カラダよろこぶろぐ

山の記録と日々の話

ちいさな春

2012-03-30 | ヤマのこと

2012.3.24(土) 日曜日は気仙沼に行く予定だったので、土曜日に日影沢へ。

天気予報は午後から晴れになってたからゆっくり出かけたのに・・・高尾に着いたらなんと小雨が。
慌てて天気予報見直したら雨に変ってた・・・ナンデ?



そんな天気だから、アズマイチゲたちもうつむいてる。


 
しょぼんとしたアズマイチゲ、しずくが重そうなユリワサビ。


あちこち探すも一番会いたかった子は見当たらず。見逃したかな・・・

ダンナは山に登りたいと言い、私はお花に会いたいと言う。
これ以上登ったら多分会えない気がする。
ならば、とここから別行動。私は戻って花探しに専念することにしました。


バス下車1時間後、やっと・・・見つけました。ちいさなちいさな”サイコロネコノメ”(ゆきさん命名)

 
沢ギリギリのところにひっそりと。3ミリ程度の本当に小さい子。
相当目を凝らしていなければ見逃してしまいそう。


 
ちいさな花に焦点を合わせたら、どんどん目に飛び込んでくる。
すぐ側にいっぱいいました、二番目に会いたかったコチャルメルソウ♪


 
ヨゴレネコノメ・・・そしてようやくハナネコノメが群生したところを発見。



生まれたてのちいさな春。



今年も会えてよかった。


雨のおかげで、静かに花観賞できた日影沢の午後でした。



※この日、景信山の青木さんちは開いていましたが「山菜天ぷら」お休みだったそうです


おしまい。




気仙沼の熱い1日。

2012-03-27 | イワテケン

2012.3.25(日) 「気仙沼さんま寄席」に一人で参加してきました。

この「気仙沼さんま寄席」とは、
”千人もの人が、わざわざ遠くからやってきて、見たくなっちゃう落語会”のことです。

通常なら東京でやればいい落語会を、わざわざ気仙沼でやる。
慰問ではなく、気仙沼の人がスタッフして働き、私たちがお金を使う。
それが今年の「目黒のさんま祭(9/16)」で振舞われるさんま代
(震災の年も気仙沼の予算で送られていた)になる、という会。
糸井さん、すごい。なんと素晴らしい発想なんだろう!

しかも、その高座を躊躇することなく「よくぞ、わたしに声をかけてくださいました」と、
快く引き受けたのが大大大好きな志の輔師匠 かっこよすぎる・・・
それだけでもうるうるしちゃうのに、さらに、
「落語が終わって、はいさよならじゃ別れがたい。打ち上げもやろう」
えーーー!打ち上げ?ときたら絶対に参加したい!!
こんな前代未聞のイベント、ワクワクしないはずがない!

・・・と発売初日にそわそわしながら無事にチケットを手に入れ、待ち望んでいた一日が始まりました。




当日。事前にJTBから送られていたチケットで各自新幹線に乗り、一ノ関駅下車。
今回の寄席には前日に気仙沼入りし、宿泊するカレイコースや当日宿泊するタラコース、
私のように朝新幹線で入り、その日の夜行バスで東京へ戻るサメコースなどのツアーがあります。
一ノ関駅で事前に待っていてくださるスタッフの方に連れられ、決められたバスに乗り込みます。



車内ではほぼ日のスタッフさんの他に、地元気仙沼の旅館やホテル、
商店の女将さんが組織する団体「つばき会」のおかみさん”斉藤さん”がガイドをしてくださいました。


一ノ関駅から1時間ほど山を越えると、陸前高田市に入りました。



ここは下車。
私は岩手で見ていた光景ですが、初めての方が多いようで言葉を失っていました。



そこからまた移動。
一年経っても町のあちこちにまだ手付かず状態の場所も多く、このエリアの被害の大きさに驚きました。
ここまで津波が来た、という地区から海までの距離があまりにも遠いのです。
海が見えない、こんなところにまで津波が・・・
私が見ていた(北)三陸の被災箇所の数倍大きいような感じを受けました。



有名な高田松原の「奇跡の一本松」時間がなく下車はしませんでしたが、
松の色が変わってしまっているのが遠目にも良く解りました。
事実上の保護は断念されても、新たな方法で育てていくようです。




 
全長60メートルの大型漁船が流れ着いた場所。なんと港から約800mの距離だそうです。
約1km、人間が普通に歩いたら10分はかかる距離、それも平坦に道が続いていたらの話。



この「鹿折地区」はあの日、TVで燃える海を見た・・・あの場所でした。
油タンクが流され大量の油が湾に流出。その油が津波とともに押し寄せてきたため大規模火災となりました。
ここは津波そのものというよりは、火災の被害でこのような状態に。


私たちのバスガイドをしてくださったおかみさんの家もこの地区だったそうです。
あの日のことをたくさん話してくださいました、自宅が燃えていることを知ったのが3.11の夜。
でも生きることに必死だった。泣く余裕すらなかったと。

津波の怖さを教わっていたから、家族8人てんでんこになり全員が揃ったのは2日後。
あの日、逃げる途中にすれ違った女子高生や、渋滞にはまって身動きの取れない車の中にいた人々。
会ったこともないあの人たちは生き延びたのだろうか・・・・・・。
今でもその人たちの表情や、バキバキと音を立て流れる家、車ごと津波に飲まれながら鳴り響くクラクションの音が、
フラッシュバックしてくると話してくださいました。
その他、ここには書けないあの日のこと。実際の壮絶な体験を伺って何度も胸が詰まりました。



よく被災地の写真を撮っていいのでしょうか?来てもいいのでしょうか?と言われるけれど、
何もいけないことなどない、むしろ撮ってほしい、来て、見て、感じたことを広く伝えて欲しい、
そう話されていました。
3.11の日から今日まで見ず知らずの私たちの町を片付けに来てくれたり、
たくさんの支援を頂き、何度も何度も皆さんに感謝している、とも仰っていました。

このおかみさんたちは気仙沼盛上げ隊を結成し、気仙沼から出港する漁船の出港の見送りなども行っているそうです。
自分は家も仕事も失ったけど、幸い家族が全員無事だったから前へ進もうと思えて今があるけど、
心の復興には個人差があり、まだまだ苦しんでいる人もいます、と。

辛い体験を乗り越えた強いパワーを感じます、海の男もすごいけど、海のおかみさんも、すごい。
生のお話を聞けただけでもこのツアーに参加して良かったと感じました。


 
バスは港へ進みます。
私たちの走っている車道はかさ上げされていますが、地盤沈下の為、
この辺りは満潮になると水がはいってくる状態です。
生活は大変です、それでも皆さん暮らしています。



 
町の中心であったであろう地域は今もほとんど何も無い状態。
「復興屋台村」には時間の関係上寄れず、バスは避難所の中でいちばん最後まで残っていた「気仙沼市民会館」へ。


        


 
まずは中ホールに通され、お弁当の時間。
この日の為に作ってくれた、というお魚中心のお弁当のなんて美味しいこと!お世辞抜きで。
どれ一つとっても美味しいんです・・・愛情なんでしょうね。
包み紙の絵柄は、気仙沼で大漁旗をつくっている菊田染物屋さんのものとスタッフさんが仰ってました。


 
食後は寄席が行われる隣りの大ホールへ移動。ゆるきゃら「ホヤぼーや」がカワイイ。


 
13:30、開場したホールに、わんさかわんさか人が入ってきます。


 
たった1日のこの日の為に、楽しませようと色んな仕掛けを用意してくれています。
2階の「お買い物コーナー」は大混雑!
さあ、ここからが私たちのしごとの時間です。いっぱいお買い物するしごと!



お弁当にも入っていた”絶品”「金のさんま」はとりあえず6個購入。
お取り寄せしますからね、必ず
他にも色々購入したり、参加賞のKUKKA BAGとか色々頂いたり・・・(帰宅後撮影)



さてそうこうしていると14:30、いよいよ寄席の開演です。
最初に糸井重里さんと、気仙沼市長・菅原さん、
気仙沼さんま寄席実行委員会・会長・松井さんからご挨拶がありました。
松井さんの「これだけ大勢の方の笑顔を見るのは久しぶりです」のお言葉が印象的でした。


一席目は立川談修さんの「目黒のさんま」
次はいよいよ志の輔師匠の登場です。

マクラからドッカンドッカン笑わせる師匠、もうそのままの勢いで「親の顔」へ。
私はラッキーなことに最前列で見させていただきましたが、観客の笑い声がすごすぎて、
あの!声の太い!師匠の声が聞こえない瞬間もあるほどの盛り上がり&一体感。
一人一人全員が前を向き、一緒に盛り上げよう!という気迫すら感じる寄席、これは体験したことない・・・

この「親の顔」のマクラで師匠が、
「ラジオで子供電話相談室をやっていた頃”どうして勉強しなくちゃいけないの?なんの役に立つの?”
という究極の質問があった。皆さんはどう思いますか?
色々考えたけど、わたしは、
”どうして勉強するのか。それは人生の中で少しでも多く笑うことができるようにするためじゃないかな”
と思うんです。」と仰っていました。う~ん。


中入り後は「こたつトーク」
糸井さんが「今日は私はお客だからなんとかしろ、という人は一人もいないんです。
被災地域の多人数の受け入れ態勢が十分じゃなくて、どこに宿泊するかも自分じゃ決められない。
さっきも駐車場が泥沼化して車が出せないという方がいらっしゃいましたけど、じゃ泊まってって下さい(笑)
ここに集まってる皆さんはそんなことは承知の上で、気仙沼に来てなにかしたいんです、すごいことですよね。
今日は全員が仕事をしている、みんなが何かしらの役に立ってる会なんです、受身な人は一人もいないんです。」
と仰っていました。
みんなが役に立つ、こういう支援のかたちがはすごくいい、と隣の方と話しました。





トーク後の短い休憩の後、師匠が紋付袴で高座に上がられたので「もしかして・・・」と思ったら、
やはり「中村仲蔵」でした。
以前パルコ劇場で見させて頂いていたのですが、何度みても息を呑むすごさです。
今日も多くの方が涙されていました。

なぜ師匠はこの落語会にこの噺を選んだのでしょう?

歌舞伎界のいじめにより五段目の定九郎というどうでもいいような役をふられた仲蔵が、
考え抜いた末新しい定九郎を演じ切り、観客を魅了した。

歌舞伎役者たちは今までの定九郎の、もっさりとした山賊の風体は何かが違う、思っていた。
だけど誰も変えてこなかった、変えようとしなかった。
どう演じるか?それを全力で考え変えた仲蔵は、本物の定九郎を演じた。その姿に客は感動したのだ。

師匠は今後の日本から、より多くの仲蔵が出て来て欲しい、と(表現は違ったような気が・・・)
仰っていました・・・そうか、そういうことか。敬服致しました。


公演の最後は気仙沼のみなさんが中心となって「どや節」を歌い、
記念撮影をし、三本締めで終了。
今日は朝から何度胸が熱くなったことか。
伝説になるかもしれないこの瞬間に参加できた事、感謝です。


        


 
公演終了後は「ちょっとした打ち上げ」
我らがサメコースバス2台は、アーバンという結婚式場?へ移動します。
会場には気仙沼の美味しい海の幸が並んでおりました。


 
そこへ前の会場(一度に入りきれないので)で打ち上げをされていた、お二人が到着。
鏡割りに間に合いました。全員でかんぱ~い


 
南伸坊さんイラストの升は参加者へのお土産です


 
美味しいご馳走を頂いた最後に、地元「浪板虎舞保存会」の方々の舞踊。
この地区に江戸時代から続く伝統行事で、保存会のメンバーは震災で家族や家を失ったものもあり、
ばらばらになりながらも、連絡を取り合って伝統を維持してきたそうです。





最後の最後にまた、泣かされました。
今これをみて感動しない日本人がいるのでしょうか?というくらい生きる力をもらいました。


 
打ち上げ会場にいた全ての人が引き込まれて熱心に見ていました。
気づけばふと横に師匠と糸井さん。同じ空間で同じものを見れる幸せ。



打ち上げ最後の挨拶。
糸井さんがみんなが感動した「中村仲蔵」を話題にすると、師匠は、
「私は材料を言うだけで、1000人全ての人の中に微妙に違う中村仲蔵が存在してくれている。
私がいい材料を話せたとしたら、それはみなさんのおかげです」と。
糸井さんは、
「ぼくはまたここに来ます。必ずしもこんなに面白い毎日じゃないけれど、気仙沼の色んなものが美味しくなったり、
うぇるかむのやり方もどんどん上手になっていくと思います。忘れないでまた来て下さい。
来た人の数だけ気仙沼はあります」と。

最後は師匠の「日本の全ての被災地が、一日も早い復興に向け新しい未来を築けます様祈念いたしまして。」
一本締めで終わりました。

21:00打ち上げ終了後はほぼ日スタッフに見送られ、バスにて東京へと戻り、
長かったようで短い一日が終わりました。
今回熊本から二日掛けてこられた方や、兵庫や愛知方面などなど。
日本全国からお金をかけて気仙沼にやってきた、人のちからってすごい。
こんなに素敵な機会を作ってくださった皆さん、本当にありがとうの思いでいっぱいです。

また、今回参加の多くの方が東北に来たことがなかった、という事実を知り驚きました。
東北人を家族に持つ者として、岩手や宮城や東北のこと、もっと知って欲しい、もっと来て欲しい、
という思いが前より増して強くなりました。


これを読んで下さった皆さんも、東北へ、是非。



気仙沼バンザイ。



おしまい。



ほぼ日刊イトイ新聞3/28号(一部抜粋)

ほぼ日刊イトイ新聞3/26号(一部抜粋)

こちらに詳細な記録があります。気仙沼さんま寄席

ほぼ日イトイ新聞  東日本大震災のこと。

ピーピングしのすけのふしあなから世間: 「気」仙沼の「気」は消せん


芽吹きの奥多摩・御岳山

2012-03-22 | ヤマのこと

2012.3.20(祝) 奥多摩へ。

久しぶりに天気の良い休日。高尾へ行こうかと思っていたけれど混みそうなのでやめて奥多摩へ。

 
今日は古里駅で降りて、初めての尾根を登っていきます。


 
駅を降りるとのどかな里山の風景に癒されます。なんだかとっても気持ち良い♪
奥多摩ってなんだか落ち着くんですよねー・・・って調べたらなんと半年ぶりの奥多摩でした(^^;;

 
登山口到着。まずは神社目指して登ります。
本当はハナネコノメも期待していたのですが、登山道から沢へはずいぶん下に見えて・・・
沢に降りるタイミングを失って神社脇の沢に到着・・・結局見つけられず、残念。


 
金比羅神社に着きました。



神社?



すぐ脇の越沢バットレス。高度恐怖症な私、これ以上は下を覗けなかった


 
さて、一休みして登ります。ここから徐々に傾斜がきつくなり、
だけど傾斜がきつくなればなるほど?美しい花が咲く場所へ導かれ・・・



気の早い子がひとつだけ、みずみずしい蕾でお出迎え。
君が咲く頃にまた、ここに来るからね


 
まだまだ急傾斜は続きます。
久しぶりに雪のない登山道&急登でふくらはぎがのび~~~る 筋肉痛確定です
息も切れ、休み休み登ると、あれ?この木の柄は・・・(笑)

 
あちらに見えるのは鋸尾根でしょうかー?
谷から吹き上げる風は冷たいけど、日差しはもう春ですね。
ここから更に痩せた尾根をグイグイ登っていくと・・・


 
広沢山到着。ここからは緩やかな尾根歩きで・・・


 
電波塔に到着。塔の右手を回りこんでいくと「大塚山」に着きました。



山頂からの眺め。三ツドッケ?方面はまだ白かったです。

時計を見ると11:30。
大塚山のベンチでお昼にしようかと思ったけど、なんとなくまだお腹がすかない。
ついでだー、と御岳山までいくことにしました。
祝日なのにここまで誰にも会わない静かな山歩き


 
園地へ行く途中では、初々しいカタクリの葉がにょっきり。こちらも春待ちなんですね
御岳山の神代ケヤキは痛々しい感じで修復中でした。


 
ここまでくるとすっかりゆるゆる観光気分。去年の夏、暑くてヨレヨレになって来たっけなぁ。


 
お腹も空いたし、長尾平で昼食にしましょうか。
つい先日まで雪の山だったのに、早いものでそろそろコレの季節なんですね。



 
吉野の梅園まで行かない?と言ってみたものの却下されたので、まったりコースで下山することにします。
帰りは丹三郎尾根を降りていきます。



 
求めていたハナネコノメには会えなかったけど、道端には春の花。
本当に久しぶりの雪のない登山道、人気の山なのにほとんど人に会わずに良い汗をかいて気持ちよかった。
今更ながら・・・やっぱり奥多摩は良い



春はすぐそこまで来ている事を、肌で感じた一日でした。


おしまい。



【行程】古里駅8:35→金比羅神社9:50-10:05→広沢山11:00→大塚山11:30→長尾平12:20→大塚山分岐13:10→御岳山登山口14:20→古里駅14:45








花探しの秩父・丸山ハイキング

2012-03-19 | ヤマのこと

2012.3.18(日)秩父の丸山へ行ってきました。

このところ週末になると雨
だけどどうしても会いたい”あの子”求めて夕方から雨、の予報に朝早く出かけることにしました。

 
芦ヶ久保の駅に着いたときはうっすら陽もさしていたけれど、すぐに曇り空に。
雨の降り出す前に、と急いで出発です。
20分ほど車道を歩き・・・


 
釣場を越え、民宿の看板が見えたらそれに沿って歩いていくと、
「丸山」方面の登山口に到着です。


 
しばらくは薄暗い植林の中を登り、川も3回ほど渡ると・・・



ビアデッド・コリー?


 
・・・ではなくて。
段々雪がついてきて、尾根が見えるようだけどはるか上の方。
最近雪山ハイクばかりで怠けたカラダに堪える久々の傾斜、ジグザグ・ハアハア登っていくと・・・
東屋が見えたけど、車道に出てガックリ。
一生懸命登ってきて車道にあたるとがっかりするのは私だけ?

駅からここまで約1時間40分、結構汗かいてしまった
東屋で少しの休憩の後、冷えないうちに出発です。ここまで誰とも会っていません。


 
まずいきなりの階段を登ると、



5分ほどでパーッと開けた場所に出ました。



どうやらハングライダーの離陸場所のようです。
ぼんやり見える山々、もしかしてあっちは七峰縦走ハイキングで歩いた方角かな
我が家から来にくい奥武蔵エリア、久々に見る眺めです。


 
ここから丸山方面は「関東ふれあいの道」らしいです。
予想外に雪があり、湿っぽいので滑りながら降りていきました。


  
途中、名札のついた木がたくさん。
ダンナ曰く、アオダモは野球のバットになる硬い木らしい・・・(ホントカ?)
私が気に入ったのはナツツバキ。カモフラ柄で面白い これは覚えられるけど、他のは無理だなぁ・・・


 
緩く登りかえすと電波塔につき、「丸山960m」到着です。
観光地のような展望台に登ってみると・・・



わおっ
なかなか素晴らしい眺めではないですか!
武甲山が白いストライプになってピラミッドみたいにみえる


その横には大持山、小持山、大岳山・・・


うっすらですが両神山。
さすがにこの天気では浅間山や八ヶ岳は見えませんでした。



でもやっぱりピークって良いものですね。
2週間ぶりの山、気持ち良く汗をかいてスッキリ
まだ雪が多く残る尾根を降りて行きました。


 
県民の森の分岐。
ちょっと進むと「出会いのテラス」というベンチがあったので、ここで軽く昼食。


 
お腹を満たし、さあ、目的のお花を探しに行きましょう
雨が心配なので日向山へは寄らず、ここの分岐は芦ヶ久保駅方面へ。
その先の分岐で地図とにらめっこ。
協議の結果、「木の子茶屋」方面へ進んでいくと・・・



車道に出ました。

さあ、ここからが今日の目的。
目指すお花が咲いているのかどうか?開花情報はまったく解らぬまま来ました。
なんとか一輪でも見れると良いのですが・・・

ここで進行方向から来た二人のお姉さまと情報交換しますが、
「えー?花なんて何も咲いてなかったわよ」
と言われましたが、この目で確かめるまでは・・・それでも進んで行きます。



全く初めてのこのエリア。
ここまでも若干解りにくい分岐もあったので心配でしたがなんとか到着。
だーれも歩いていない、枯れ葉の山肌をキョロキョロしながら進んでいくと・・・




見つけた!



本当に少しだけど(30位?)咲いているではないですか! 嬉しい~



今年も会えた!間に合ってよかったー。まだ残っていてくれてありがとう。
昨年初めて会ったセツブンソウ、あまりの可愛らしさが忘れられず今年も会いたくて。

この本当に小さくて、儚げで、でも一生懸命咲いている姿を見ると、
なんだかとても幸せな気分になれるのです。

やっぱり、シアワセを運ぶ春の妖精だわ


ここ、西武鉄道のハイキングマップにも掲載されているので隠すつもりもないのですが、
大丈夫なの?と思うほど無防備な自生地だったので、私からの場所の記述は控えさせていただきます。
申し訳ないのですが興味のある方はご自分で探してみてくださいネ。すぐ解ると思います。



 
セツブンソウの写真を地面に這いつくばって撮り終えたとたん、雨が。
今日は傘も合羽も持ってるけど・・・ラッキーでした この日会えた他のお花は庭先の福寿草だけ。


 
帰りは道を間違えて?車道を降りてきてしまったので遠回りになりましたが、
道の駅でフキノトウやしゃくし菜、キノコにコンニャク、そしてフレッシュなイチゴetc・・・
とたくさんのシアワセもザックに詰めて帰った、充実した1日でした。


おしまい。

【行程】芦ヶ久保駅8:15→大野峠9:55→丸山10:40~10:55→県民の森(昼食)11:15~11:35
→木の子茶屋分岐12:10→セツブンソウ自生地12:30~13:00→芦ヶ久保駅13:40





キット、ずっとプロジェクト

2012-03-12 | イワテケン

2012.3.11(日)

「新橋駅」へ。



東日本大震災復興支援「さんてつ広場 復興市」が、
新橋駅のSL前で開催されました。



規模は小さいですが、三陸鉄道の歩みや三陸の人々の「今」を伝えるフォトギャラリー、
三鉄の紹介や現状を写真で紹介していました。

>>キット、ずっとプロジェクト


三鉄に対するメッセージを書き込み、掲示するスペース。
このイベントが終わったら、田野畑駅で保存し掲示されるようです。
岩手に縁がなかったら、「三陸鉄道」って何?と思うのも当たり前の、1時間に1本しか走らない、
第三セクターの赤字路線、それが三鉄です。



この日の「三陸案内人」をつとめる阿藤快さん、精力的に動かれていました。
地震発生時刻の14時46分には皆で黙祷。


 
地元の方々による名産品の販売もありました。
8月に帰省した時は宮古市場の半分以上並べられるものが無くて(生鮮品がない)辛かった。
今は少しずつ戻ってきているのかな。




震災後、現実のものとは思えない光景を目にし、元々赤字路線だったから、
再建は程遠く・・・もう二度と走れないのでは・・・と思った。

それなのに、たった1年、この4月1日に久慈駅~田野畑駅間まで開通するという。
なんと頼もしいことでしょうか。

村の人の足でもあるけれど、私達離れた場所に暮らすものの帰省の足としても、
無くてはならない存在の三鉄。今まで当たり前のように運んでくれた三鉄。
予想を超える速さで復興させようとするその頑張りに、東北人のくじけず生きようとする、強さを感じます。

全線開通は2年後の予定です。

>>三陸鉄道

>>三陸鉄道 望月正彦社長

 
その後は「いわて銀河プラザ」でお買い物。
同じように考える人たちでごった返していた店内。

入口にあったこのポスターは「復興の狼煙」
一つ一つの言葉と表情が、心にずしっと響くものだった。

>>復興の狼煙ポスタープロジェクト


地元のお母さんや学生達、みんなの笑顔を乗せて走っていた、三陸鉄道。
岩手に観光に訪れてくれるみんなの笑顔をまた、見たいです。
一歩、一歩、進んでいきましょう。





それぞれの思い

2012-03-11 | イワテケン

震災特番で見る機会が増えた、被災地の方々の今日までのお話。
TVの画面を通して見ているだけでも辛すぎて、苦しくて、胸がつまる。
1年経った今だからこそ、余計につらく感じることもある。

でも目をそらさないで、ちゃんと見よう。涙もかまわず流そう。一緒に考えよう。
まだまだ、被災地の方々にとっては過去のことじゃない。
1年前、たくさん流したはずの涙は枯れることなく今も折に触れ流れてくる。



宮古市・田老町 2011年 8月


あの日の事を思い出す。
津波だけじゃなくて、原発の恐怖もあって右往左往してた1年前。
先の見えない不安もあって勝手なこと、色々言ったりもしたけれど、
自分ひとりじゃ何も出来ないことを思い知らされた。
今まで自分が生きてきた中で培った知識や経験は、何の役にも立たなかったあの日。



宮古市・魚菜市場 2011.8月


東京も余震で揺れていた、放射能の不安と家族の安否の分からぬまま眠れなかった日々。
知識も手段もあても何もなかったけど何か行動を起こさなければいられなかった。
テレビの向こうに映し出される映像に、落ち着いてなんていられなかった。
けれども実際は何も出来ず、力強く生きようとする被災地の皆さんに励まされ、
逆に元気をもらっていた気がする。




2011.8月 宮古市・田老町
できることをしよう。

結局この1年、誰かの力になれるような「たいしたこと」はできなかった。
「たいしたこと」はできないけれど、少しずつならできることもある。
少しずつでも、ずっと、続けていこう。平穏な一日がおくれることに感謝しながら。
同じ時代に生きる日本人として。


絶対に忘れない、3月11日。


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普代村の今

☆2011年3月11日、石巻に単身赴任中被災し、偶然生き延びた甥っ子は、
この4月に東京に帰ってくることになりました。
あちらで学んださまざまなこと、これからの仕事にも生かしていくことでしょう。






福島県・岳温泉

2012-03-08 | ヤマのこと

先日の安達太良山の最後は・・・



スキー場からバスに揺られ、岳温泉に戻り、改めて温泉に入ります。


 
温泉街なので日帰り入浴は数々ありましたが、やっぱり山の帰りはこんなひなびた感じが好き。
「岳の湯」公衆温泉です。大人¥300



でも中は広くて予想より(失礼)キレイ。
露天風呂はないけれど、せっけんもついてて気持ちよーーく入れました (シャンプー&リンスはナシ)

さてさてその後はお楽しみの昼食。



「岳の湯」の反対側にある「成駒食堂」
13:00を過ぎていたのに、地元の方やスキー客で満員御礼。昔ながらの食堂の風情がステキ


注文はもちろん有名だという「ソースカツ丼」

ところが。



ものすごいボリューム
混んでいたので出てくるのに30分以上かかり、が進んでしまったというのもあるけれど、
厚さ3センチ位のトンカツが6個も乗ってる
通常のソースカツ丼の2倍くらいな感じで・・・・

さすがの大食いの私も食べ切れませんでした (あんまり動いていなかったからかもしれませんが)
あ、でもとても美味しかったです。お腹をペコペコにしてから行くと良いと思います




むかーし、浄土平に来たときに知った「岳温泉」の存在。
一瞬なんて読むのか・・・?解りませんでしたが「だけおんせん」なのですね。

でも・・・岳はガクと読めちゃう。
だって、ガクといえばやっぱり・・・




ですもんねぇ


せっかくだから「岳」とコラボしたら山やらない人にも知名度も上がって、
観光客も増えたりしないのかな~?お土産とかどう~?(昨年上高地で岳イラストのチョコ買った人が家にいます・笑)
なんてちょっと思ってるんですけど・・・余計なお世話かな


岳温泉





ほんとの空を探しに・安達太良山【後編】

2012-03-06 | ヤマのこと

続きです。

夜中に胸が苦しくて目が覚めた。
”あーー、やっぱり悪化してきちゃったのかな。
でもピークは踏んだしあとは下山するだけだから大丈夫だよね”

そう思いながら又寝なおして・・・
「朝食の時間ですよーーーお味噌汁が冷めないうちにきてよーー××さーん!」

え?もうそんな時間?

6:00、起こされるまで寝ていた山小屋は初めてでした。
寝ぼけ眼でだるい身体のまま、慌てて食堂へ行きます。もうほとんどの方が出発の準備を(汗)



具だくさんのお味噌汁、牛肉とコンニャクの煮物、温泉卵etc・・・
暖かい朝食で目が覚めました、ゴチソウサマでした。



窓の外を見ると・・・・快晴。
「お客さんたちはよっぽど行いがいいんだねー、朝からこんな快晴の日は珍しいよ」
多分リップサービスなんでしょう、と思いながら、
今日はもう帰るだけだからゆっくりと支度をし、コーヒーでも飲んで・・・



玄関でワカンの支度をしていたら、小屋番さんがタバコを吸いに出てきた。
私のストックを見るなり「これじゃダメだよーすぐ外れちゃうよ」
スノーバスケットの付け方がなってなくて、硬いのに一生懸命直してくれました。
「ありがとうございました、じゃあ」と帰ろうとしたら、
「何言ってんの?登らなきゃダメでしょ。こんな快晴の日、めったにねーよ!
せめて峰の辻まで登ってから、勢至平へ行ってよ。全然違うんだから、景色がさぁ」


と小屋番さんに怒られ(笑)下ではなく上へ。どうやら本当に珍しい天気らしい。


 
ほとんどの人が出発した後、7:30出発。さようなら、ありがとう!
管理人さんも小屋番さんも大変な仕事なのに本当に山が好きというか、くろがね小屋が好きというか・・・。
またここへ来たくなるような、温かなお人柄にすっかり癒されました。



何でしょう?この青空は?? 昨日鼻水たらしながら降りてきたよね?ここ。



無風の快晴。どこまでも青く、そして白い山。
山頂が見えたら・・・山頂行くよね?ここから下山だなんてアリエナ~イ



小屋で一緒だった人たち。みんなとびきりの笑顔です。



昨日の風は何?というくらいの最高の天気。雪も締まっていて歩きやすい。
日差しが強くて暑い!!Tシャツと薄手フリースだけになって登ります。



シュカブラ



あれ?ここ昨日全然前に進まなかったトコではないですか・・・



今日はスイスイ。


 
二日連続、同じ山頂へ。



だけど・・・



見えるものが違っていた。



西吾妻?飯豊?蔵王方面? 



右端が磐梯山、那須岳も見えていました。


 
無風の静かな山頂で、ゆっくり景色を堪能することができました。
たおやかに広がる峰々と、澄んだ青空が優しく心に染みる・・・安達太良山。



 
やっぱりその山のことは山の住人の指示に従うに限りますね
風も無く穏やかな山頂と、強風の山頂の両方を体験できて良かった。
もちろん悪天候なら山頂に辿り着くことも出来なかったでしょう、この天気に感謝です。
さあ、気持ちよく帰りましょう。




二本松の町を見下ろしながら歩く散歩道。



私はやっぱりこういう優しい姿の山が好きみたい。



 
昨日のスタートラインに戻ってきました。

さて、時計を見ると10:30。

今日登ることも一応考えてあったので、新幹線は取っていない。
ならば時間もあるし、とゴンドラを使わずに降りることにしました。


 
ところがこっちはトレースが消えてた。本当に雪深くて(尻ソリが進まない)転ぶと腰まで埋もれます。


 
薬師岳~五葉松平を経由し、途中スキー場にぶつかり・・・登山道を見失いました


 
リフトの係員に聞くと、スキー場の端を歩いていいとの事でしたので(他の登山者の足跡があった)
(途中コッソリ?尻ソリ使いながら)
勢至平との分岐を見つけ、登山道に戻り・・・


 
11:50、奥岳登山口に戻ってきました。
ここの雪だるまは・・・なるほど、安達太良山のシンボルだるまでした


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実は昨年、震災の翌週に予約をしてあって、行くはずだった安達太良山。
新幹線はもちろん止まっていたし、ダンナの家族の安否も解らなかった、日本中が不安に包まれていた時。
くろがね小屋もどうなっているのか?解らず、恐る恐る電話してみようと思った矢先、管理人さんから電話をもらった。
「小屋も人も無事なのですが、お客様に出す食料の調達が出来ないのです、
大変申し訳ない、又の機会にお願いします。」

申し訳ないだなんてとんでもない・・・生きててよかった。
無事だと解っただけでもありがたいのに、そんなドタバタの最中、宿泊予定の人全員にわざわざ電話を。


そのまっすぐな気持ちにありがとうを言いたくて、この3月に必ず訪れようと決めていた今回の安達太良山。
ひとつ、心に引っかかっていたことがクリアになって良かった。
管理人さんと小屋番さんの笑顔に会えて本当に良かった。



復興支援など力になれることはほとんど出来なかった一年。
力になるどころか、勇気をもらってばかりいた一年。
ほんとの空はやはり、ここにあった。この空にまた、元気をもらった。


一日でも早く、みんなの心にほんとの空が戻りますように。地道に応援させてください。
ありがとう、福島。



おしまい。


【行程】1日目:新宿→大宮(新幹線モバスイ¥5700)7:38→郡山駅8:30
 シャトルバス(¥600)9:00→あだたら高原スキー場10:15
 ゴンドラ山頂(片道¥900)11:08→安達太良山頂→峰の辻→くろがね小屋14:00

2日目:くろがね小屋7:30→峰の辻→安達太良山頂9:00~9:30→ゴンドラ山頂駅10:30
 →五葉松平11:00→奥岳登山口11:50 バス(¥300)12:00→岳温泉12:10



ほんとの空を探しに・安達太良山【前編】

2012-03-06 | ヤマのこと

2012.3.3(土)~3/4(日)初めての安達太良山へ。

小屋に予約を入れてあったので、どんな天気でも行こうと決めていた週末。
天気予報は晴れマークが消え、雪&曇、翌日晴れ。
好転しそうだが肝心の自分の身体が・・朝起きたら喉が痛くなってた金曜日。
自業自得とはいえ、何も前日の朝に風邪症状が出なくたっていいじゃん・・・熱が出たっていくもん・・・


 
土曜日の朝起きると、軽く咳は出るものの幸い熱は無い。
新幹線で郡山駅へ行き、あだたらスキー場行きのシャトルバスに乗る。
このバスのありがたいのはたったの¥600で登山口まで運んでくれる事。
9:00のバス(要予約)に乗り、スキー場へ10:00過ぎに到着。


 
天気は予報通り曇り。今日は北風が強いという予報・・・。
明日の方が天気はよさそうだけど、山の天気なんて解らないし(←ぷっ)
何より自分の風邪の症状が明日までもつのか?明日動けなかったらここまできて絶対悔しいはず。
心配だったゴンドラは動いているとの事なので、迷わず山頂を目指すことに。


 
ところがなんと!ゴンドラに乗ってしばらくすると青空が見えてきたではないですか
ラッキー 雲の上に出ちゃったみたい。



山頂駅が登山口。ダンナがツボ足で行けるかとちょっと入ってみたけど、無理はやめよう。
久々に履くわかん、履き方間違えちゃってモタモタ。11:00過ぎにやっとスタートです。



ゆるゆる進みます。


 
風もなく、汗ばむ位日差しが暖か。青空に向かって進むのは気持ちいいね~。



15分も歩かないうちにもう山頂が見えてきましたよ
キレイーーヒャッホー



・・・とか言ってたのは最初だけでした。


仙女平分岐を過ぎたあたりから、風が強くなってきました。


 
強風ですぐに消えてしまうトレース、一歩一歩しっかり歩かないと進めなくなりました。
先ほどまであんなに汗かいていたのに、一気に身体が冷え、鼻水が溜まっちゃって(失礼)息苦しくなり、
立ち止まるのも嫌だったけどとにかく鼻をかまないと歩けません
ここまでほとんど同じペースで後ろにいたカップルに先に行ってもらいました。



ごおおおおーーーー にゃーーーっ




痛い痛い!顔にあたる雪が痛い!
バラクラバを持参していたのに、油断して着けていませんでした。
ここでザックを降ろして何かをするのは無理、とにかく先へ進むしかないのですが風が強くて進まない



なんとか尾根に乗りましたが、時折叩きつける突風で耐風姿勢?を取らないと転んでしまいます。
(前を行く女性が転んでいました)


 
山頂は目の前、岩の上。
わかんでは進めないので、山頂直下の唯一風をよけられる場所でアイゼンに付け替えます。
が、もうわかんのベルトも凍りついて外せず、ここでもモタモタ。強風でも晴れてるからまだよかったけど。
自分の準備不足&手際の悪さに呆れた瞬間でした。


山頂まではものの1,2分で到着しましたが・・・



強風で雪がいたーい
じっと立っていられなーい
景色楽しむとかそんな余裕も無く・・・




証拠写真だけ撮って3分で撤収



ネックウォーマーから少しだけ出ていたほっぺたの感覚がなくなりますた・・・




風のない場所まで降りてきて、やっと落ち着いて後ろを振り返ります。
写真には写らなかったけど、雪煙が上がっていますね、これがウワサの安達太良山の強風?



矢筈森と鉄山方面。



峰の辻までくるともう穏やか。ふーっと肩の力が抜けました。
さあ、くろがね小屋を目指しましょう。


 
東北の山は雪深い、と聞いてはいたけれどなるほど。
私には今までに体験したことの無い深さでした、転ぶと立ち上がるのが大変

あ!小屋が見えた!


 
りっぱな小屋ですねー。
黒い釣鐘が迎えてくれました。


 
14:00、小屋に入るともう既に宴会が始まっているグループが4組ほど。
私たちは行動食すら取らずに来てしまったからお腹が空いたー。
でもここまでたったの3時間しか歩いていないからお昼抜きでちょうどよかったかな。


手続きの際小屋番さんに、
「お散歩楽しかった~?」と言われ、
「お散歩かぁ(笑)やっぱり風強いんですね」と言ったら、
「なーにいってんの!今日はまだ序の口。風の強い時は1歩進んだら3歩は戻されてほふく前進しないと進めねーの」
「今日のでもすごいと思うのに。自分の未熟さがよーく解りましたよ」
「うん、それでいーんじゃん。もっと上を目指そうって思えると楽しいじゃない。嫌いにならないで何度でも来てよね」

大勢の登山客相手に甲斐甲斐しく働く小屋番の伊藤さん。
面白いだけじゃなくて、忙しいのに誰に対してもユーモアたっぷりに対応されてさすが、と思いました。



 
何度も写真で見てきた小屋は、写真で見るより更に良い雰囲気でした。
ゆったりとした開放感のある創りなのに暖かく、木のぬくもりが一杯。
これは居心地最高ですね


 
私たちは2階の6人部屋、でもこの日は5人でゆったり。
廊下との境にはカーテンがあるので相部屋でもとても落ち着きます。


 
一番の楽しみである温泉は、男女別になっているので時間を気にせず入れます。
湯の花がいーーーぱいの源泉掛け流し、火山の恵みそのままのお湯は最高



 
ダルマストーブのおかげか?半袖でもOKなほど暖かな食堂。



  
(鈴木みきさんのメッセージもありました)
今回は独り復興支援のつもりでお酒類は一切担がず、ここで購入。
いつもなら自炊だけど食事も頼んである。
※ビール¥400 日本酒¥300 ワインハーフ¥1000 机上のバーナー使用禁止、床ならOK。
カセットコンロと土鍋の貸出アリ(要予約¥1000?)

夕飯までのひとときは、持参したチーズフォンデュ(笑・きっとダンナも食べたかったんだね)をつまみに、
温泉→ビール→温泉→会津のワイン→日本酒→またビールに戻り・・・

こんな居心地良かったら、飲みすぎちゃうよー


 
5:30には美味しいと評判の手作りカレーの夕食が出てきました。
ちょっと甘くて辛い、作り手の真心が伝わる美味しいカレーでした(お替りは早いもの勝ち)


くろがね小屋、サイコーです


食後にもう一度温泉に入り温まったおかげか?喉は相変わらず痛かったけどゆっくり眠れた夜でした。


続きます