チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

カザルスの公開レッスン(1961年初来日)

2015-08-09 15:32:51 | 来日した演奏家

(大幅に修正しました)

『藝術新潮』1961年6月号に、チェリスト・鈴木聡氏による「カザルスのレッスン」という記事がありました。

パブロ・カザルス(Pablo Casals, 1876-1973)は愛弟子の平井丈一朗氏の日本におけるデビュー・コンサートで指揮をするため、1961年に最初で最後の来日を果たしました。84歳。

その時予期せず、カザルスによる公開レッスンが東京・有楽町の朝日講堂で4月16日と17日の二日間にわたって開かれることになったそうなんです。

カザルスは当時、信念に基づいて一、二の限られた場所以外では演奏しないようになっていたので、彼のチェロの演奏をナマで聴けることは奇跡に近いことだったようです。

↑ 愛用の名器、ゴッフリラを弾くカザルス。「コンサートでもなければショーでもない、レッスンであるから気楽にやります」と上着を脱いだ。

【公開レッスンの受講者】
・全日本のチェリストのうちから選ばれるマスタークラスの演奏者

【聴講者】
・日本の楽壇の各界を代表する人々
・一般の聴衆層からも広く募集

【課題曲】
次の三つのうちから一つ選ぶ (三大Bで揃えましたね)
1.バッハの6つの無伴奏組曲のうちから
2.ベートーヴェンの5つのソナタのうちから
3.ブラームスの2つのソナタのうちから


公開レッスンでは、一日あたり6名、二日間計12名を予定していたそうですが、神様を前にビビった(?)のか、9名にしかならなかったので、追加で芸大教授でピアニストの永井進氏とともに、プロのチェリストである鈴木聡氏が急遽参加することになったそうなんです(鈴木氏のレッスンの時だけピアノが永井氏)。

永井氏と鈴木氏は、他の9人の受講者が選ばなかったブラームスの2番を選んだのですが(井上頼豊+池本純子ペアも同曲を選曲。下の資料参照)、特に鈴木氏は下手したら恥をかいてしまうことになるのに参加してエラい!でもカザルスに教わる機会なんてないですからね。

↑ カザルスのレッスンを受ける鈴木聡氏。


以下、自分の順番が回ってきてからについての鈴木氏の臨場感のある文章を引用します。

「順番が来て私がカザルス師と二メートルの間隔をもってお互にチェロをかまえて向い合った時、彼の体から異常なまでのエネルギーと気迫が私に迫って来たことを感じた。それは先ほどまで客席で第三者としてこの講習を聴いていた時には夢にも感じなかったものである。勿論バッハとブラームスの音楽の内容の表現の差も関係があるかもしれない。この第一楽章の劈頭の突如としておこるピアノのフォルテの和音に次いで出るところのチェロの最強音の第一主題は、全身のエネルギーと熱情をもって奏されるものである。そしてその時の私は弾き出す前にすでに彼の誘導を感じたのであった。私は今までにかつて経験したことのない烈しさをもってこの曲の演奏に入った。しかしそれは私の持つ力量を越えた要求であったのか、私の楽器から出て来た音はそれにそぐわない、およそ情ない音として私の耳に入ってきたのである。

(中略)次は彼(カザルス)の演奏を聴く番である。三十年前パリのステージ上での何回となく聴いた彼の演奏を、目の当たりの距離で聴くのである。天から与えられた希有な才能をもって、世界中の音楽家のうちでも最長の年月の間練りに練られたものを、凄烈な息吹とともにする演奏は、この偉人がステージで全力を挙げて演奏する時となんら異なるところがない。私の体が彼の大きな音楽という器の中に吸い込まれるような感じであった。そして或る場合は耳をすませて私の演奏を聴き、また或る時はともに弾いて誘導して私のうちから出て来なかったものを引き出し、またある時は何回も交互に弾いて私に納得させるのであった。」


。。。さすがカザルス、オーラがすごかった。

↑ 宮沢明子さんもピアノを弾いていました!チェロは千本博愛氏(『ピアニストの自画像』大和書房)

 

↑ 当時の新聞記事より、勇敢かつラッキーな11人のチェリストたち。

 

↑ 東京放送でオンエアされた可能性大ですね

 

↓ カリフォルニア大学でのレッスンですが同じころの動画がYouTubeにいくつかありますね。本当に神様みたい。生徒はボニー・ハンプトン (Bonnie Hampton)。