「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

背番号52の入った川崎宗則のバッグ

2018-03-27 19:19:52 | スポーツ



競馬場に行く時にカメラを入れて持っていた
川崎宗則の背番号52が入ったバッグ。





イチローに憧れ、イチローを追い続けた川崎宗則。
鹿児島工業時代は薩摩のイチローで、サツローと呼ばれていた。
バッティングセンスの良さでドラフト4位でダイエー入り、
走攻守揃った巧打者として盗塁王や首位打者のタイトルを獲得し、
メジャーに行ったイチローを追うように海を渡り大リーグへ・・・

そして去年、古巣のソフトバンクに戻って来たが、
夏に体調を崩し、自律神経も乱れ、
野球に取り組むことが出来なくなった。
そして今日付けで球団保留名簿から外れ、自由契約となった。
自身は 「 しばらく野球から距離を置く 」 という。

どこの球団に行っても常に声を出し、ムードメーカーであり、
 ” 元気印 ” だったムネリンこと川崎宗則。
また、野球が無性に恋しくなったら、やればいいと思う。

今はお疲れさまとしか言えない。


鹿児島市  「 鹿児島港新波止砲台跡 」

2018-03-27 12:00:47 | 近代化産業遺産・土木遺産



薩英戦争でこれらの砲台から攻撃した石積み










薩摩藩砲台跡の碑








石を積み上げた上に設置された砲台跡の碑銘








桜島行きのフェリー乗り場の対岸に築かれた石垣








なだらかな勾配で築かれている







船着場の跡だけがせり出ている







明治天皇行幸所船形台場の碑







砲台が据えられていた跡は平坦になっている








石橋記念公園に隣接した祇園之洲砲台跡








仙厳園の反射炉前にある150ポンド砲 ( 復元 )








150ポンド砲の説明板






■ 所在地 /  鹿児島市本港新町
■ 竣工  /  1854年 ( 安政元年 )


砲台は桜島を望む錦江湾に向かっていた。
幕末の薩摩に欧米の力が忍び寄っていた。
通商や艦船への補給を求めて開港を迫る諸外国の来航。
次第に衝突の機会も増え、
薩摩藩は他に例を見ないほど徹底した防衛策を講じていた。
海に臨む要衝に砲台を築き大砲を備えた。
城下の海岸線には防塁を築き、
文久3年(1862)にはこれらの砲台によって
英国軍艦を撃退したのである。

弘化元年(1844)に始まった砲台整備は
錦江湾の周囲から外海まで及んだ。
砲術は長崎に洋式砲術を学ばせ、
鋳製法と呼ばれる鋳物場を設けて、青銅砲などを鋳造し、
さらに火薬に至るまで研究を重ね、
洋式の製法で自家製造にあたっている。
こうして構築された大防衛線は
長崎海軍伝習所の蘭人のカッテンディーケをも驚かせた充実振りであった。
ここには150ポンド爆砲をはじめ11門が備えられていたと記録にある。


鹿児島港新波止砲台へのアクセス
鹿児島港新波止砲台へは、鹿児島中央駅より市電鹿児島駅行きに乗車し、
鹿児島水族館口で下車。そこから徒歩で約7、8分。
車では国道10号線を城山交差点を海側に入り水族館へ向い約3分。
駐車は、水族館付近に多数駐車場が有り。


第6位 みずがめ座 今日のラッキーポイント 「 アクセサリー 」

2018-03-27 06:00:26 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

昨日は、久しぶりに土木作業をした。
スコップで床掘りをして、クラシャランを敷いて、
その上にコンクリで基礎を作り
差し筋をしてブロックを積み上げた。
軽作業だったが、今朝はあちこち筋肉痛がしている。
そんな今日の順位は6位で、
ラッキーポイントは、
「 アクセサリー 」 である。

ケンカした人と仲直り
感情を素直に表現しよう!


二十八宿 室 ( しつ )  神仏の祭祀、祈願、婚礼、建築、乗船など吉。


      今日のコトバ

 真珠は泥の中にあっても溶け去りはしない

 ( ユゴー 1802~1885  フランスの詩人 小説家 )