チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ミャスコフスキー 交響曲第6番と「怒りの日」

2014-04-09 22:21:03 | 何様クラシック

ミャスコフスキーの交響曲って聴けばきくほど素晴らしいっすね。スヴェトラ全集を熟聴して27曲全部、口笛で吹けるレベル(?)に持っていきたいくらいです。

聴き始めの頃は、ボクのような素人の耳には、くすんだ色の、下手くそっぽいオーケストレーションにきこえてしまい、退屈だし情けないなーとか思っちゃったんですが、実はその(計算された?)不器用さこそが再び聴きたくなる理由なのではと思い改めました。聴くほどに味が出てきます。特に緩徐楽章には底知れぬ深さがありますね。

きょうはミャスコフスキーの交響曲で一番演奏時間が長いという第6番(ミャス6、合唱いらなくね?)を真剣にきいてみて、その魅力を再認識しました。

ミャスコフスキーの交響曲全般に言えることだと思いますが、全然知らない戦前の時代に持っていかれるような、なつかしい感情を引き起こしてくれます。今回も、ミャス6を真面目に集中して聴いたあとは、自分の感覚を過去から現在に引き戻すのにけっこう時間がかかりました。こういう感覚を呼び覚ます交響曲群って他にあんまり無いような気がします。音楽のタイムマシン?

全曲で一番感動したのは「怒りの日」が引用されている第2楽章中間部(これは第3楽章にもあらわれます)。「怒りの日」は第4楽章にもオリジナル的な怖さをもって登場しますが、第2楽章では「怒りの日」のくせに印象派(or マラ6)っぽくて癒されます。どうしてこんな穏やかなアレンジを施したんでしょうか(このままチェレスタにあっちの世界に連れて行かれそうで危険)。


以下、三浦淳史氏によるこの曲の解説を付け加えます。

 交響曲第6番変ホ短調作品23の作曲動機が、きわめて個人的であると同時に、できあがった作品もまた個人的な訴えをもっている。ミャスコフスキーはモスクワで、フランスから来た歌手がフランス革命の歌を歌うのをきいた。それは、パリで労働者が多く住んでいる地区で実際に歌われているとおりに歌ったのであるが、ミャスコフスキーは「ラ・カルマニョール」という歌にことのほか感動したのだった。この歌はフランス革命当時流行したもので、超過激なジャコバン党員によって創唱されたという。ミャスコフスキーはさっそくそれを採譜した。彼はその激しいリズムに魅了されたと語っているが、彼の採譜の仕方はこの曲の楽譜とは違うことも認めている。ミャスコフスキーはこれを第6番の主題の一つにとりあげた。
 ミャスコフスキーは西欧の詩、なかでも現代詩に対して、共鳴するものがあった。ベルギーの生んだ偉大な詩人エミール・ヴェルハーレン(1855-1916)の名詩「夜明け」(1898)は愛唱してやまない詩の一つとして、この詩の影響が認められている。第6番には、さらに個人的な影響がある。それは、ミャスコフスキーがとりわけ心に触れ合った人を二人亡くしたことである。
 ミャスコフスキーは、後年第6番について、反省と郷愁をこめて回顧している。
 「当時の私の世界観は混乱していてた。現在の私には、それは異様にさえ思われる。この曲には、「犠牲者」のモティーフとか、「魂と肉体の分離」のモティーフがあって、最後に「祝福された生涯」を象徴する短い賛歌で結ばれるのです。しかしながら、当時の創作に対する情熱は今でもなつかしい」

音楽之友社「名曲レコード全集1」(昭和39年初版)より

。。。何しろ「おそロシア」なので、どこに本音があるのかわかりませんが、ミャス6を聴いて情熱的であるのはハッキリわかります。あと、亡くなった「心を触れ合った二人」というのは誰なんでしょうね。(調べます)