 - 駅番号導入[5][6]。


歴史年表を参照しながら写真を改めて見直すとよく理解できます。

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