チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

1952年コルトー来日公演日程+青森・明の星高等学校と麹町・女子学院

2015-09-04 19:17:08 | 来日した演奏家

(来日時のコルトーに関して情報を末尾に追加しました)

アルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, 1877-1962)の古い録音を聴くとミスタッチがやたら多いですが、そんなの関係なく落ちつきます。雰囲気ありすぎ。
コルトー自身の「芸術は指で弾くのではなくエスプリで弾くのだ」という言葉に納得です。

 

1952年(昭和27年)に75歳のコルトーが最初で最後の来日を果たしたときは当時一番レコードで親しまれていたピアニストであったことから大きな話題になったそうです。というか歴史的事件。

コルトーは1952年9月25日(木)午後2時35分、羽田空港に息子さんのジャン君と共に降り立ちました。

このとき、意外と長く日本に滞在していたんですね。12月の初めまで全国各地で演奏しています。

演奏会は、「音楽之友」、「音楽芸術」等で判明した範囲では以下のとおり。(日付、曲目など間違っていたら修正していきます)

それにしても過酷なスケジュール!老ピアニスト大丈夫だったんでしょうか?

9月30日 日比谷公会堂(Aプロ) 上の画像がそのときのもの。
10月1日 帝国劇場(B)
10月2日 帝国劇場(C)
10月4日 大阪(A)
10月5日 大阪(B)
10月8日 宇部(B)
10月9日 下関(C)
10月11日 福岡(B)
10月13日 別府(C)
10月16日 松山(B)
10月19日 京都(C)
10月21日 名古屋(B)
10月22日 静岡(B)
10月23日 日比谷公会堂(オール・ショパン・プログラム)
10月24日 日比谷公会堂(オール・シューマン・プログラム)
10月28日 盛岡(B)
10月30日 仙台(C)
11月3日 松本(B)
11月5日 日比谷公会堂(※1)
11月7日 日比谷公会堂(協奏曲※2)
11月8日 日比谷公会堂(協奏曲※3)
11月10日 日比谷公会堂(協奏曲※4)

(Aプロ)
ショパン:前奏曲作品28全曲、エチュード作品10&25全曲

(Bプロ)
メンデルスゾーン:厳格な変奏曲作品54、シューベルト:楽興の時ヘ短調、ウェーバー:舞踏への勧誘、ショパン:バラード第1番、夜想曲第4番、ワルツ変ト長調、タランテラ、英雄ポロネーズ、シューマン:子供の情景、リスト:ハンガリー狂詩曲第2番、ブラームス:子守歌(アンコール)

(Cプロ)
ショパン:幻想曲、ワルツ作品64-2、子守歌作品57、スケルツォ第2番、シューマン:蝶々、ショパン:ソナタ第2番、シューマン:謝肉祭

 

。。。これらの曲のほか、来日公演ではリストのロ短調ソナタが演奏されたという高橋昭氏の証言あり(レコード芸術2006年3月号)。毎回プログラムは当然のように変更になっていたようです。

 

※1  ベートーヴェン:月光ソナタ、ショパン:前奏曲集、ドビュッシー:子供の領分、リスト:ハンガリー狂詩曲第11番

 

※2 フランク:交響的変奏曲、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番(上田仁指揮東京交響楽団)

 

※3  ショパン:ピアノ協奏曲第2番(近衛秀麿指揮東京フィル)←「管弦楽の不ぞろいもさることながら、管弦楽とコルトーのピアノとが又全然合わず。これでも練習したことがあるのだろうかと疑いたくなること程左様にみじめなものであった(音楽之友昭和28年2月号)。」 あら~!

 

※4 シューマン:ピアノ協奏曲 (近衛秀麿指揮東京交響楽団)

(11月7,8,10日については情報が混乱している可能性があります)

 

↓おそらくシューマン演奏後の様子。(11月10日?)

 

↓上田仁をねぎらうコルトー。上田さん嬉しそうですね!(写真は2枚とも音楽之友昭和28年1月号より)


さらに!上記の日程の他にミッション系の学校などでも演奏していたんですね。コルトーは熱心なカトリック信者だったということです。

10月26日 青森・明の星高等学校。コルトーの孫弟子であるカトリック宣教師のSr.ジゼール・マリー(ジゼール・ドルイン先生)が創立者で当時の校長先生。

↑ たぶん前列右がジゼール・ドルイン Gisèle Drouin←ここより。

↑ ラーメンを召し上がっています。どのかたがドルイン先生かわかりませんでした。


曲目はショパンのソナタ第2番、シューマン、アンコールとして子犬のワルツ+一曲

(↑音楽之友昭和28年2月号の読者からのお便りコーナーより。2時間にわたるリサイタル後、可愛い少女から花束を受けるコルトーの笑顔が今でもはっきり目に浮んでくるという青森小豆沢の鈴木一雄さん、時空を越えてありがとうございます。)


12月7日 麹町・女子学院 前年にも来日したレイモン・ガロワ=モンブラン氏(Vn)との珍しい組み合わせのコンサート(曲目知りたい)。日仏文化協会主催。音友同月号より

コンチェルトの演奏会から約1か月後ですが、過密スケジュールの後、日本のどこかで休養でも取られていたのかもしれません。


(↑女子学院で演奏後のふたり。でもこの学校ってプロテスタントでしたよね?まあ、そういうのあんまり関係ないか。)


学校の講堂・音楽室という、より親密感のある会場で人間的にもめっちゃ優しそうなコルトーのピアノを聴けた聴衆は幸せだったと思います。

どこの廊下でしょうか?(アサヒカメラ昭和53年増刊号より。大竹省二氏撮影)

 

(追記)

朝日新聞社1982年発行『昭和写真全仕事SERIES 4 大竹省二』(上の写真の撮影者)に大竹氏自身による貴重な証言がありました。

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 コルトーが来日したときのことであった。薄暗く長いホテルの廊下を通って、指定された時刻に氏を訪ねた。同行の記者と二人で部屋のドアをノックしたが返事がない。さては、すっぽかされたかと思い、思い切ってドアの取っ手をひねると、ドアはすっと開いた。愕いて一瞬身を引くと、誰か中にいるようすである。恐る恐るあたらめて中をのぞくと、じいさんが一人キョトンとして、こちらを向いている。それが、かの有名なコルトー氏だったのである。

 こちらから何を話しても答えず、黙々として、勝手にピアノの前へすわったり、帽子を持って廊下へ出たり、一人でポーズをとってくれたが、その間、氏はしじゅう黙して何も語ろうとしなかった。あとで氏の耳がその時はすでに聴音の機能を停止していたということをきかされ、私はあたらめて氏に感激し、今でもその写真をたいせつにしている。(昭和43年)

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「帽子を持って廊下を出たり」って上の写真のこと? 当時のコルトーが聴力を失っていたとは知りませんでした(涙)。コンチェルトでオーケストラと合わないのも当然?

↑ 同氏撮影のコルトー。廊下での写真と同一のシャツに見えるので同じときに撮られたものでしょうね。

(大竹省二氏は今年(2015年)7月2日に95歳で亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。)