ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2017.3.16 昨日の通院日に読んだ2冊

2017-03-16 21:16:13 | 読書
 昨日は2冊読めた。
 1冊目は樋野興夫さんの「いい人生は、最期の5年で決まる」(SB新書)。
 樋野先生には昨年、患者会の勉強会でお目にかかる機会に恵まれた。著書にサインを頂き、ツーショットも撮って頂いた。あのお優しい語り口がそのまま読みやすい文章になっており、驚くほどスルスルとストレスフリーに読めてしまった。

 裏表紙には「私は、2008年1月に『がん哲学外来』を創始しました。薬や医療ではなく、言葉の力だけで患者さんと向き合うようになって、9年が経とうとしています。これまで言葉の処方箋をお出しした患者さんと家族は3000人を超えます。多くの患者さんと出会う中で、私は『いい人生』とはどんなものか、考えてきました。生きるとは何か。死ぬとはどういうことなのか。この本は、その問いに対する集大成のようなものです。」とあるが、本当にそのとおり。

 読み終えた時に、いつのまにか癒され、自分の顔つきが変わっているのを実感した。詳しい内容はここでは触れないけれど、もし宜しければ是非ご自身で体感して頂ければと思う。

 2冊目は久坂部羊さんの「芥川症」(新潮文庫)。
 久坂部さんの本は以前「ブラックジャックは遠かった」で阪大医学部時代を回顧した青春エッセイを愉しんだのが記憶に新しい。
 今回は“「他生門」、「耳」、「クモの意図」、あの名作が医療エンタテインメントに!現役医師がブラックに生老病死を抉る全7篇”という帯を見て、思わず手に取った。

 そう、題名からして「芥川賞」をもじっている。芥川の作品にインスパイアされた短編集なのだけれど、どれもこれも“前代未聞の医療エンタテイメント、黒いユーモアに河童も嗤う”というコピーのとおり実に面白く頁を繰った。

 「父の死因とはいったい何だったのか?食い違う医師・看護師の証言。真相を求め息子はさまよう「病院の中」(←「藪の中」)から始まり、「羅生門」は「他生門」となり、「鼻」は「耳」に変わり、「蜘蛛の糸」は「クモの意図」になり、「地獄変」は「極楽変」になり、「芋粥」は「バナナ粥」となり・・・最終話は「或阿呆の一生」が「或利口の一生」に。もちろんどれもこれもタイトルだけを借りただけに留まらず、実にお見事に変身している。

先日、日本医療小説大賞を受けたという「悪医」も文庫になっていたので、買い求めてきた。今から読むのが愉しみである。

今年から通院日が増えたのは嬉しいことではないけれど、普段なかなか電車に乗る機会のない私にとって、読書の時間が増えたことは唯一嬉しいことである。

 帰省中の息子のこと。
 昨日は花粉症の薬を頂きに耳鼻咽喉科クリニックへ、今朝はほぼ1年ぶりに歯科クリニックへ、と無事メンテナンス完了。
 新しい下宿界隈でクリニックを新規開拓するよりも、子供の頃から慣れ親しんだクリニックの方が敷居が低いということか。
 それでも花粉飛散期間全てにわたる薬を出して頂けるわけでなし。今年は関西が特に花粉飛散量が多いようなので、戻ってからもちゃんとケアしてくれればよいのだけれど。

 そして今日は、最近体調不良で実家に行けていない私の名代で実家詣で。母とランチ、夕食をともにしてもらった。
 何か出来るお手伝いをすれば、と送り出したのだけれど、まあ一緒に炬燵に入ってお喋り相手になること自体がお手伝いなのかもしれない。
 明日は高校時代のお友達と都心で再会の予定だそうだ。
 あっという間に逗留予定の1週間が過ぎていく。


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2017.3.15 採血・レントゲン後診察、ランマーク24回目、ジェムザール3クール2回目中止

2017-03-15 22:28:36 | 治療日記
 昨夜は、久しぶりに自宅で3人の夕食を囲み、夫が買ってきてくれたホワイトデーの春らしいケーキを頂いてから、病院近くのホテルに前泊した。冷たい雨が降っていて、寒い。

 今日は6割に減らしたジェムザール3クール2回目の予定である。夫にモーニングコールをしてから、恒例熱めの浴槽足湯でじわじわと汗をかく。
 今回は、マグラックスを毎食後3度3度飲んだことで、制吐剤アロキシによる便秘のコントロールが上手くいったが、怠さと疲れやすさは相変わらず。休息する以外成す術がない。朝食は少し控えめに摂り、チェックアウトして病院へ向かった。

 3月2回目の通院日。雨は止んでいるが、舗道はまだ濡れている。空は厚い雲に覆われ、また真冬の寒さに逆戻りだ。気温は10度までしか上がらないという。胸痛が気になる。

 自動再来受付機ではすんなりとIDカードを通せたし、採血受付でも待たず。それでも座る場所を探さないとならないくらい混んでいる。電光掲示板を見ると、20人弱の待ち人数で8分待ちと出ている。3月半ばというのにまだ手放せないダウンコートをエコバッグに入れ、態勢を整えて待つ。ほどなくして採血室へ。

 今日は治療が可能かどうかを判断する白血球等のチェックのみだから、採取は1本だけ。何度もお世話になっている女性技師のSさん。「お加減はいかがですか」と問われ、「毎回好中球が下がりすぎ、2回目が投与出来なくて・・・」とお話する。抜針時にちょっとビリッとしたが、1本だけなのですぐに終了。

 止血しながらエスカレーターで2階に上がり、レントゲン受付へ。昨年末以来3か月ぶりの撮影だ。こちらもかなり混雑しており、待合椅子が満杯。10分ほど待って名前を呼ばれ、再び中廊下へ移動してから、さらに10分ほど待って撮影開始。再び1階に降りて、腫瘍内科受付に移動。幸運にも定位置の待合椅子が空いていたので、読書を開始。今日は新書と文庫を2冊読めたが、読書日記についてはまた明日。

 30分ほど経ったところで読書の切りが良かったので血圧測定。97-68、脈拍は80。
 それから20分ほどして、“中待合へどうぞ”の番号が電子掲示板に出た。中待合に入って、40分ほどで先生が名前を呼びながらお顔を出された。

 いつものように「さて、どうでしたか?」と訊かれる。「今回はお腹の調整はうまくいきましたが、やはりしんどいです。10割を8割に(減量)した時は恩恵を感じましたが、8割が6割になっても殆ど変わらず、楽には感じませんでした。金曜日までは気持ち悪さが酷く、食事があまり摂れずにナウゼリンを毎回飲み、金曜日夕方から土曜日一杯寝込みました。息切れもして、ひたすら疲れやすく、何をするにも堪え性がありません。」とお答えする。

 「そうですね。前回と同じだけ下がっています。」と仰る。白血球は4,000あったが、中身の好中球は16%で640ほど。またしても投与OKの下限1,000には達していない。
 PCにはレントゲン画像が2枚並んでいる。12月半ば丁度3か月前に撮影したものと、今回のもの。顕著な増悪はなく、不変との読影結果だ。

 先生が仰るには、今の治療を始めたのが1月末だから、12月の撮影から1か月半の間の増悪(マーカーは上昇中だった)を差し引いて考えれば、今回3か月前と不変ということは治療が奏功していると考えられるようだ。

 「今日も中止しますが、次回どこまで減らせるかな。ひとまず4割で投与して翌週の好中球の下がり方を見て、大丈夫そうなら5割まで戻すのを目標にしましょう。ハーセプチン併用でなくジェムザール単独なら隔週でもいいですが、3週に1度のハーセプチンがあるので、通院頻度が大きくなり、難しい。1週目の量を6割にして最初から2週目、3週目を休むか、どちらにするかは今後考えましょう。無理矢理に白血球を上げてしまうという手もありますが・・・」とのこと。

 確かに2012年、EC投与当時、白血球が下がっている体調不良の中、白血球を上げるグラン(G-CSF)注射を打つためにだけ3日連続で往復3時間かけて通院しなければならず、精神的にも肉体的にも負担が大きかった。今は1回打てば10日連続で打つのと同様の効果があるジーラスタという薬がある。けれど、3週に1度の薬だと良いのだが、2投1休だと注射するタイミングが難しい(水曜日治療だと土曜日注射がベスト)のだそうだ。

 ここのところ気になっていることを訊いてみる。「ジェムザールは副作用がマイルドということで選びましたが、減量してもこんなに好中球が下がってしまうのは歳のせいでしょうか、それとも(骨髄機能が)弱っているということでしょうか。」と問うと、「ジェムザールは本当に個人差が大きいのです。○○さんのように好中球がうんと下がる方もいるし、血小板がどーんと下がる方もいるし、全く何にも感じない方もおられます。相性もありますからね。」とのこと。

 実際、初発の術後療法でまだまだ骨髄機能が元気な患者さんでも、吐き気が酷く出るECが全く大丈夫で、それほどでない筈のウィークリータキソールで吐き気に悩まされる方もいるそうだ。本当に千差万別なのである。まあ、少ない量でもこうして身体が反応しているのだから、少ない量で効いてくれれば相性は悪くないと思うのだけれど。

 次回からはまずは4割で投与し、好中球の落ち方を見て、5割に戻す。いったん始めたので次回効果測定のためにCT撮影をするまではジェムザールを続けるという方針になった。次回2週間後の予約が入り、ご挨拶をして診察室を後にした。

 今日は化学療法室に入らず、いったん中廊下に出てランマーク注射を待つ。検温を忘れたのに気付いたけれど、特にお咎めもなし。30分ほど待って診察室の隣の処置室に入る。遊軍の看護師さんに体調が思わしくない旨こぼしながら、ゆっくり時間をかけてランマークを打って頂く。気を紛らわせることが出来、無事終了。
 
 会計へ向かい、時間を見計らって自動支払機へ移動。採決・レントゲン・ランマーク注射で15,000円ほど。
 外に出ると、相変わらずどんよりとした曇天。寒い。先週1,200だった好中球は予想通り半減してしまった。けれど、今日2回目の投与をしないで済んで、あの気持ち悪さと怠さから一時解放されると思うと、どこかに治療が予定通り出来ないという焦りよりも、ほっとしている自分がいる。情けないけれど、事実である。

 今日の病院滞在時間は3時間強。乗り換え駅のレストランでゆっくりお昼を頂き、本を読み切ってから夕食の食材を買い求めて帰宅した。
 帰宅後は洗濯機を廻し、洗濯を干す。忘れ物大王ジュニアの息子が昨日出来なかったミッションのフォローに徹する。なんとかリカバリーが済み、夕食の支度。

 明日はまた会議だ。準備やら何やらを考えると、やはり今日は治療が出来なくて良かったかも、と思ってしまう。年度末残すところ半月。実質出勤日は何日あるだろう。それでも好中球が低いのは事実だ。ここで風邪をひいたり、インフルエンザに罹患しては元も子もない。引き続きうがい手洗いをしっかりと、ようやく戻った食欲とお腹の調子を大事にしながら、次回投与までの2週間、体力回復に努めたいと思う。
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2017.3.14 見方を変えれば・・・

2017-03-14 20:50:28 | 日記
 1ヶ月半ぶりに美容院でシャンプー・カットしてきた。相変わらず体調が良くないので、時間のかかる大好きなヘッドスパはぐっと我慢。
 タキサンやアンスラサイクリン系のような完全脱毛とは違うけれど、ジェムザールを開始してから洗髪時の抜け毛や、髪の毛に元気がないのが気になっている。

 既に2008年11月と2012年9月、2回の丸坊主を経験しており、今の髪の毛は3度目に生え変わった地毛だ。とはいえ当初とは髪質が全く変わってしまった。剛毛の直毛で量が多く、雨に濡れると広がるちょっと厄介な黒髪だったのが、初回の脱毛で、くるくると柔らかい、いわゆる猫っ毛になった。毛量も一気に減った。

 2回目の脱毛で、クセはなくなったが、寄る年波もあるのだろうけれど、髪がより細くなりボリュームが減っている。そして、追い討ちをかけるように今般の抜け毛である。
 なんだか頭が小さくなってしまったようで、ちょっと心もとない感じ。

 そんなわけで、かつては無縁だったボリュームが出るシャンプーを選び、担当のGさんには仕上げの時に、雨でペタンとならないようにボリュームが出るように・・・とお願いした。
 すると、「ペタンとなるのが気になるかもしれませんが、見方を変えればサラサラということですから!」とエアリータッチのスプレーをしてくれた。

 見方を変える!必要なことだ。
 色々なことに集中してドン詰まりになってしまうと、解決策は見つかりにくい。そこで見方を変える。なるほど、されば、道は開けるかもしれない。

 確かに若い娘時代はサラサラヘアに憧れたっけ。ないものねだりであったけれど、四捨五入すれば60歳(自分で書きながらちょっとびっくりしてしまう。)になる今でも、白髪はない。ごくごくたま~に1本見つける程度だから、同年代の方たちを見ても少ない方ではないかと思っている。尤も、それを見て苦労がないのでしょう、と言われることも多々あるので、うーん、人の背負っているものは外見ではわからないなあとも思うのだが。

 「脱毛した後は、年齢から考えても白髪が生えてくる人が多いですから」とカツラサロンの方に再三言われていたけれど(生えてきた時のショックを考えてくれてのことだと思う。)、それを思えば私の毛根、まだまだ頑張ってくれているではないか。この齢になって憧れのサラサラヘア、いいじゃないかと少し元気になった。

 さて、春休み中の息子が合唱団のフェアウェルコンサートを終えて帰ってきた。
 珍しくお土産持参である。前に美味しいと言ってたでしょ、とのこと。何かと思えば、どっちりと重みのあるボリューム満点の豚まん。店頭では並ばないと買えないシロモノらしい。確かにしっかり味がついていて美味。指示通りに蒸かして頂くと朝からお腹一杯。気持ちもほっこりした。

 さらに、全く想定外だったのは、お小遣いで買うには気の毒なほど高いチョコレートをホワイトデーに買ってきてくれたこと(案じたとおり、私からのバレンタインが唯一だったそうだ・・・)。

 治療の体調不良でへこんでいたけれど、彼が帰ってきて我が家も久しぶりに賑やかな1週間が過ごせそうである。感謝。
 
 帰宅して届いていた今月初めてのお花は、ピンクの濃淡のカーネーションがあわせて5本、沢山の花をつけたマーガレットが2本、繊細なリューココリーネが2本、レザーファンの葉。花言葉は「女の愛」、「寂しさ」、「温かい心」だという。お花を活けながら外の寒さをしばし忘れ、温かく心穏やかな気持ちになった。

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2017.3.12 怠さは続くよいつまでも・・・体調のこと

2017-03-12 18:25:07 | 日記
 金曜日の夜から今朝まで、リビングかベッドで殆ど横になりっぱなし。身体が凝り固まってあちこち痛む。どう考えても寝過ぎである。
 気持ち悪さは落ち着いてきているけれど、今回は水分補給も不足気味なのか、マグラックスを朝昼晩と3度3度飲んでも、いまいちお腹がスッキリしない。普段より食べている量が断然少ないから致し方ないのだけれど、お腹のモタモタ感でますます食欲不振である。体重は1㎏の減。

 ひとまず朝食はほぼ普段どおりに摂れた。このまままた横になってしまっては始まらない。気持ちも身体もシャッキリさせるために、思い切って昼前のリラックスヨガに出かけた。
 このクラスは寝ポーズと座りポーズ、せいぜい膝立ちのゆったりした動きだけだから、身体にそれほど負荷はかからない。うんと動きたい方たちには物足りないとみえて、それほど混雑することもない。
 緩いクラスとはいっても、メリハリをつけてしっかり動けばたっぷり汗がかけるのだけれど、今日は代謝がイマイチなのか汗もそれほどかけなかった。怠さは相変わらず。シャヴァーサナでは寝そうになった。好中球が下がっているのだろうなと実感する。

 とりあえずシャワーでサッパリしてから、夫と待ち合わせて軽食と買い物。明日息子が帰省するとの連絡があったので、不足するであろう食料品を調達して帰宅した。
 ちょっと動くとすぐに息切れ。鏡を見れば目は落ち窪んで冴えないスッピン顔だ。ちょっと横になって休んでから、掃除と洗濯物の片づけ。夕食の準備は夫が請け負ってくれたので、甘えることに。

 好中球が底値になるのは投与後8日目から10日目。というとその8日目である水曜日に、先週1,200だったものが、1,000を割ることなく(つまり200しか下がることなしに)、3度目の正直で2週連続の投与が出来るものだろうか。
 自分では測りようのない数字を気に病んでみても始まらないが、主治医の話では皆さん数値が底値に向かっていく時に一番眠くて怠いとおっしゃるようだ。

 本来なら2投1休のスケジュールが一度も守れず、実質1投2休となっている3回の投与から学んだ体調の変化は、
 ①食欲不振と吐き気は投与当日夜から始まり、3日後の土曜日昼過ぎまで続く。
 ②便秘は投与翌日朝からすぐに始まる。マグラックスを飲まないとお腹はさっぱり動かない。飲み続けても次の投与までは本調子にはならない。
 ③吐き気が収まってくるのと交代で、怠さと眠さがどんどん増す。次の投与まではずっとこんな調子、
である。

 怠い時は本すら読めない。テレビを見ても音も画面も鬱陶しいし、ウトウト。音楽を聴く気にもならない。無理せずひたすら横になって休むしかない。

 明日からまた新しい1週間。息子が帰ってきたら夫と2人暮らしよりも当然家事は増えるのだから、覚悟して迎えなくては。 
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2017.3.11 あの日から6年・・・

2017-03-11 20:27:24 | 日記
 3か月に1度の歯科検診の日。朝一番で予約を入れていたので、のんびりベッドで朝の連続テレビ小説鑑賞は出来ず。だるさで身体が重い中、とにかく起きる。
 夫は昨夜遅かったので、起こさずに朝食は後回し。まずは念入りに歯磨き。フロスや歯間ブラシ等を駆使してクリニックに出向く。抜けるような青空のいいお天気。今朝も風が冷たい。

 「自分としては特に気になることもなかったですが、1月からまた抗がん剤治療が始まり、気持ち悪さでなかなか歯磨きに時間がとれないことがあります。」とご報告。「概ねよく手入れ出来ていますが、右下の〇番目の奥歯の内側、左上の〇番目の奥歯の外側はブラシが当たりづらいので、ここを意識的にケア出来ると良いですね」とのこと。該当部分をお掃除して頂き、10分かからずに無事終了。次回も3か月後に予約を入れてクリニックを後にする。食事も摂っていないし、とにかく口の中がスッキリしている。

 昨日はとにかく気持ちが悪くて、昼も夜もろくに食べ物が喉を通らず。帰宅後は生協から届いた食料品の取入れと洗濯物の始末をするだけで青息吐息。夫は宴会で夕食が不要だったので、スープと果物でごまかす。いつの間にかリビングでウトウト。だるくて熱っぽい。

 今日になって酷い気持ち悪さが少しずつ落ち着いてきたが、相変わらず食欲はない。クリニックから帰ると夫が「あれなら食べられる?これなら食べられる?」と言うけれど、どれもノーサンキュー。いつもの簡単な朝食を少な目に。その後は、リビングでひたすら横になる。だるくて眠くて、どうしてこんなに眠り続けていられるのか不思議なくらいだ。結局、朝クリニックに出向いた以外は終日籠城蟄居。新聞すら取りに出なかった。

 おりしも今日は東日本大震災から6年目の日。14時46分には追悼番組を見ながら夫と2人で黙祷。
 丸6年目だから7回忌にあたる。あの時生まれた赤ちゃんたちは4月にぴかぴかの1年生になるという。その6年の間、いまなお行方不明の方もおられる。放射能に対する偏見から耳を疑うようないじめの話もあるし、自主避難してこられた方たちは住居の無償提供が今月末で切れ、新しい住処の確保に暇がないという。

 こうした色々な報道を見聞きするにつけ、もう6年というよりもまだ6年と感じる。
 あの時感じたこと、考えたこと、生きていることの重さとあまりの儚さ、今もありありと思い出す。
 治療を続けながらもここまで命を繋げてきていることを、改めて有難くもったいなく思うとともに、突然命を絶たれた方たちの言葉に尽くせぬ無念を悼む3月11日の夜である。
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