「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県日田市  「 小月橋 」

2018-03-04 14:47:08 | 大分の石橋



川の中から見た小月橋の全景








橋の袂にある円柱の親柱







上流側からの全景







橋のアーチ越しに上流に新橋が見える







輪石頂部から拡幅されたコンクリートが出ている







きれいに揃えられた輪石の側面







アーチ部分を裏から見ると様々な大きさの石が使われている








川から直に橋脚を立ち上げている








アスファルトで舗装された通路部だけ見ると石橋だとは気づきにくい






所在地 /  大分県日田市夜明
架橋  /  嘉永2年 ( 1849年 )
石工  /  岩永大蔵
長さ   /   7.1m   幅   /   3.2m
拱矢  /   2.4m   径間  /   5.6m
環厚  /   43㎝   単一アーチ


小月橋は夜明の上町の集落の中を流れる小川に架設された橋である。
橋は熊本県八代の石工、岩永大蔵が架設したもので、
流失した歌詠橋に先立って架けられている。
高欄の石材は撤去されて別の場所にあり、
親柱だけは橋の袂に立っている。

橋は両側をコンクリートで拡幅されており、
上から見ると石橋だとは気付き難い。
石工の岩永大蔵は、薩摩に石橋を手がけた岩永三五郎の養子で、
小月橋の架設から4年後の嘉永6年2月に亡くなっている。
その岩永大蔵がどのような経緯で日田まで石橋を架けに来たのか定かではないが、
架橋の資金を提供した日田掛屋伊豫屋の招請によるものではなかろうか。


小月橋へのアクセス
小月橋へは、国道386号線の夜明三叉路から
国道211号線方面に入り、
大分自動車道の高架の下を過ぎてすぐに右に入って
約500mほど行った場所になる。
駐車は橋近くの線路下の広くなった場所に駐車した。


鹿児島市  「 島津久光の像 」

2018-03-04 06:27:36 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣

















島津久光の像は、鹿児島市照国町にある。

島津久光は文化14 ( 1817 ) 年 ー 明治20 ( 1887 ) 年。
島津斉彬の異母弟である。
重富島津家に入るが、斉彬が亡くなる際、
久光の長子を後継と定め、久光を後見とした。
文久元 ( 1861 ) 年、久光は宗家に復帰し、
「 国父 」 として藩政の実権を握った。
王政復古後は藩地にいることが多かったが、
明治6 ( 1873 ) 年上京、明治7年には左大臣となる。
しかし欧化政策に反対する意見が受け入れられず、
8年には職を辞し、以後政治の舞台からは退いた。