ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.3.11 あの日から6年・・・

2017-03-11 20:27:24 | 日記
 3か月に1度の歯科検診の日。朝一番で予約を入れていたので、のんびりベッドで朝の連続テレビ小説鑑賞は出来ず。だるさで身体が重い中、とにかく起きる。
 夫は昨夜遅かったので、起こさずに朝食は後回し。まずは念入りに歯磨き。フロスや歯間ブラシ等を駆使してクリニックに出向く。抜けるような青空のいいお天気。今朝も風が冷たい。

 「自分としては特に気になることもなかったですが、1月からまた抗がん剤治療が始まり、気持ち悪さでなかなか歯磨きに時間がとれないことがあります。」とご報告。「概ねよく手入れ出来ていますが、右下の〇番目の奥歯の内側、左上の〇番目の奥歯の外側はブラシが当たりづらいので、ここを意識的にケア出来ると良いですね」とのこと。該当部分をお掃除して頂き、10分かからずに無事終了。次回も3か月後に予約を入れてクリニックを後にする。食事も摂っていないし、とにかく口の中がスッキリしている。

 昨日はとにかく気持ちが悪くて、昼も夜もろくに食べ物が喉を通らず。帰宅後は生協から届いた食料品の取入れと洗濯物の始末をするだけで青息吐息。夫は宴会で夕食が不要だったので、スープと果物でごまかす。いつの間にかリビングでウトウト。だるくて熱っぽい。

 今日になって酷い気持ち悪さが少しずつ落ち着いてきたが、相変わらず食欲はない。クリニックから帰ると夫が「あれなら食べられる?これなら食べられる?」と言うけれど、どれもノーサンキュー。いつもの簡単な朝食を少な目に。その後は、リビングでひたすら横になる。だるくて眠くて、どうしてこんなに眠り続けていられるのか不思議なくらいだ。結局、朝クリニックに出向いた以外は終日籠城蟄居。新聞すら取りに出なかった。

 おりしも今日は東日本大震災から6年目の日。14時46分には追悼番組を見ながら夫と2人で黙祷。
 丸6年目だから7回忌にあたる。あの時生まれた赤ちゃんたちは4月にぴかぴかの1年生になるという。その6年の間、いまなお行方不明の方もおられる。放射能に対する偏見から耳を疑うようないじめの話もあるし、自主避難してこられた方たちは住居の無償提供が今月末で切れ、新しい住処の確保に暇がないという。

 こうした色々な報道を見聞きするにつけ、もう6年というよりもまだ6年と感じる。
 あの時感じたこと、考えたこと、生きていることの重さとあまりの儚さ、今もありありと思い出す。
 治療を続けながらもここまで命を繋げてきていることを、改めて有難くもったいなく思うとともに、突然命を絶たれた方たちの言葉に尽くせぬ無念を悼む3月11日の夜である。
コメント
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