ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

何かできることは?

2019-02-06 | アメリカ事情

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ある日本のオンライン新聞に、読者がいろいろなトピックスで他の読者に意見を聞くという欄がある。その中に、「バスの中で罵られました」というのがあった。それを読むと投稿者は6歳と3歳の幼い息子さんをお持ちの、思うに、まだお若い母親である。子供たちがバスの中で幼い故にだんだん声高に話をしてしまい、バスを降りる時、60歳くらいの婦人客から、「早く降りろ!ほんとうるさい!!」と叫ばれ、「お前はそれでも親か!注意して子供らを黙らせんか!!」と言われ、最後には「謝らんのんか!」と言われたということである。この若いお母さんは、バスを降りてから、涙が出てきたと書いている。

 

そこで思い出したのは、もう50年ほど前に起こった話である。ある高名な初老の紳士は、悪天候のためいくつものフライトがキャンセルされていたシカゴ空港にたまたまいた。十分に食糧も持たず、二歳の娘を遊ばせる玩具も十分に持っていなかった妊娠中の若い母親が、途方にくれたように、カウンターで航空会社の係員とどうにか別の便で帰宅できないかと話しをしていた。すると二歳の娘がぐずり出し、とうとう泣き始めた。その時周りの人々は、キャンセルによって苛立っていて、そこへ子供のなき声で、すっかりうんざりして、あからさまに、若い母親が早く子供をなだめて静かにさせろ、とか、だいたい何故泣いている子を抱き上げないのか、とさえ聞えよがしに言った。その時、そのある高名な初老の紳士が近づいて、笑顔で彼女に尋ねた。「私になにかできることがおありでしょうか?」藁をもつかむ気持ちで、母親は、その申し出を受けたのだった。紳士は、冷たい床で泣きくれる幼い娘を抱き上げ、やさしく話しかけ、その小さな背中を慈愛に満ちてぱたぱたと叩いた。それから、小さなこの子は、ガムを噛めるか、聞き、紳士は一枚のガムを子供にあげた。落ち着きを取り戻した幼い娘は、すっかりおとなしくなり、若い母親は、どれだけこの紳士に感謝しただろうか。それだけではなく、その紳士は彼女達母娘が一刻も早くミシガンへ飛べるように計らってくれた。感謝の気持ちを述べて、紳士に別れを告げてから、彼女はおだやかな親切な紳士の顔を思い出した。

 

この老紳士は、数年後、一通の手紙を受け取った。その手紙はこうあった。「親愛なるXXX様、私は***大学の学生です。先週教会で、あなたがおよそ21年前にシカゴ空港で、愛情のこもった奉仕をなさったことについて耳にしました。あなたが助けた女性は、過去四度流産を繰り返し、あの時医師から、決して小さな子供でも持ち上げないようにと厳重に警告されていたのです。あなたは、泣いている子供を慰め、私の母から緊張と心配を取り除いてくださいました。私はあれから数か月後にミシガン州フリントで生まれました。私はただただあなたの愛に感謝したいのです。そしてあなたの素晴らしい模範をどうもありがとうございました。」

 

一方、かの新聞にトピックを書いたお若い母親は、数々の意見に対しての返事を書いている。

 

「上の子は小児がんのため家から一番近い大学病院へ通うため新幹線とバスを利用しています。今回のことがあり帰りは駅から自宅までタクシーを利用しましたが治療費に交通費が嵩み正直毎回タクシーでの通院は厳しいです。声がうるさかったのは下の子です。この子は上の子が治療のため一年間入院(私も付添い)している間遠方の親族に預け育ててもらっていました。やっと一緒に暮らせるようになり1人だと騒いだりしないのに兄弟2人でいると楽しくてつい声が大きくなってしまいます。
病院へ行くのでどんな人がきているのか、なぜ静かにしないといけないのかは伝えてますし、入院して辛い治療を経験した兄の方はよく理解しています。バスや新幹線の中では小さな声で話すように注意しますが話してはいけませんと躾けたことはありませんでした。
あと何年生きれるかわからない上の子が下の子と一緒に過ごせる時間、少しでも楽しい思い出をと2人の好きな乗り物に乗ってる時間「話してはいけません」なんて言えませんでした。。。」

 

この母親の返事には、ハッとしたし、その立場の辛さも伝わってきた。その状況が目に浮かび、胸が痛んだ。日本の姉に、こういうことがあったらしいけれど、これは本当にお気の毒ね、と言うと、彼女は、「私もこの記事を読んだけれど、この若い母親にそういう事情があったように、怒声をあげた年配女性にも人知れない事情があったのかもしれないわよ。それを一方的にひどい、と責めることはもしかしたら浅はかな判断じゃないかしら。」と答えた。。。なるほど。

 

この母親は、長男の病の治療と看病の疲れ、そのために次男を別の環境に置かねばならぬ切なさ、そこから湧いてくるだろう失望や絶望やらの負性で、おそらく胸は一杯だったことだろう。そして年配の女性も、何かの事情でやはり胸は塞がれていたのかもしれない。そんな時、二者が衝突してしまうことは十分に予想できる。お互いに嫌な気持ちを持った結果は、おそらくお互いの絶望感を助長させるだけだろう。そんな時、どなたかが、この母親に、「なにか私にできることはありませんか?」と歩み寄るとしたら。子供たちが声高に興奮して話さないように、どなたかが、できることは案外無限ではないだろうか。

 

教会の聖餐会では時折前や後ろの席に幼い子供をつれた家族が座る。子供たちは最初は親の隣で神妙であるが、そのうち、退屈して声を出したり、時には他の兄弟姉妹と喧嘩して大声をだしたり、叫びさえする。私はいつもバッグの中に小さな折り紙を入れていて、さっと出せるように、すでにカエルや鶴やそんなものを折って持っている。すると大抵の子供は静かにそれで遊び始める。あるいは、ちいさめな絵本、塗り絵帳、色鉛筆なども教会バッグ(と私は呼ぶ)に潜ませている。そんな小さなことで、幼い子供たちが、静かにできるのは、5人を育て、5人孫のいる私は、経験上知っている。そしてそうした準備をするのは、決して大がかりでもなんでもない。どなたにもできることである。「できること」は実はとても小さなことなのである。

 

 

 

 

コメント (2)
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