「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

エッセイ 『 ツキ 』 より ( 若戸大橋の思い出 )

2012-09-27 21:44:50 | 競馬・ボート



若松競艇場




30代前半まで熊本に住んでいた。
そのころ、地元の 「 熊本日々新聞 」 に3年間に渡ってエッセイを連載したことがある。
新聞に掲載されたエッセイのタイトルは 『 走馬とう 』 というものだったが、
毎回、その内容に応じたものを書いていたような気がする。
この時の題は「 ツキ 」で、ツキがあるとか、ないとかのツキである。
勝負につき物の 「 ツキ 」 について書いたものだったが、
そのサブタイトルは、 ( 見放されると完敗 ) というものだった。
今回は、若戸大橋開通50周年ということで、昔のエッセイを引っ張り出して、
耳カキほどの 「 若戸大橋 」 の部分をムリヤリ持って来たという感じである。
まぁ、長文は読む方もウンザリするだろうから、気が向かない方はパスして下さい。



『 ツキ 』


広島競輪に参加して落車した。
仙骨骨折の疑いでしばらく入院をするはずだったが、病院のベッドが空かず家でじっと寝ていた。
4、5日経ってもベッドが空かないし、家でゴロゴロしていても退屈だから、
ケツ( 尻 ) のあたりに痛みがあったが小倉競馬場に行った。
 この日は朝から雨が降ったり止んだりして、なんだかスッキリしない天気だった。
雨で車の渋滞が気になったが、土曜日なので道が空いていて競馬場へはスンナリと行けたので、
「 今日はツキがあるバイ! 」 って思いながら、ひそかにニヤけた。
 
 競馬場に着いてすぐの6レースと7レースを続けて当てたが、このあとこのツキも一変してしまった。
8レース前にトイレに行ったあと、馬券を買おうと思って窓口に向かう途中にハッと気が付いたら、
右手の傘と左手の予想紙をトイレに忘れて来たのだ。
慌てて取りに戻ると、傘はちゃんと元の場所にあったが、予想紙はなくなっていた。
こうなるとどの馬から買っていいのか分からなくなってしまい、結局オッズを見ていろいろと買ったが、
完全にツキに見放されて完敗だった。
なかでも絶対本命視されている馬がスタートと同時に騎手を振り落としてしまうし、
ふだん起きないようなアクシデントが続いた。
そして何よりも頭に来たのは、自分がトイレに忘れた予想紙が、
この後のレースからすべて的中させていたことが翌日わかったからだ。

 『 よーし、今日は絶対に勝ってやるぞ! 』 と、日曜日もこの予想紙を持って競馬場に行った。
この日は勝った。ムービースターにシスタートウショウで中山記念を。
そして、メジロパーマーとタケノベルベットで阪神大賞典を当てて、前日の負けを取り戻した。

 月曜日は小倉の労災病院に行った帰りにちょっと魔が差して若松ボートに行った。
そして最終3レースを勝負した。
10レースを4号艇から流し、4-1、4-3、4-6と3点買ったら、
6-4が入り、5千円台の配当がついた。 『 そろそろ当たりが来ているぞ! 』と思い、
次のレースは1=5の裏表を買ったら、5-1で入り当たった。
そして、持ち金すべてを最終レースにつぎ込んだ。4から1と5に流して万全で臨んだ。
スタートして1マーク回ったところで、④⑤①で来たので 『 やったーっ! 』 と思った瞬間、
4号艇がエンストしてしまった。これで万事休す。
前日の競馬の儲けも、前レースの儲けもフッ飛んでしまい、
儲けどころか若戸大橋の通行料も無く、家まで残りのガソリンを心配しいしい帰った。
 
 火曜日は 『 今日こそ治療に専念しよう 』 と、柿下温泉に行ったところ閉まっていた。
『 うそやろー 』 と言いながら仕方なく帰っていたら、
飯塚オートの開催を知らせる看板が目に入ったので、そのまま飯塚オートに直行した。
温泉のつもりだったので、わずか5千円しか持ってなかったので、
1レースに4番人気を1点だけ千円買おうと決めていた。
そうすれば最低5レースは遊べると思っていたのに、
先輩の野木雅幸さんとバッタリ会って勝負してしまった。
もちろん結果は負けである。
そして、何よりも悔やまれたのは、4番人気が入ったのに買っていなかったことである。
まぁ、ツキのない時はこんなものなのかもしれないな。


この当時は、「ツキがない!」で済ませていたが、
数年前から馬券や舟券を買わなくなって自分の 「 博才 」 の無さに気付いた。



北九州市若松区 ・ 戸畑区 「 若戸大橋 」 開通50年

2012-09-27 21:02:19 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道・道



「 若戸大橋 」 開通50年















北九州市の若松区と戸畑区の間に入り込む洞海湾の上を結ぶ若戸大橋が開通して
今日で50年を迎える。
毎日のように暴力団の事件が報道される北九州市にとって、
希望の光が見えるニュースである。


若戸大橋がきっかけで、日本の長大橋建設の扉が開いた。
架橋当時は、東洋一の吊り橋と言われて、人気を博していた。

若戸大橋は開通当初2車線で、
戸畑橋台から若松橋台までの区間の車道外側には歩道が設置されており、
歩行者のほか自転車と原動機付き自転車が利用できた。
橋台内部に設置された客用エレベータにより昇降し、車と反対の右側を一方通行した。

橋台上の歩道始点と終点には西鉄バスと
北九州市営バスのバス停(若松橋台バス停、戸畑橋台バス停)が設置され、
若戸大橋を渡る路線バスが停車した。
また、橋台最上部に展望台が設けられ、歩道から階段で登ることができた。

開通当初はすべて有料(原動機付き自転車は車道利用の料金と同額)であったが、
1971年2月1日から歩行者のみ無料となった。
(このとき海門橋、銚子大橋、尾道大橋、音戸大橋、
関門トンネル、天草五橋でも人が無料になった。)。

渋滞対策のため歩道を車道にして4車線化することになり、
1987年5月に歩道は廃止され、客用エレベータと展望台も撤去された。
なお、取り付け道路部分の拡張については、
若松側、戸畑側とも現道の北側に平行して道路を建設し、
4車線化後は現道が下り車線、新道が上り車線となった。

若戸大橋は、子どものころに歩いて渡った記憶があるが、
それ以外は、若松ボートに行くときに頻繁に利用していた。
その様子を書いたエッセイがあるので次ページで紹介したい。




9月27日、今日の 「 ムサシ 」

2012-09-27 20:21:33 | 柴犬 ムサシとピース






最近ムサシは、ボクが仕事に出て行くときに柵に面した網戸から外を見ている。
ピースのときもそうだったが、 “ 後ろ髪を引かれる思い ” である。
仕事から帰って手を洗ってからムサシのところに行くが、
気配を知ると、柵にバンバン飛びついて意思表示をする。
これが可愛くてたまらない。

明日は我が家で宴会をするので忙しいが、
あとの3日はムサシと過ごす時間が増えそうである。





「 日向夏&カルピス 」 のチカラ

2012-09-27 19:58:36 | 日記 ・ イベント







午前中は、側溝を2本入れ替えて、
午後から剥ぎ取りしたアスファルトをユンボでダンプに積み込んで最終処分場まで運んだ。
今日もよく働いた。
朝は 「 今日も仕事か 」 と思うと億劫になったが、
いざ仕事に出ると、バリバリ頑張る。
そして労働の後は 「 今日も仕事をして良かった 」 と思う。
働くことは実に気持ちいいものである。

それにしても暑い日が続く。
真夏ほどのイヤらしい暑さはないものの、
今日も暑くて10時と3時に飲むジュースがおいしかった。

そのとき飲んだのが 「 日向夏&カルピス 」 である。
ドギツクなく、さわやかな喉ごしは労働の疲れを癒してくれる。

初めて飲んでおいしかったので仕事帰りに買って帰ったが、
段取りの都合で明日から月曜まで休みになったので、
“ 労働の後の一本 ” とは行かなくなったが、
毎月一日は御参りなどで忙しいのでボクにとっては好都合だった。