二重峠に建つ 「 藤田義光先生の碑 」
南小国町の国道212号線沿いにあった 「 はたべ 」 食堂の前で・・・
昨日紹介した二重峠の手前の交差点に藤田義光先生の碑が建っている。
そんな藤田義光先生と一度だけ会ったことがある。
熊本の夏は暑く、その暑さを凌ぐために
熊本市内に比べて3度~5度の気温差がある阿蘇によく練習に行っていた。
あれは、南小国町にあった「はたべ」という食堂で昼食を食べていた時だった。
代議士をしていた藤田義光先生が秘書を連れだって店に入って来た。
ボクは当時22~23歳くらいだったと思うが、
その頃は政治のことなど興味がなかったので、全く知らなかった。
だから、店の人の 「 藤田先生 」 という言葉を聞いても、
学校の校長先生かなにかだろうくらいの感覚でいた。
漠然ではあるが、先生は 「 山菜そば 」 か何かを召し上がられたような気がする。
そして帰り際に僕達のところに来て、「 若い者はたくさん食べないといかん 」 と言って、
何か料理を追加してくれたような記憶がある。
先生が帰った後に、僕らの食事代金を全額支払ってくれていたことを店の人に知らされた。
そしてこの時、その人が代議士の藤田義光先生だということも教えてもらった。
そんな藤田義光先生の思い出である。
ちなみに藤田義光先生の経歴は以下のとおりである。
熊本県生まれ。1937年中央大学法学部を卒業。大学在学中は、真法会に所属。
朝日新聞記者を経て、1949年、第24回衆議院議員総選挙熊本1区で民主党から立候補し、初当選。
1962年9月、第2次池田第2次改造内閣自治政務次官。
1969年、日本社会党と公明党から衆議院内閣委員長解任決議案が提出されたが61票差で否決。
1979年の四十日抗争では、大平正芳に投票。
1986年、第38回衆議院議員総選挙に立候補したが、選挙期間中に死去。
その後、藤田みどりが無所属(保守系)で補充立候補したが、次々点であった。