チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ブリテン初来日(1956)に関するメモ(三浦淳史氏)

2014-04-20 23:44:04 | 来日した作曲家

ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)が1956年(昭和31年)に初来日したときの様子を書いたものを探しているのですが、まだあまり見つかっていません。

でも『レコード芸術』昭和40年4月号152ページにちょっとだけ三浦淳史氏(1913-1997)が書いていらっしゃいました。↓

【親友のテノール歌手ピーター・ピアーズと連れだって東洋観光の旅にのぼったブリトゥンはNHKの招きに応じて東南アジアから日本へ足をのばし、2月8日に来日したのであるが、正式の演奏旅行ではないため、わずか2回放送に出演したのみで、二週間のトゥーリストとして去ったのである。】

→2月18日(土)には「鎮魂交響曲」の日本初演を指揮していますよね(N響)。

【来日当時、ブリトゥンと日本の作曲家たちのあいだに会合がもたれたが、これがどうも失望であったらしい。外山雄三氏の「ブリトゥンとの一時間」(音楽芸術)によると、『ブリトゥン氏があまりに(その作曲態度から考えても)穏健な紳士であったこと』もその理由の一つであったという。たしかにパーティでもブリトゥンは芸術家らしい気取りや衒気を全くひけらさなかった。静かにパーティの華やかな波にのり、また波のようにいつしか静かに去っていった。芸術家的な風貌とかポーズを作曲家の属性に求めがちなぼくらには、天然パーマにちぢれている栗色の髪、くせのある尖った鼻、少年のような瞳をもつ、ありきたりのイギリス人に英国紳士の平凡なタイプを見出すのが落ちである。通俗的な意味では、彼は芸術家タイプではない。といって、ひじょうに人間的な親しみをもてる人柄でもない。】

→音楽から勝手に想像していたブリテンの人物像が実際にはフツーすぎてみんな落胆したんでしょうね。ブリテンって自分の感情を表に出さないタイプだったんでしょうか。または日本人のドンチャン騒ぎに嫌気がさしたとか?「音楽芸術」誌の記事も探して読みたいです。


ちなみに、1956年のことではないと思いますが、三浦氏はこんなことも書いています。

【彼(ブリテン)はおそらく独身主義者なのであろう、51歳の今日まで独身で通している。三歳年長で、やはり独身のピアーズに、ぼくはマティーニの軽い酔いにまかせて、ぶしつけなことを尋ねたものだ。なぜ君たちは二人とも結婚しないのかと。ピアーズは、相変わらず微笑をくずさぬまま "FATE! FATE! FATE!" と三度くりかえしながら、エレヴェーターの中へ消えていった。】

→三浦さん、知ってて質問したならすごいっす!

↑ 三浦淳史氏(『ステレオ芸術』1969年9月号)