中さん

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日記(3.8)コラム「正岡子規」

2019-03-08 13:31:24 | 日常
3月8日  (金曜日)  晴れ

群馬の上毛新聞社コラム【三山春秋】

 ▼「走るような」「刺すような」「焼けるような」とくれば、
  続く言葉は「痛み」
  患者が医師に症状を伝えるための表現集にあった。
  ほかにも「割れるような」「締め付けるような」とあり、
  想像するだけで身がすくむ。
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 ▼痛みを味わい尽くしたと言えば、俳人・正岡子規だろう。
  1889(明治22)年5月9日夜に突然の喀血(かっけつ)、
  肺病と診断された。
  咽頭の赤さから「鳴いて血を吐く
  と言われたホトトギス(子規)を俳号とした

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 ▼群馬大名誉教授の後藤文夫さんは著書『漱石・子規の病を読む』で、
  子規の病気を
  肺結核による脊椎カリエス、
  下半身麻痺(まひ)、
  背部膿瘍(のうよう)、
  臀部瘻孔(でんぶじこう)、
  結核性痔瘻(じろう)と診断。
  鎮痛薬も完全には効きづらいと指摘する。


★身体の病・心の病が名作を生んだ!「痛みの治療」専門医が解き明かす文豪の病。
 著者略歴 後藤/文夫
 1941年(昭和16年)、群馬県渋川市中郷に生まれる。
 群馬大学医学部卒業。北里大学教授を経て、
 群馬大学教授、大学院医学系研究科長・医学部長を併任。
 専攻は麻酔科学・ペインクリニック。
 所属学会等―日本麻酔科学会、日本臨床麻酔学会、日本ペインクリニック学会等。
 受賞等―日本麻酔科学会・山村記念賞、日本臨床麻酔学会・小坂記念賞
~~~~~~~~~~~~~~~~
 ▼病状の進行とともに、日記にはもだえ苦しむ様子がつづられる。
  脚は仁王のように膨れ、痛みは「五体すきなしといふ拷問」のよう。
  やり過ごすには人目をはばからず叫び、号泣するしかなかった。

 ▼県立土屋文明記念文学館で17日まで、

  死の前日に書かれた
 「絶筆三句」と呼ばれる俳句幅が展示されている。
  河東碧梧桐によると、途切れ途切れに


 〈糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな〉
  書き終えると投げるように筆を捨て、苦しそうにせき込んだという。

 ▼亡きがらを前にした母・八重の言葉が伝わる。
  「サア、も一遍痛いというてお見」。
  痛みに耐えた34年の生涯だった。
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★読むだけで”気持ちが痛む”なあ~。
 昔、子規の”病床六尺”を読んだが・・これを痛む体で書いたのか~と思う。


病床六尺”の全文を載せてる方があるので参考に!
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日記(3.8)コラム「医は仁術」 

2019-03-08 08:22:08 | 日常
3月8日  (金曜日)  晴れ

晴れたが、北からの風が冷たい日だ。

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コラムに ニュースで騒がれている
 ”延命中止”・”仁術”のことが・・

「医は仁術」といわれた江戸時代だが
 その言葉とうらはらに当時の医者には詐欺同然の
 悪徳医ややぶ医者が多かったという。

 だから西欧の医療倫理が紹介された時、
 心ある医師らは本当に感心したらしい。

 ▲独医師フーフェラントの所説の
  要約「扶氏医戒之(ふしいかいの」
  は患者の治療を最優先とする医師の倫理を説いた。

  不治の患者にも病苦をやわらげ、命を保つようにし、
  心を慰めるのが「仁術」とされている。

  患者に不治を知らせるなともある。
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▲だが今日では、医師が患者や家族に病状や治療法を十分に説明し、
 治療はその同意や選択にもとづいて行うのがお約束である。
 ならば治療中止による「死」の選択肢を示す医師が現れ、
 それを選ぶ患者が出てくるのも成り行きなのか?


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▲東京都福生(ふっさ)市の病院で医師が腎臓病患者の女性に
 人工透析治療をやめる選択肢を示し、
 中止を選んだ女性が1週間後に死亡した。
 同様な例は他にもあり、学会の指針を逸脱した治療中止の疑いがある。
 都も病院に立ち入り検査をした。

▲医師は女性の意思は固かったと述べ、
「無益な延命措置に苦しむ患者に治療を受けない権利を認めるべきだ」と語る。

 だが患者は死亡前日に透析中止の撤回を口にしていたという。
 「時間をかけて迷う権利」はなぜ認めなかったのか。

▲患者の意思がどうあれ透析中止はそもそも倫理的に議論を呼ぶところである。
 患者への医師の押しつけや誘導がなかったのか、
 検証の手段も残されない。
 医療倫理をひび割れさせる「自己決定」の仁術である。

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★難しい問題だな~・・”時間をかけて迷う権利”か
 ポイントは
”治療中止による「死」の選択肢を示す医師が現れ、
        それを選ぶ患者が出てくるのも成り行きなのか?”を
 良く考える事になりそうだ。

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