チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

映画『カーネギー・ホール』のプログラム(1952年)

2015-04-18 17:24:31 | メモ

一流のクラシック演奏家がたくさん出演していることで有名な1947年のアメリカ映画『カーネギー・ホール』(Carnegie Hall)のプログラムの表紙です。日本公開は1952年。


↑ ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル。撮影用なのか、オーケストラ・メンバーがいつもより指揮者をよく見ている気が。

↓YouTubeではこの映画の全編が見られるんですね。

 



このように、たくさんの出演者がいますが、この中での見ものはやはり
1.ワルター指揮ニューヨーク・フィルのマイスタージンガー序曲(36分45秒から。鼻の穴でかっ)

2.ルービンシュタインの英雄ポロネーズ、ファリャ「火祭りの踊り」(1時間00分17秒から)

3.ハイフェッツとフリッツ・ライナーのチャイコフスキーの協奏曲(1時間40分54秒から。その前のシーンではハイフェッツとライナーは「俳優」として演技しちゃってます)

4.ストコフスキー指揮ニューヨーク・フィルのチャイコフスキー交響曲第5番第2楽章(2時間01分45秒より。演奏途中に会場入んなよ~)

。。。といったところでしょうか。

しかしさすが大田黒元雄さん、こういったメジャー系でなく声楽のほうに感心されています。


2時間15分あまりですが、当然、音楽シーン以外は飛ばしまくりなのであっという間に見終われます。

↑ベートーヴェンの運命を指揮するアルトゥール・ロジンスキ (Artur Rodziński, 1892-1958)


名曲喫茶だった洋菓子の銀座ウエスト(1958年の広告)

2015-04-16 22:13:52 | 名曲喫茶

リーフパイで有名な洋菓子の老舗、東京・銀座ウエスト1958年の雑誌広告です。



夕方からは「名曲喫茶」。そういえばお店は今でもそんな雰囲気を残しています。

やっぱりお菓子に合いそうな選曲になっています。モーゼとアロンとかはきっとダメでしょう。

1958年時点で「第530週」(約10年)。
ウエストは1947年創業ということなのできっと開店当初から「名曲の夕」を開催していたんでしょうね。


恋多き藤原義江とアキ

2015-04-14 21:49:57 | 日本の音楽家

吾等のテナー、藤原義江は女性関係も派手だったらしいですね。

下の写真は昭和4年(1929年)7月31日の中日新聞に掲載されたものです。(『中日新聞に見る昭和の追憶・上巻』..義江を見舞う松永秋子さん)

Wikipediaによると、「東京・京橋の開業医、宮下左右輔の妻、宮下アキ(藤原あき、福澤諭吉の実姉:婉の長男で、三井財閥の番頭、中上川彦次郎と妾・つねとの間の子で女子学習院出身)とのスキャンダルが大事に発展」とあります。

なんと、写真のアキさんは福澤諭吉と血がつながっていた。

さらに、この『昭和の追憶』の解説にはこんなことが。↓

「眼科医宮下博士夫人アキとオペラ歌手藤原義江が初めて会ったのは大正12年。それから5年後の昭和3年8月、彼女は地位も二人の子供も捨て、義江のいるはるかイタリアに向けてひそかに日本をたった。二人はミラノで結婚、あらゆる困難を乗り越えて結ばれたが、昭和32年義江に愛人が出来離婚した。」

 

。。。藤原さん、リアルにオペラな人生ですね!


二期会・藤原歌劇団「蝶々夫人」競演~6組の主役(1958年)

2015-04-12 17:21:35 | 蝶々夫人

アサヒグラフ別冊「映画と演芸」昭和33年3月25日号によると、労音(東京勤労者音楽協議会、当時会員7万人)のバックアップで二期会と藤原歌劇団が2ヶ月にわたって「マダム・バタフライ」を31回上演したということです。

↑ 第1幕より。

当時の二期会と藤原歌劇団の主役を洗いざらい繰り出しての上演で、結果的に日本のオペラ界の代表者たちの競演になった、と記事にはあります。

 

以下の画像は6組の蝶々さんとピンカートンです。上から順に第1幕の「愛の二重唱」、第2幕第1場の「ある晴れた日に」、第2場の「さらば、愛の巣」。

【二期会:4組】
柴田喜代子(しばたきよこ、1924-2005)
柴田睦陸(しばたむつむ、1913-1988) ご夫婦での出演。↓

 


大熊文子(おおくまふみこ、1918-2003)
堤温(つつみすなお)↓

 


毛利純子(もうりじゅんこ)
島田恒輔(しまだつねすけ)↓

 


伊藤京子(いとうきょうこ、1927年生まれ)
渡辺高之助(わたなべたかのすけ、1919-2003)↓

 


【藤原歌劇団:2組】
砂原美智子(すなはらみちこ、1923-1987)
宮本正(みやもとただし、1919-2014 宮本文昭氏の父)↓

 


大谷洌子(おおたにきよこ、1919-2012)
藤原義江(ふじわらよしえ、1898-1976)↓





。。。二期会も藤原歌劇団もお互い負けないように頑張ったでしょうね!(ただ、キャストを変えたとはいえ、31回も上演して飽きなかったんでしょうか?)

ところで画像だけで声は聴けないけどどの蝶々さんがお好みですか?やっぱり可憐な蝶々さんがいいですね~


最年少作曲家ベティ・グーリック(Betty Gulick)とハロルド・レヴェイ(Harold Levey)1923年

2015-04-11 14:39:41 | メモ

『国際画報』大正12年7月号(東京・麹町 大正通信社発行)より、最年少作曲家であり声楽家でもあるベティ・グーリックの写真です。


↑ ベティ・グーリック(Betty Gulick, 右)とハロルド・レヴェイ(Harold Levey, 1894-1967)

記事によると
「従来合衆国でハロルド・レヴェイ氏が最年少の作曲家だと一般に考えられ評判されていたが近頃そのレコードの破り手が現れた。

誰かというと本年10歳になったばかりのベティ・グーリック嬢で、彼女は今やハロルド・レヴェイ氏以上の名声をニューヨークの楽壇において得るに至った。

彼女は目下評判になっている『母さんの子守唄』の作者である。」

 

自分はこの二人の名前を全く知りませんでした。ご存知の方はきっとかなりの音楽おたくです!

ハロルド・レヴェイに関しては「魔法の指環 - 愛の歌」という作品だけはNMLでかろうじて聴けましたが

グーリックの「母さんの子守唄」(My Mother's Lullaby)はネットでは聴けませんでした。。忘れられていってしまうんですね。ちょっとほじくり返しました。