カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

なんちゃって富士登山

2015-11-05 | ヤマノテ100

2015.11.3(火・祝)

青空と乾いた空気がとっても気持ちの良い文化の日。
なのにお出かけ出来ず・・・

でも、こんな天気の良い日に家から一歩も出ないなんてもったいない!
と夕飯の買い物がてら自転車に乗ってお山に行きましょう、目指す先は・・・




富士山 (・∀・)




住宅の間の狭い道を走って行くと”東大久保富士”のある西向天神社に突き当たりました
浅間神社と書かれたりっぱな石碑があったので期待に胸が膨らみます






駐車場脇の斜面には「三合目」の石碑と 人ひとり入れるくらい大きな「胎内」
奥には溶岩のごつごつした起伏が見えるのですが、金網でおおわれているのでここからは入れなさそう・・





神社の中へ入って行くと、肝心な部分は小さな公園になっててここにも柵
柵の切れ間、入れそうな門には鍵がかけられていました

東大久保富士は1842年築造。
富士塚は公園側からみると高さ2.5mほどだが、下からみれば8mほどらしい
どうやらこれが山頂のようなのだが・・・よく解らない。





下からの繋がりが見たくて柵から身を乗り出してみるもこれが精いっぱい。
あー、もうちょっとなんだけど!

残念ながらその山頂に立つことは出来ないまま下山します
ここも「お山開き」期間しか入れないタイプなのかもしれないけど、
思いつきでやってきたので、いつ開いているのかは情報不足の為不明

なんだか色々アイテムがありそうだったんだけど・・・見たかったなぁ~
あー、もやもやするぅ・・・



《東大久保富士:新宿区新宿 6-21-1》

※東京メトロ東新宿駅・A&Fのすぐ近くです



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スッキリしたくて出てきたのに、もやもやしたまま帰るのでは意味がない、
もうひとつの富士山を目指しましょ

青空の清々しさとはうらはらな、昼間でも怪しい新宿の街を自転車走らせ・・・




お次は我が家から一番近いであろう富士塚”成子富士”
何度もこの青梅街道は通っているのにこの”成子天神社”に入るのは初めて
大変近代的でりっぱな天神社、境内にはお祭りの山車が大事そうに展示されていました。
ぴっかぴかな赤、どうやら2~3年前に建て直されたようです。




成子天神社の力石
江戸~明治時代のものらしい、それぞれに四拾貫~五拾八貫余と書かれています

さて、富士塚はどこだろうと進んで行くと・・・




おおっ!なんとりっぱな!
ビルの谷間に燦然と輝く富士山頂が見えました!





成子富士は大正九年築造、天神山という小山があった場所に、
正真正銘の富士山の溶岩を運んできて築山されたものらしい。





山腹には烏帽子岩かな?&小御嶽神社かな?





ごつごつ溶岩の登山道をぐいぐい登って行くと山頂到着
山頂は人が4人立てるくらいの広さでしょうか
眼下に見えるのは以前山頂にいらしたという木花咲耶姫命の像(コノハナサクヤヒメノミコト)
3.11をきっかけに下に降りたらしいです。





山頂から下界を見るとなかなかの高度感☆
高さ12mあるそうです




登れるタイプと見るだけタイプ、いろんな富士塚がありますが
私はやっぱり登れるタイプが好きかなぁ
こちらの成子富士は遠目で見てもキレイな富士山型
緑も多くて良い感じ♪

こちらの成子富士は最近流行のパワースポットとして有名になり、
いつしか常時登れる塚になったそうです。




それにしてもこんなに高層ビルに囲まれて、富士塚から富士を望むことができなくなるなんて、
当時の人はもちろん思いもしなかったでしょうね。


私が子供の頃は我が家からも富士山を望むことができ、
朝、学校に行く時富士山が見えると一日ラッキー☆なんて言ってたのに、
今では高いビルの上に行かないと見ることは出来なくなりました。




《成子富士・新宿区新宿8-14-10》

※東京メトロ・西新宿駅徒歩三分








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▽富士塚とはなんぞや?という方はこちら(私なりの解釈です)











標高24.5mの山

2014-06-22 | ヤマノテ100

  
土曜日は静岡の山に行こうと思って準備していた。
でも金曜の午後から寒気はするし咳は出るし・・・
怪しいなぁと思っていたら案の定、翌朝身体がだるくて起きれなかった。



月曜から金曜までフルに働いて、土日も全力で山行ってたら・・・さすがに疲れが溜まったのでしょう。
3月から毎週末山へ行っていた記録もここで一旦お休みすることにしました。
ダンナを会社に送り出してまた寝る。それにしても寝ても寝ても眠いにゃ・・・




二度寝して見上げた空はどんよりだったが、雨は降っていない。
疲れているのに出かけたくなって、買い物ついでに足を延ばし、王子駅で下車した。
初めて訪れた音無川の駅前渓谷。車道には路面電車が走る、なかなか風情のある場所だった。




これがうわさの「アスカルゴ」 標高差17mを2分かけて上がるそう。
紫陽花咲く斜面、家族連れで乗ってる人が結構いましたよ。




園内の紫陽花はもう終わりに近い感じ。
アジサイ科アジサイ属 白、青、紫または赤色の萼(がく)が大きく発達した装飾花をもつ。
葉は十字対生、鋸歯縁、羽状脈 覚えたばかりの知識を忘れないように書いてみる。




ついつい何かあるかも?と気にして見ると、たくさんの桜の木の下にありました、ネジバナ(捩花)
ラン科ネジバナ属  小型の多年草、別名モジズリ(綟摺)





都内の住宅街で見れる自生の蘭はネジバナくらいですかね?
小さくても美しい造形美を見せてくれるところが、蘭に惹かれる理由のひとつかもしれないな。





北区・飛鳥山 標高24.5m
江戸時代には”芝山に桜と石碑を描けば飛鳥山”と言われたくらいランドマークになっていた山、飛鳥山。
行ってみたら近所の方たちのいこいのお山でした。










ふたつの富士と御留山inTOKYO

2013-02-12 | ヤマノテ100

都内の超低山巡り&富士塚探しをして帰った夜、レポを書いているうちに富士塚に俄然興味が湧いてきた私。
翌日も遠出はできないので、もういっちょ!と他の富士塚も見たくなり出かけることにした。



2013.2.10(日)スーパー快晴。どうして私が山に行けない日は晴れるんだ・・・(ノД`)・゜・。

リハビリだから仕方ない。開き直って我が家から一番近そうな富士塚を求めてみることにした。
今日はちょっと目的地が離れているので、昔ながらの紙の地図を持って自転車で廻る。
初めての場所でもわりとすんなり見つけることが出来たのがここ
”月見岡八幡神社”

境内の裏にその富士はあった。



門を開けてそろりそろり中に入ると、早速可愛らしい顔をした母子猿が迎えてくれた。

・・・さて、夢中になると知りたいところまで調べないと落ち着かない私。
富士塚を楽しむ上ではずせないルールがあることを知ったので、私なりにポイントをまとめてみました。


【富士塚のみどころ】(ご存知の方はスルーしてください)

富士塚のてっぺんに立つ祠が富士山頂で言うところの浅間神社「奥宮」
他のアイテムが無くても最低限これだけはあるはずだが、祠の代わりに石碑の場合もあり。

中腹の祠は富士山5合目にある「小御嶽神社」の分祀。富士山が今の形になる遥か昔、
小御嶽火山が噴火したので富士山の土台とも言える地は聖地とされている。
小御嶽神社に祀られている天狗とセットで作られていることが多いらしい。

富士山の8合目にある巨岩を表す”烏帽子岩”ミニチュア化したものや石碑がある。
烏帽子岩は食行身禄が31日間の断食をした場所なので、身禄を讃えてのこと。

富士塚下部に狭い穴があったら「胎内」
いわゆる胎内くぐり=生まれ変わる為の修行。

という四つの要素のほかに・・・


「亀岩」富士山8合目に亀の形をした巨岩があり、
岩の一部から水が沸いたことにより霊水として信仰の対象になったもの。
リアルな亀だけでなく色々表現方法があるらしい。

「猿」富士山が一夜にして出来たという伝説の年が申年だった、
ということで猿は神の使いとしての信仰上最強のキャラ。

「碑」冨士講の講碑、江戸八百八講と言われるほどあるそうだ。


・・・といったように富士塚構造には信仰物としての基本的ルールがあって、成り立っているそうです。
「冨士講」と言うのは地域単位の富士信仰サークル。

そういう視点で見てみると、なるほど、どんどん面白くなってくるではないですか


さて本題に戻ります。


いましたいました、基本ルールの鼻高烏天狗様。
ところがこの天狗様、上から見ると凛々しいのですが・・・・



傍に寄ってみると、なんだか自慢の鼻が下向きに”だらん”と自信なさげな感じで・・・
こんな人、私の近くにもいるよなぁ・・・


 
気を取り直し山頂を目指します。急登の先にはなぜか柚子の木?実がなっていました。
山頂の祠が見えてきたら・・・




こちらが”上落合富士”高さ約4mであります。

山頂は人ひとりやっと立てる程度で、引いて撮ってもこれしか入りませんでした。
すぐ傍に民家の屋根。だいたい2階の高さと一緒くらい。



山頂からの眺め。境内の屋根が・・・同じくらいの高さで見えました。



小御嶽神社を挟み、大小の天狗様もいました。新しいものの感じ?
どことなく・・・ナンチャン風な表情が親近感を覚えてしまいますw



”上落合富士”全貌です。全貌と言っても神社の角地の壁面に作られた物なので、カメラではここまで。

ここ新宿区の上落合は古墳の多い土地で、当初この上落合富士は古墳(円墳)を利用して造られたものだった。
昭和二年にこの神社境内に移され、スペースの都合上かつての丸い富士塚は無くなり、現在の壁面富士となった。
壁面であっても富士山を思わせるその姿は、富士山への愛と作り手の技の賜物ではないでしょうか・・・。
《新宿区上落合1-26-19》


※参考:有坂 蓉子 ”富士塚ゆる散歩”


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せっかく落合まで来たのだから、その先の山の手超低山を目指しましょう~。
目白通りを直進し、西武線の線路と平行に走り・・・坂を上ると・・・


 
ここが何度か通ったことのあった「おとめ山」公園。自然が残る園内を進むと、東屋がありました。
(※落合にある「カラファテ」というBC&クライミングSHOPの近くです。(パタゴニア目白店B1))



「御留山 標高33m」見晴台に上ればなかなかすがすがしい風が吹き・・・


 
ニャン子達がくつろぐ、居心地の良いお山。



山裾には水が流れ・・・公園の池、と言ってしまえばそれまでですが、
なかなか自然溢れる造りなのでした。
それもそのはず、ここは昔から”湧き水”の湧く土地で、今でも何箇所かで湧き、
「東京都の名湧水57選」に選定されているそうです。


ここ「おとめ山」は乙女ではなく、「御留山」または「御禁止山」といいます。
昔からこの辺りは鳥や獣の狩猟の地で、江戸城を築城した室町時代の太田道灌が狩りに来た、
という山吹伝説。江戸時代になるとここは、将軍の狩場だったから一般人は狩猟禁止。
そこで「御留山」「御禁止山」といわれるようになったそうです。

明治以降、この一体は華族の所有となり、二つの大きな屋敷が出来ました。
東が近衛家、西が相馬家。相馬家は”相馬馬追い”で知られる福島相馬地方の殿様の家です。


標高約33mの御留山。ただの公園あらず。
もうひとつの目で見なければ気づかなかった、都内の由緒あるお山でありました。


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最後の目的地は西早稲田。ここにも「富士塚」があるとのことでもう一走り


 
新宿区西早稲田にある”水稲荷神社”
稲荷、といえば朱い鳥居と神使の白い狐がシンボル。
たくさんの狐が祀られておりましたが、目的の富士塚が見当たらない・・・



裏に廻っても古墳跡しかない・・・

神社内をキョロキョロする怪しいオトナ2名。
あまり詳細に調べてこなかったので仕方ない、と諦めて外に出ると・・・


 
物置小屋(失礼)のような場所の奥に・・・あったー登山口。
でも門は鍵がかかって入れません、外から眺めただけでしたが・・・


ここが富士塚第1号、江戸で最古にして最大の富士塚、
各地の富士講が模倣したという「高田富士」登山口でありました。


この「高田富士」は食行身禄(じきぎょうみろく)の死後、弟子の高田藤四郎の総指揮のもと、
講員総動員で戸塚村(現在の西早稲田1丁目)に完成させたのが1779年頃。
もともと台地にあったのと、その高さも10mもあったため景色もよく、
「高田に二つの富士が見える」と川柳に詠まれたほどだったとか。

ですがこの高田富士、昭和40年まで残っていましたが、早稲田大学がこの土地を買収、
あっけなくブルドーザーで潰されてしまったそうです。

ところが富士講のパワーたるものはそんな事ぐらいでは凹まない、
その後、すぐに移転した水稲荷神社に富士山が作られたそうです。

・・・とそこまでは調べていったものの、いつでも見れると勘違い(私らしい・・・)。
なんとこの富士塚は、現在「高田富士祭り」が開催される7月20日頃1~2日間しか登頂できないらしいのです。
あ~あ



神社脇の甘泉公園から金網越しに覗いて見ると・・・手すりのようなものは見えるが山頂までは解らず。



(境内で発見!)
残念ながら高田富士の全貌と、私が見たい四つの要素は見られない。
見られない、となると余計にこの目で確かめるまで気がすまない面倒な性格。
きっと・・・いつか・・・確認しに行くんだろうなぁ・・・。

《新宿区西早稲田3丁目5-43》


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歴史にめっぽう疎い私。
仏像は好き。神社仏閣もキライじゃないけど感じる所は人とちょっと違うみたいだし、
歴史オンチなので時代背景等、知識がないからそれほどはまるような事は今までなかった。

だけど不思議なことに東京の街中にも「山」がある、という角度から見たら、あ~ら不思議?
特に富士塚には興味がどんどん湧いてくるし、次々知りたいし、なにより楽しい。
神社仏閣は自分のレベルではなかったけど、「富士塚」は江戸の庶民の目線で造られたものだから、
自分も同じ東京に生まれた育った庶民、という共通点がワクワクさせてくれているのかもしれない。

街の片隅にある、今まで気づかず通り過ぎていた「富士塚」たち。
この富士塚を見ている自分と江戸の人々の時を越えた不思議な繋がりを感じる。
日本人がはるか昔から持っていた富士山への愛と親しみは今も変らない、
今更ながらなんだかとても感慨深いものがありました。


またきっと、チャンスがあれば次の富士塚探してバーチャル登山に出かけると思います。


おしまい。




富士と箱根山inTOKYO

2013-02-10 | ヤマノテ100

インフルエンザから復帰し、順調に回復するかと思っていた矢先の木曜日、旦那様がダウンした。
めったに風邪も病気もしないオトコが寝込むとは!病院行きなよ~と言って仕事に出かけた私。
ところが帰ったその夜また寒気がして・・今度は腹痛でダウンした金曜日(ーー;)

インフルエンザ→ウイルス性胃腸炎
しっかり旦那様の菌をもらってしまったようで、連続ワザという最悪のパターン。
そういえば以前抗生物質を連続使用した後は、腸内の良い菌まで減ってしまうから気をつけるように!
と胃腸科の先生に言われたっけなぁ・・・悲しいを通り越して呆れてしまいましたが、凹んでいても仕方ない。
体力も相当落ちているので階段あがるのもやっと、なので近所へリハビリ。
「山に行けないこういう時に・・・」と取っておいたオタノシミを求めて出かけることにしました。


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2013.2.9(土)

 
千駄ヶ谷駅で下車、駅から徒歩10分ほどで目指す一つ目のお山へ。
このエリアは私が高校生の時にバイトしていた場所、でもその頃は全く興味が無かったので初めて来ました。


『富士塚』(※今更なお話なのでご存知の方はスルーしてください)
富士塚とは富士詣が盛んだった江戸の頃、今のように誰もがスイスイっと富士山に行けるわけではない。
限られた人しか行けなかった、行きたくても行かれない人々の為に江戸の町中に土を盛って造られたものの事を言うそうです。

都内に残ってるのは50ほどあるが、中で最も富士の姿をとどめているのがこちら、
”鳩森八幡神社”境内にある千駄ヶ谷富士だそうです。

 
五合目の富士浅間神社の里宮に手を合わせ、クマザサに覆われた登山道を行く。
露岩がなかなかそれっぽい雰囲気。


 
小御嶽神社の石碑あり、急な斜面を2歩3歩・・・あっという間に山頂到着。

狭い山頂には浅間大社奥宮のミニチュアが祀られており、この岩は本物の富士山の溶岩だそう。
写真に収めるのを忘れましたが、左右に金明水、銀明水の小さな池がありました。



山頂からの眺めはなかなかなもので。ちょっとの高さでも視点が変わるものだなぁ。



下りに通った7合目の岩穴には”身録像(富士信仰を中興したとされる修験者)”がひっそりと安置されていた。



正面からの千駄ヶ谷富士全貌。石橋の脇の池は富士山を登拝する前に、
内八海か元八湖(忍野八海のこと)を巡拝する習わしを表現したもの。
築造は1789年、高さは7m前後の千駄ヶ谷富士。江戸時代の人になった気分で登ってみた。
自分も病み上がりなのでこれだけの小さなお山でも、ピークに立った事がなんだか嬉しかった。
《渋谷区千駄ヶ谷1-1-24 鳩森八幡神社境内》



 
その後神社でお参りして、あまりにカワイイので「鳩みくじ」というものを引いてしまったら・・・
またしても「大吉」(ーー;)ご・・・ご利益?

年始に大吉引いてから調子がイマイチなんですけど・・・気のせい?


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さてせっかくなのでもう1座。

同じ新宿エリアにもうひとつお山があるというので行って見ましょう。


 
明治通りをまっすぐ歩き、目指すは「戸山公園」
風の冷たい日だったが、陽だまりは猫たちのくつろぎの場となっていた。

こちら戸山公園はかつては尾張徳川家の下屋敷、戸山荘と呼ばれた大名庭園があったところ。
園内には箱根山を中心に大きな池を掘り、その周りに築山や渓谷、田園など25の景勝地が造られた。
そこには箱根山を見上げるように小田原宿まで再現していた凄いところだったらしい。


 
現在は団地のような建物の中を抜け、地図などないのでどこかなどこかなとウロウロ探し・・・
ありました



いざ登れ~~~



3分かからず山頂到着 りっぱな風景指示板ありました。





ベンチに腰掛けると、なんだかすがすがしい気分。なんとも気持ちの良い山頂。
そしてしっかり水準点と標石板もあり・・・



こちら”箱根山 標高44.6m”



山頂からは富士山が・・・多分晴れてても見えないだろうな・・・見えるのは新宿の高層ビル街。



こちらが「箱根山」の全貌。
大名庭園だったころの戸山荘は幾度かの災害に遭い、陸軍戸山学校用地となり、
その姿を失ってこのように箱根山だけが当時を偲ぶものとなったそうで。
《新宿区戸山2丁目 戸山公園内》


春には桜が咲くこの公園。その頃夜桜見物でもできたら当時に思いを馳せることも出来るかな、と思った。


どんな高山でも、どんな低山でも、どんな街でも見方を変えれば見えるものが違ってくる。
天然の山じゃない、人工的に造られた山だからつまらない、と言ってしまえばそれでおわり。
自分から”感じよう”と好意的に心を開かなければ何も入ってこない。
こんな楽しみ方もあるんだな、と結構ワクワクした山の手おやま巡りとなりました。


つづく・・・


※参考:中村みつを 「お江戸超低山さんぽ」




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☆ふろく☆

千駄ヶ谷富士~箱根山への移動はもちろん徒歩で。
せっかく美しい「新宿御苑」があるのですから、ここをはずすわけには行きません。


千駄ヶ谷門から入ります。



ここは都心とは思えないほどの開放感と静けさで、近所では個人的に一番好きな公園。
ここに来る度に”セントラルパーク”を思い浮かべてしまいます(本場の行った事こと無いけどw)



ここの温室もおばあちゃんが生きていた子供の頃、よく連れてきてもらったっけ。
昨年秋に新しくなったそうで、すいぶん近代的建築になっててビックリ。



園内にある旧洋館御休所【2001年 重要文化財指定】
天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に創建された建物だそうです。
スティックスタイルを基調とした希少な洋風木造建築で、中に入って見学が出来ました。
撮影禁止なのが残念ですが、たまたま月に二回の館内公開日にあたりラッキーでした。



この時期ですからお花は少ないですが、小さな小さな”十月桜”や、



マンサクも見ることができました。

あと2ヶ月もしないうちに、ここも桜で満開になるんですね。
私も体調整えて頑張らないと~。


おしまい。