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小田原の端々



先週末から2年ぶりの大相撲春場所が開催されている。現在は小田原出身の幕内力士はいないが過去には何人かの力士が角界で活躍した。江戸時代末期の君ヶ濱安右衛門もそのなかの一人である。小田原市早川、早川地区の南端。JRの線路近くにある正蔵寺に江戸時代末期に活躍した力士の君ヶ濱安右衛門の記念碑がある。正蔵寺は真言宗東寺派のお寺。開山は国府津の宝金剛寺五世高傳和尚で正長元年(1428年)建立と伝わっている。この正蔵寺墓地の一画に江戸時代末期に活躍した地元出身力士の君ヶ濱安右衛門の記念碑がある。君ヶ濱安右衛門は文政元年(1818年)に早川村に生まれ、江戸に出て初代武蔵潟伊之助に弟子入り。幾度か四股名を変え、嘉永4年(1851年)の入幕時に六代目君ヶ濱を襲名し君ヶ濱安右衛門と名乗った。君ヶ濱安右衛門は34歳で初入幕と遅咲きの力士で最高位は前頭4枚目と番付はあまり上がらなかったが、引退後は年寄りとして一家一部屋を張り角界の発展に尽力し、多数の弟子を育成した。また郷土の力士で大相撲で活躍したのは君ヶ濱安右衛門が初めてのことだったので、周辺の地域からも多くの弟子入りがあり、山北出身の武蔵潟伊之助は関脇まで昇進した。君ヶ濱安右衛門は明治23年に73歳で亡くなり、三十三回忌の大正11年に記念碑が建立された。

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