今朝は寒かったが、日中は久しぶりに暖かったし、
風がなかったから春のように暖かく感じた。
今日は亡くなった母の祥月命日である。
あの日のことは今でも鮮明に憶えている。
あれは、そう。松山競輪に参加中だった。
松山に行く日の朝、 「 それじゃあ、行ってくるね 」 と言って、
炬燵に座る母に声をかけたのが最後の会話だった。
何となく後ろ髪を引かれる思いがあったものの、そのまま汽車に乗った。
小倉から新幹線で広島まで行き、宇品港から高速船で松山港まで・・・
なんとなく気分の乗らないまま堀の内にある競輪場に入った。
初日が終わって、宿舎の風呂に入っていたその時、
館内放送で 「 福岡の○○選手電話が入ってます。今すぐ選手管理室まで・・・」 に、
一緒に風呂に入っていた選手から、「繰り上がりやろ」って番組編成からの電話だと茶化す。
ボクは、一瞬 「 そうかな? 」 って思ったが、胸騒ぎがしていた。
バスタオルを巻いただけの簡単な格好で、受話器を受けると、
「 おい!母ちゃんが危篤ぞ!すぐに帰って来い! 」 と言われ、
その場に立ち尽くした。
とにかく急いで帰らねばと、服を着替えて帰りの飛行機の手配を頼んだが、
時間的に松山からの飛行機は飛び立った後で、
本州に渡る残されたルートはフェリーで柳井港まで出る手段だけだった。
柳井港から下松まで行き、そこから徳山まで行き、
そこで新幹線に乗り換えて帰るルートだ。
フェリー乗り場や駅などでテレフォンカードで公衆電話から家に電話を入れ入れ帰った。
最寄り駅には兄貴と妹婿が迎えに来ていて、
「 お前の帰りを待っちょるけ、早よ帰るぞ! 」 と言われ、
その言葉に残された時間が無いことを感じた。
急いで帰ったが、その時はもう母は息を引き取った後だった・・・