チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

『音楽芸術』記者、ショスタコーヴィチに話しかける(1952年)

2015-09-02 22:15:02 | メモ

(情報を追加しました)

「音楽芸術」昭和28年11月号に、この音楽雑誌の記者で国会図書館の役員でもあった羽仁五郎という人が1952年12月、ウィーンのコンツェルトハウスでの平和大会の会場でショスタコーヴィチを偶然見つけ、話しかけたということが書いてありました。



「...ソヴェトは、総員50人からなる多人数だったので、定員外の人々は、最後列に集まっていた。ショスタコヴィッチは、その中に混じっていたのだ。」

→ショスタコーヴィチが謙虚なのか、ソ連の彼への扱いが良くないのか。。

「ショスタコヴィッチは、背がすらっとしていて顔が小さく、余り健康そうでない顔色をしていて、髪は乱髪、外見からも芸術上の苦悩がありありと見て取れた。非常に深刻な顔をしているので、すぐには近寄り難いと思ったが、勇気を出して紹介なしに彼に話しかけた。ロシア語があまり得意でないのでその旨を伝えると、ドイツ語でも良いというのでドイツ語で話した。仲々流暢なドイツ語で、物静かなバリトン調だった。」

→羽仁さん、なかなか勇気ありますね!でもショスタコーヴィチの声ってどっちかというと高めのテノール調じゃなかったっけ?

「私はまず『日本の音楽家達は貴方に注目している。日本でも西欧の音楽を大分学んで来たが、今度は自分達の音楽を作り出すことに努力している。』と話すと、彼は非常に同情し、『我々もソヴェト音楽をつくることは容易でない。ロシアでも近代音楽の歴史は浅い。現在、西欧の音楽と我々の音楽とは決して対立的には考えていない。とにかく優れたものは、認めるのだ。しかし有害なものに対しては排斥せざるを得ない』と云い又今後のソヴェト音楽の方向を尋ねると、『第一に近代音楽の根本を理解し、ロシア独自の個性を発展させること、第二には民衆の基礎の上に音楽を築かねばならない』という意味のことを言っていた。『最近の傑作は』と問うと、『"森の歌"だ』と答えた。」

→例によってどこまでが本音だかわかりませんが、見知らぬ東洋人によくここまで親切に答えてくれたものです。(素朴な疑問:ショスタコーヴィチは本当にこんなことを話したのか、というか本当に会話したのか?)

「翌日の晩、催しがあって、ウィーンの音楽家が一堂に会したそうだが、私は仕事の都合が悪かったので残念ながらそこへ行くことが出来なかったが、その折のことを後で聞いたところ、ショスタコーヴィチがそこへ現れ、自作のピアノ曲を演奏したそうだ。そこへ集まった人達は、若い音楽家が多かったそうだが、ショスタコヴィッチのすばらしいピアノのテクニックに感嘆していたそうだ。」

→それはめちゃくちゃ残念でしたね!

(追記)ネットで調べたら羽仁五郎(1901-1983)さんはマルクス大好きな、そういう、有名なかたでしたー

 

(さらに追記)

↑ 映画「エルベ河での邂逅」の主題歌の末尾。上の歌詞は「平和は戦争に打ち勝つ」という意味らしい。

羽仁氏がショスタコーヴィチに話しかけた際に書いてもらったものだそうです。

ショスタコーヴィチって随分とサービス精神が豊かなんですね。。