中さん

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日記(8.26)

2022-08-26 10:54:18 | 日常
8月26日 (金曜日)  曇り

昨日は午後から”あすネットの会場”で民生・児童委員の講演会イベントがあった。
ヤングケアラーの表題で県の職員が説明された。
この3年間コロナ騒ぎで何もやれなかったそうだ。従って新任役員の私は
全体像がつかめないまま3年目の時が過ぎていく。
途中から体調が悪く前半で帰宅して、かかりつけのクリニックに通院する。
疲れが溜まったようだ。
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上毛新聞にコラム
身近な話題、中島飛行機の工場の事が・・
▼戦時中、戦闘機を製造する中島飛行機の工場があった
 太田市は1945年2月から8月までの半年で7回の大きな空襲を受けた。
 工場や駅が火に包まれ、多くの死者と甚大な被害が出た
▼激しい空襲下でも戦闘機を増産するため、政府の方針で地下工場の建設が計画された。
 市の北部に広がる八王子公園墓地の一角には地下工場を設けるために掘ったトンネルの跡が残る
「藪塚地下工場」と呼ばれ、予定面積は約20ヘクタール。

 45年1月に着工し、10月末の完成を目指したが、日本が8月に敗戦を迎え、完成には至らなかった。 
 戦後間もなく撮影された航空写真では、丘陵地一帯で30本ほどのトンネル跡が確認できる
▼掘削は中国人や朝鮮人計約3千人の強制労働で行われた。
 10時間交代で働いたとの記録があり、過酷な環境で命を落とした人もいた
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「中島飛行機太田地下工場跡を保存する会」
 戦争に関する資料展を毎年開く。「地下工場を造ろうとした歴史があった。
 それを伝えないといけない」。代表の石塚久則さん(75)は
 こうした戦争遺跡をしっかりと保存すべきだと強調する
▼同会は設立から33年目を迎えた。
 戦時中の体験を語ることのできる80代、90代の会員は減っている。
 ことし中島飛行機の工場や関連会社があった
 栃木県足利市、埼玉県熊谷市の平和活動グループと連携した。
 資料を相互に活用し、平和の大切さを訴えたいと考えている。
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★この飛行場には。母親も勤労奉仕に出かけて行ったそうだ。
 私もこの工場跡地にできたS 電気に就職した。当時は
 兎に角、広大な土地に工場が点々と建ち、野球が何面も作れた。
 戦後、米軍の住宅地跡もあった。今はすっかり様変わりだ。
 それにしても様々な場所で軍事事業が行われていたんだなあ~と
  歴史をふりかえる。
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日記(8.24)

2022-08-24 13:43:41 | 日常
8月24日 (水曜日)  晴れ⇒曇り

朝一で耕運機をかける。今日は第一畑分にした。
かなり広いので疲れた。
汗が止まらない!
キュウリは小ぶりになったが30本程収穫。
先日ナスの葉っぱにダニが付いて弱った木になったので
初めての消毒をした、その後実った実は全部切って捨てる。
新しい芽が出てきた、花もどんどん咲いてきた。
インゲン・モロッコ種を蒔いてみた。
そろそろ秋物を蒔く時期でウネ作りを始めるがまだ暑いなあ~!
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11時から自治会の資料コピーで久々支援センターに出かける。
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毎日新聞の余録 

「2隻か3隻の日本の空母を撃沈」
 ニューヨーク・タイムズ紙が1面トップで米軍の「重大な勝利」を報じたのは
  真珠湾攻撃から半年後の1942年6月7日だった。
  日本軍の破竹の勢いが止まり、戦況の逆転につながったミッドウェー海戦である。

★丁度、ビデオで映画で見たところのミッドウエー海戦
 

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▲小紙は4日後に「米の航空母艦2隻を撃沈」と大本営発表を報じ、
 「東太平洋の大勝」の社説を掲げた。
  残念ながら米紙が事実に近かった。
  日本軍は空母4隻を失う大敗だった。
  大本営発表が正確さを失うきっかけともいわれる
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▲連合艦隊の乗員や従軍記者は「書くことも話すことも厳禁」と言い渡された。
  国民の大半は真相を知るすべを持たなかった。
  当時の日米の新聞を見比べると、
  交わらない二つの世界が併存していたようだ
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▲今のロシアも似た状況だろうか。
 ウクライナ侵攻からきょうで半年。
 プーチン露大統領は今月、東部ドンバス地方を「一歩ずつ解放している」と述べたが、
 大本営発表のにおいがする
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「すべてがうそだ」。
 「私たちは平和な生活を破壊しているだけだ」

  ロシア軍空挺部隊の元兵士が米CNNに答えていた。
  SNS(ネット交流サービス)で手記を発表した後に国外に逃れたという
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▲ロシア軍は3月以降、戦死者数を発表していないが、
 米政府はロシア側の死者と負傷者を合わせて7万~8万人と推計している。
 戦争の負担の大きさが徐々に国民の間に伝わっているのではないか。
 誰もが情報発信の手段を持つ時代。
 いつまでも真相を覆い隠すことは難しい。
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★いつの時代もフェイクニュースが出されるなあ~!
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日記(8.23)

2022-08-23 14:22:10 | 日常
8月23日 (火曜日) 晴れ 蒸し暑い

中玉トマトのかたづけを朝のうちに行った。
20本程あったので結構手間取った。結構な木になっている。
キュウリが30本以上獲れる。ナスも次第に元気が出てきた。
第二畑の草刈りが手間取った。かぼちゃの蔓を整理する時に5個収穫。
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毎日新聞のコラム欄
  岩手出身の平民宰相、原敬は「一山(いつざん)」と号し
  落款印に「一山百文」と刻んだ。
  戊辰戦争時に新政府軍が東北を蔑視して使ったとされる
「白河以北一山(しらかわい ほくひとやま)百(ひゃく)文(もん)」をあえて用いた。
  藩閥政治を嫌った反骨精神の表れだった
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▲高校野球史で優勝旗が「白河の関」を越えたことがないと聞くたびにこの逸話が頭に浮かび、
 早く「白河越え」をと願ってきた。
 冷静に振り返れば、力の差というより、運に左右された面がある。
▲1915年夏の第1回大会決勝。秋田中が京都二中を八回表までリードしながら、
 守備の乱れで追いつかれ、延長十三回にサヨナラ負けした。
 勝負の女神のほほえみ次第でジンクスは最初からなかったかもしれない
▲戦後も69年決勝で太田幸司(おおた・こうじ)投手を擁した青森の三沢が
 愛媛の松山商との延長18回の激闘の末、引き分け再試合で涙をのんだ。
 2年後には福島の磐城が「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿投手の大会唯一の失点で大魚を逃した。
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▲仙台育英が下関国際を破り、頂点に立った。
 89年に延長戦で敗れ、2015年は同点の最終回に突き放された。
 01年春も猛追及ばず1点差の準優勝だった。
    コロナ禍の中で高校生活を送った選手たちが4度目の挑戦で「100年開かなかった扉」(須江航(すえ・わたる)監督)をこじ開け、歴史を作った。
▲21世紀の東北勢は春夏の決勝に計9回進出し、他地域にひけをとらない。
 今大会の4強には福島の聖光学院も残った。「白河の関」の呪縛が解けた東北勢が今後、
 さらに多くの優勝旗を手にしても誰も驚くまい。
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白河の関から上が東北なんだ。

 新聞も”河北新報”がある。河北春秋には
 その瞬間が訪れた。高校野球甲子園大会の・・
 その瞬間が訪れた。高校野球甲子園大会の優勝旗を東北で初めて仙台育英が勝ち取った。
 太田幸司、田村隆寿、大越基、ダルビッシュ有、菊池雄星、吉田輝星-。
 高校球史に残る決勝の主役も届かなかった全国の頂点である。
▼大旗の「白河の関越え」に意味はあるのか。
 東北はともすれば「遅れた地域」のイメージがつきまとった。
 甲子園でも、敗色濃厚の終盤に安打が出ると、
 実況者が決まり文句のように」と「これが東北人の粘りでする絶叫する」
 時代があった
▼21世紀、時代は変わる。東北のチームは2001年以降、
 今回を含め春夏で9回、決勝に進んだ。
 判官びいきなど吹き飛ばしたが、「東北初」の重荷は残った。
 「白河の関」を持ち出すならば、呪縛からの解放である
▼実は近年、東北勢の優勝は遠くなったと感じていた。
 超強豪校のエリート大型化がより進んだからだ。同じ土俵では分は悪い。
 1点をもぎ取る走塁力、緻密な守備、多数の投手、野球脳。
 育英ナインは自分たちの土俵をつくり、その上で打力など総合力を高めた。そう見た。
▼「100年開かなかった扉が開いた」(須江航監督)。

  東北の人間として「ありがとう」と伝えたいが、
  最も大切なのは彼らの努力が結実したことだ。
  まず一番に贈る言葉は、おめでとう
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日記(8.22)

2022-08-22 16:18:36 | 日常
8月22日 (月曜日)  晴れ
今日もきゅうりとナスは収穫多であった。
お盆過ぎての朝6時大分涼しくなった。

昨日、結構一生懸命かたずけをした畑の草取り、今朝は体が痛かった。
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★甲子園高校野球決勝。
 仙台育英、白河の関を超えて優勝旗を東北地方に持ち込めるか大いにき期待されている。

仙台育英7回に満塁ホームランが出てビッグイニングになった。
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毎日新聞 コラム 余禄向田邦子氏のことが
夏の涼菓・水羊羹
 材料は羊羹と同じだが、寒天の量を減らして軟らかく仕上げることで、
 つるりとした食感になる。今ごろの季節、冷えた一切れが暑さをいっとき忘れさせてくれる。
▲福井では冬に食べるそうだ。11月ごろから翌春にかけて店頭に並び、
 県民にとってはおせちに欠かせない甘味。
 「暖かい部屋でこたつに入って食べる」というからこの国の食文化は多彩である。
▲作家の向田邦子は「水羊羹評論家」を自任し、夏の水羊羹を愛した。
 随筆「水羊羹」で「命は切口(きりくち)と角」、江戸っ子のお金同様、
 宵越しをさせてはならぬとつづった。

 自宅近くの和菓子屋のものがお気に入りだった。盛りつける皿まで決めていた。
▲「新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、
  その短い命がいいのです」。研ぎ澄まされた美意識を伝える結びに、
  51年の短い生涯を思う。1981年のきょう、台湾で飛行機事故に巻き込まれ不帰の客となった。
▲ドラマでヒットを重ね、小説を書き始めた翌年に直木賞を受けた。
 多忙なスケジュールを縫って出かけた旅先での悲劇。
 事故後、妹の和子さんが部屋で見つけた走り書きには
 「どこで命を終るのも運です……骨を拾いにくることはありません」とあった。
▲命日は木槿(むくげ)忌と呼ばれる。
 朝に開き、華やかに咲いて夕方には命を終える木槿のはかなさと
 気高さは彼女の死生観にも重なろう。
 白木槿言葉短く別れけり(石井露月)。
 健在なら92歳、円熟の作品も読みたかった。
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向田さんの事になると森繁さんが3回忌に贈った言葉が
思い出される。
『あ・うん』や『阿修羅のごとく』を食い入るように見ていた自分にとって、
 台湾での客死は、あまりにも突然。
 追悼番組での、加藤治子さんや岸本加世子さんの悲痛な表情が今でも思い出されます。
 単なる視聴者でしたが、テレビドラマの極まった姿を創り出してくれたこと、
 リアルタイムで作品を鑑賞できた幸運に感謝。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
記事では・・
2009年に96歳で大往生を遂げた森繁久彌との関わりに重点が置かれていました。
森繁主演のテレビドラマ『七人の孫』や『だいこんの花』などの
脚本を向田邦子が手がけていたことは広く知られていますが、
そもそもの馴初めはたった5分のラジオ番組『森繁の重役読本』。
 その台本を森繁が一切廃棄せずに保管していたおかげで、
 近年脚本が書籍化されたわけですが、生原稿や当時の肉声を聞くにおよび、
 森繁久彌の向田脚本への思い入れを改めて感じる機会となりました。
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【森繁の重役読本:森繁久彌朗読による連続ラジオエッセイ】
昭和37(1962)年から昭和44(1969)年12月まで、
8年間 日曜を除く毎朝5分間。2448回放送(おもにTBSラジオ。1969年より文化放送)。2448回!
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されど5分、たかが5分。森繁久彌ともなれば、毎朝5分程度話す事はワケナカッタとも思えますが、
 そこに放送であるがゆえの質を追求し、作家が台本を書いていたということに、
 それもたった一人の女性!という事実に、今さらながら驚嘆します。
1929年生れの向田に対して、森繁は1913年生れ。親子ほどとは言えない年の差ですが、
 不幸な生い立ちに負ける事無くサラリーマンとして勤め上げた父親を
 観察しながら書き通したといわれる『重役読本』。
 森繁は無意識のうちに、向田の父に見立てられ重ね合わされ、
 娘が父に手紙を書くように、毎日書き連ねられたように感じさせられました。
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向田邦子の父は、1969年2月心不全で突然死。享年64歳。
「一度使った台詞は、(そんなものテレビ観る人は絶対に覚えていないとは思うけれども)
 二度と使わない」「よりたくさんの人に見てもらおうと、媚びを売るような言葉は使わない。
 使いたくない言葉は使わない」と仰っていたという向田さんの、修行の2448回。
 改めて、尊敬の念を抱かずにはいられません。
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『さびしいのはお前だけじゃない』で第1回向田邦子賞の受賞者に選ばれた
 市川森一さん(2011年12月死去)は生前、
 「テレビドラマは脚本から始まる。脚本家に贈られる賞は初めてなので、特にうれしかった。
  当時のテレビ界では、
  敬愛する山田太一さん、倉本聰さん、向田さんら先輩の活躍によって『脚本家の時代』
  言われており、向田賞の創設はその象徴になった」と語っていらしたそうです。  
  まさにその通りで、映画が監督のものであるように、
  テレビドラマの核心は脚本にあると感じています。
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『せい子宙太郎』執筆のための取材時の肉声が流れていましたが、声はとても柔らかいのに、
 どこかこう、挑んでいるというか、掴みにいっている感じで、仕事への執念が伺えました。
 タッグを組んだ作品の数々、直筆原稿や書簡、写真、直木賞受賞時の森繁久彌のお祝いスピーチ、
 突然の事故死を受けての弔辞。
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軽妙洒脱な側面が強い森繁久彌ですが、たとえば『阿修羅のごとく』の佐分利信、
『あ・うん』の志村喬のような役を、演じてみたかったのではないか、とも思わせられました。
 早稲田学生時代は、谷口千吉や山本薩夫と共に過ごしていた人。
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「人知れず 忘れられた茎に咲き 人知れず こぼれ散る 細かな白い だいこんの花」

森繁が向田に贈った色紙「さようならといったのにふんと云って行ってしまった」

三回忌に、森繁が捧げたことばは墓碑銘に。
「花ひらき 花香る 花こぼれ なほ薫る」
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日記(8.21)

2022-08-21 14:14:50 | 日常
8 月21日  (日曜日)  曇り⇒晴れ

少々、小雨が降ったが野菜の収穫と片付けを始めた。
そろそろ秋物の場所を整理しなくては・・。
キュウリ・パプリカ・ミニトマト・ナスを収穫してまた知り合いに貰ってもらう。
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★まだ暑さも続きそうだ、飲料水やジュースなどを買い求めていたら昼になった。
 午後はTV で体感「グレートネイチャー」を見る。

 アドリア海に面したモンテネグロの景観が美しい。
 隣のクロアチアには旅したので景色は身近だ。

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その昔、チトー大統領がまとめていたユーゴスラビア、その後国々に分かれて
セルビアとクロアチアが戦争を起こした。
私は戦争が終わって20年目に訪れたのだが・・まだ傷跡は残っていたようであった。

石灰岩だらけの大地と断崖から見る綺麗な海。アドリア海
港毎に豪華客船が停泊していて、それは美しかった。
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新潟日報のコラム 無園児のことが・・
「無縁社会」が新語・流行語大賞の上位10傑に入ったのは2010年だった。
 地縁や血縁が薄れ孤立してしまう人が増えた世相を反映した言葉だ
▼「むえん」という響きを持つ、別の言葉を近ごろよく目にするようになった。
 「無園児」である。保育園や幼稚園に通っていない0~5歳児を指す。
  厚生労働省の推計では、こうした子どもは19年度時点で約182万人に上る
▼義務教育の小中学校とは異なり、保育園などに通わせるかどうかは保護者の判断による。
 しかし、経済的に困窮していたり、日常的に医療ケアが必要だったりするケースのほか、
 外国籍で入園手続きが分からないといった理由で「無園」に陥ることが少なからずあるらしい
▼無園児の存在は無縁社会と密接な関係がある。
 保育サービスが受けられないと親子は孤立し「孤(こ)育て」を強いられる。
 誰にも頼れずに経済的に追い詰められるようになり、虐待のリスクも高まっていく
▼大阪で7月に自宅に放置され熱中症死した2歳の女児は、
 養育していた祖母が「在宅の仕事で送迎が大変」と保育園を退園させていた。
 「外部の目がなくなり、ネグレクト(育児放棄)がエスカレートした可能性がある」。
 こんな指摘をする専門家もいる
▼無園児について、政府が対策に乗り出すという。
 地域によっては待機児童の解消も不十分で、
 子育てを取り巻く環境はなお厳しい。
 社会全体で子どもを育てる仕組みを確立しなければ。
 「無園」や「無縁」の中では、子育てはままならない。
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