夜な夜なシネマ

映画と本と音楽と、猫が好き。駄作にも愛を。

『愛の流刑地』と『ママが泣いた日』

2007年01月19日 | 映画(番外編:小ネタいろいろ)
『愛の流刑地』を観た翌日、
レンタルDVDで観た映画が『ママが泣いた日』です。

『ザ・コンテンダー』(2000)で、
副大統領の指名を受けたために、
男性議員らから嫌がらせを受ける女性議員を果敢に演じた
ジョーン・アレンが主人公。

夫と4人の娘に囲まれ、幸せに暮らしていたはずのテリー。
ある日、夫が失踪。日を同じくして、
夫の勤務先のスウェーデン人秘書が退社。
駆け落ちとしか思えず、絶望の淵に立たされたテリーは、
以来、とことん嫌な女になります。
飲んだくれては娘たちに八つ当たりし、
さすがの娘たちも母親に愛想を尽かし始めます。

唯一、テリーに優しい眼差しを向け続けたのは、
ケヴィン・コスナー演じる隣人デニー。
彼は元メジャーリーガーで、今はただの酔っぱらい。
過去の栄光にすがり、サインボールで稼いでいますが、
テリーの良き理解者となります。

こうして書くと、温かい方向に進みそうですが、
実はとてつもなく暗いエンディングで救われません。
ドロドロして暗そうな『愛の流刑地』のほうが
本当は遥かに幸せなエンディングに思えます。

2作に共通するのはこんな台詞。
『愛の流刑地』では、冬香が菊治にこう尋ねます。
「あなたは死ねますか、私のために」。
菊治は首を振り、こう言います。
「あなたに出会うまでの僕は死んでいた。
 あなたが生き返らせてくれた」。
『ママが泣いた日』では、デニーがテリーにこう言います。
「君と一緒にいると、人生これからだっていう気がするんだ」。

『愛の流刑地』では、表情を読み取る間もなく
登場人物たちの胸の内をすべて
台詞として喋らせてしまうと書きました。
『ママが泣いた日』で好きだったのは、喋らせないこんなシーン。
末娘のポパイが、片想い中のゴードン、デニーとともに、
ゴードンの父親のバンジージャンプを見に行きます。
デニーがゴードンに「君はしないのか?」と尋ねると、
ゴードンの父親が「息子はしないんだ。臆病だから」。
そしてデニーに「やってみないか?」というゴードンの父親に
デニーがひと言、「いや、やめとく」。

これ以上、何の説明もありません。
しかし、その場に居合わせたポパイとゴードンの表情を見れば、
ゴードンひとりを臆病者にしなかったデニーのひと言が
嬉しくて仕方なかったことがわかります。

「言わなわからん」が私の信条ですが、
すべてを言わない映画のこんなシーンは大好きですね。

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