中さん

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日記(3.11)コラム「学ぶ防災」

2019-03-11 09:17:23 | 日常
3月11日  (月曜日)   雨

昨日は琵琶湖マラソンであった。


既にMGC獲得済の川内選手。を応援だ!

8位に入った。流石に強い。
これが埼玉県庁ゼッケンは最後でいよいよプロになる。
MGCの権利獲得者は9月ごろ30数名でオリンピック出場権を目指すことになる。
厳しい戦いだなあ~!
★私は長距離が苦手だったので凄い勢いの走者にはエールを送りたくなる。
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大阪場所が始まった。注目は”貴景勝”だ初日はすごい突き出しで問題なしの実力を発揮。

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朝から雨音が強い!日だ。東日本大震災から丸8年の式典も涙雨だ。

今日は大きな雨雲が通過中だ。
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数字で見ると・・こんなにと思う

まだまだ震災は終わってないんだ。
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コラムにもあった。

「一、大地震の後には津浪(つなみ)が来る」。
 岩手県宮古市田老地区 の田老第一小学校裏にある碑に刻まれた警句の一文だ。
 建立は昭和8年の三陸大津波が町を襲った翌年である。

▼70年後、旧田老町は「津波防災の町宣言」を出す。
 そこにもある。「多くの教訓を常に心に持ち続け、近代的な設備におごることなく~」
 二度と悲しい思いをしたくない。
 度重なる津波被害に遭ってきた町が「万里の長城」と呼ばれる防潮堤を整備し、
 避難訓練を重ねたのはそのため・・。

▼にもかかわらず8年前、津波は防潮堤を越え、多くの命を奪った。
 あの日を思い出すのは辛く、引きずっていては前へ進めないが、
 人々は一層「防災教育」に力を入れるようになる。

▼悔やんでも悔やみ切れないからだ。
 逃げる時間があったのに、直前まで逃げない人がいた。
 防潮堤に守られているという過信だった。
 
 東日本大震災後、体験談を伝え現地案内するガイド活動「学ぶ防災」が始まった。

▼ガイドの佐々木純子さんは顧みる。
 「どんなにハードを整備しても自分たちが行動しないと助からない」
 先人からあれほど教訓が残されていたのに…

歴史は繰り返すが、平穏な日に慣れると人は慢心する
 佐々木さんは記憶し、記録を残していくのが生き残った者の役割だと言う。
 語り継がなければ風化し、後世に命を守る術を伝えられない。
 今日で震災から8年。教訓を深く刻む日である。
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田老 「万里の長城」と言われた悲願の大堤防でもだめだった
子供の中学校用地図をみていたら津波防災の工夫として田老が記載されている。
図には明治29年三陸大津波の浸水域が水色で示されている。
二度とこんな目にあわないよう悲願の大堤防が作られた。
大堤防は「万里の長城」とも言われX字状に建設された。
X字なので町役場*方面は二重に守られていたともいえる。

しかし311大津波は大堤防を乗り越えてしまった。
『復興支援地図』では浸水域が茶色で示されている。
ほぼ明治29年大津波の浸水域と重なる。
昨年6月に現地に行き大堤防に立ってみた。市街は壊滅していた。
こんなに高い大堤防でもだめだったのかと思った。2012

* 田老町役場:現在は町村合併で宮古市田老となっている。
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★ 人間・・災害から30年も経過すると、世代が代わって油断と慢心が生まれると
  何かの防災の本に書いてあったのを思い出す。
コメント
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