チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

レニングラード音楽院で一緒に学んだ潮田益子と前橋汀子(1962年)

2016-06-24 20:50:53 | 日本の音楽家

『今日のソ連邦』1962年10月1日号より「レニングラードでバイオリンを学ぶ日本娘たち」です。

日本娘たち、というのは潮田益子さん(1942-2013)と前橋汀子さん(1943年生まれ)。

お二人はアウアー門下のアンナ・ブブノワ(Anna Bubnova・小野アンナ、1890-1979)の東京にあった教室で知り合いになったそうなんです。

彼女たちは1959年に来日したソ連のヴァイオリニスト、ミハイル・ヴァイマン(Mikhail Vaiman, 1926-1977)に演奏をきいてもらい、感心したヴァイマンが二人のレニングラード音楽院留学を援助することを約束。しかもヴァイマン自身が2人を教えることを喜んで了承。お二人のその後のご活躍にかんがみるにヴァイマンの目に狂いはなかったことになりますね。

その後、2年間は日本において音楽院への入学準備に費やされ、1961年8月に二人はいよいよレニングラードに到着しました。

二人がレニングラードで一緒に住んだのは音楽院の学生寄宿舎の3階、51号室。ラトビアの首都リガから来た2人とともに計4人。部屋がいつもきれいに掃除されていたので他の学生たちの手本として引き合いに出されていたというあたりさすがは日本娘。

彼女たちの日程は週に3回はヴァイマン先生のレッスン、さらに四重奏の練習、ロシア語の勉強、予習・復習でぎっしりつまっていたそうですが、わずかな余暇は仲のよい友だちとコンサートやオペラ、美術館に通ったらしいです。うらやましい~(とか気楽なものでは決してなかったということが現在日経に連載中の『私の履歴書』でわかりました)


↑ 音楽院に急ぐ潮田さんと前橋さん(下の写真と併せて考えると左が潮田さん??) 腕組んじゃって仲がいいですね。

 


↑ 今学年の最後の学習日が終って音楽院からうれしそうに出てくるお二人。

 


↑ 喫茶店「セーベル」で。カワイー。20歳前後

 


↑ この頃ソ連公演を行った「ジャズ・オーケストラ」渡辺弘(1912-1988)とスターダスターズのポスターを見つめる二人。

 


↑ 参考(渡辺弘とスターダスターズのモスクワ公演)

 


↑ ヴァイマンのレッスンを受ける潮田益子さん



。。。潮田さんと前橋さんがレニングラードで一緒の部屋に住み込んでいたとは知りませんでした。