「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

12月14日 「 日曜出勤の朝 」

2014-12-14 19:48:41 | 朝の風景とその他の風景



出勤時の朝の風景








現場から帰る時に見えた夕空





今日は、ユンボに乗って砕石を巻き配って整地した。
風防のない25のユンボだったので、
北風がピューピュー吹いて寒いのなんのって、
鼻水を拭き拭きクラシャランを敷き均した。

いきなりだが、熊本弁で 「 ふゆじの盆働き 」 という諺がある。
ふゆじ = 怠け者という意味であるが、
これは普段怠けていた者が、世間が休んでいる盆正月に働くという皮肉ったものである。
日曜日の出勤はややそれに似た感がある。
ボクは怠け者ではないが、
休みの日に働くことは優越感みたいなものが湧いてくるのは確かだ。
「 誰も働いていない時に俺たちは働いているんだぞ! 」 みたいな・・・

競輪選手時代は盆正月が掻き入れ時だったからほとんど家にいなかった。
この時の盆働きは人気選手の証でもあった。
バンクというステージで罵声と声援をその身に受けながら・・・


佐賀県唐津市 / 唐津くんち 「 十番曳山 ・ 上杉謙信の兜 」

2014-12-14 05:18:41 | 日記 ・ イベント




























平野町周辺の町々 ( 刀町、新町、紺屋町、木綿町 ) が曳山を完成させ、
また、米屋町でも曳山を造ることになった。
そこで木綿町と平野町が協議を重ね、武田信玄と上杉謙信の兜を造ることになったという。
この平野町の上杉謙信の兜は1869年 ( 明治2 ) に、
富野弐蔵と塗師・須賀仲三郎らの手によって製作された。

この兜は角があることから見てもわかるように、
雄獅子を型どったもので獅子兜を表している。
この長い角が蓮根に似ているところから 「 レンコンヤマ 」 とも呼ばれ、
人々に親しまれている。
角と頭髪の間には上半身が出せる穴があり、
角の取り外しや路上の樹木といった障害物を除くのに使用された。

曳山の本体は粘土型の上に紙を張った一閑張りで仕上げられており、
蓮根角と眉庇は木型に漆塗りである。頭髪は北海道の白熊の毛を使っている。
また、兜の吹返しには上杉家ゆかりの紋が形どられてある。
曳山の幅は2.4㍍、高さ約6.7㍍。推定で1.6トン~1.8トンの重さがある。

兜の鉢にあたる獅子頭は、昭和3年に錣 ( シコロ ) を縮めた際、
後ろの頭髪を金箔にした。
しかし、昭和35年に神祭行列絵図を参考にして現在の色に塗りかえた。
また昭和46年には太鼓や曳山の台を新しくした。
平野町の肉襦袢と法被は上杉家ゆかりの紋が染め抜いてある。
上杉謙信が塩を贈った故事にならい、曳山の塩まきはタップリとまき散らすという。
   

上杉謙信の兜は昭和56年、アメリカのディズニーランド「日本の祭り」、
また昭和59年にオランダのロッテルダムで開催された
日蘭通商375年記念の 「 日本の祭り 」 に出演している。

[参考:唐津くんち「ガイドブック」(1991)] より


琉球泡盛 ・ 「 久米島の久米仙 」

2014-12-14 05:17:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







昨夜は、残業から帰ってから 「 久米仙 」 を飲んだ。
久米仙は沖縄では多くの人に愛されている最もポピュラーな泡盛である。
その久米仙を飲みながらりんけんバンドの 「 urizun 」 を聴いた。
北谷のカラハーイで演奏をやっているのだろうか。
「 うりずん 」 といえば、
来年のウリズンの頃には沖縄に行っているのかもしれないな。