ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

一人じゃない その1

2019-02-18 | 系図のこと

ldsmag.com

ステイシー・キングドン・プロクターが、曾祖母マリアの祖先の村を訪問時に発見した生存している親戚マリアと。

 

 

 

 

 

 

注:このブログ記事は、長い物であるので、今日と明日に分けて書いています。続きは、明日のその2へどうぞ。

 

 

 

生後8か月の時、ステイシー・キングドン・プロクターの両親は、離婚した。彼女が育つにつれて、10年生(高校一年生)になるまでに、18回彼女は転校した。両親を愛していたが、引っ越したさきざきの新しい場所で、絆を求めたが、ステイシーの人生は永遠に断片化しているかのようだった。大人として、ステイシーは不幸な結婚生活を去り、それはますます彼女の断絶感を悪化させた。


ステイシーは再婚し、未来は明るく見えた。しかし、2014年に、彼女の幼少の頃から、親切で愛情深い影響を与えていた彼女の叔父が、重い精神疾患のために、自殺をした。それは最終的に入院を必要とする彼女自身の深い鬱病の引き金となってしまった。退院した後、彼女は必死に所属感や絆を求めたが、同時に彼女は絶望的で無気力で、絶大な孤絶感や寂寥感を持っていた。彼女は、自分が誰であるのか、または夫、家族、さらには神からの孤立感をどう克服したらよいのか、その術を知らなかった。


1年半後、まだ混乱と寂寥感を重く感じていたが、ステイシーと彼女の夫アンディは、カリフォルニア州ハンティングトン・ビーチに引っ越し、そこで彼女は教会の若い女性(12歳から17歳)グループのアドバイザーとしての召しを受けた。彼女は精神的な病気を理解するのに苦労し続け、いまだ自分は現実から切り離されていると感じていたが、家族の歴史を探求することにおいて若い女性を教え導くことに一歩踏み出した。


これは彼女にとって新しく習うことだったが、ステイシーは、系図探求サイトのFamilySearch(ファミリー・サーチ)を使う方法を学び、若い女性グループのそれぞれが自分の家系図を探し、構築していくのを助けただけでなく、彼女自身の家族のルーツを発見し始めた。精神を病んで入院して以来、彼女は絆へのかすかな光を感じたのだった。


ステイシーが先祖探求をしていると、彼女のコンピュータ画面は父方の前世代の人々の名前でいっぱいになった。しかし、母親であるリナリーは、養女であったせいで、彼女の名前はそのページにただ一人きりであったーつまり彼女の名前から前世代の 先祖からは切り離されていた。 リンリーの過去の一部は未解決の痛みや疑問があり、ステイシーは、穏やかに思いやり持って、母親と見つかっていない先祖について話しすと、二人は前世代について学ぶことがそれぞれに必要な、ある癒しを提供するするのではないか、と気が付き始めた。


ステイシーは、リナリーの実の両親についての詳細な情報を得ようと母の姉のフェイスブックにメッセージを送り、母の実の父母についてなにか知っているかどうかを尋ねた。それによって、ステイシーは、実の祖母は、動物を愛し、手工芸が好きだったが、彼女もまた精神疾患に一生苦しんでいたとわかった。彼女はリナリーと他の子供達を養子縁組に出したことを後悔し、彼女の最大の願いは家族が再会することだった。そこからステイシーは、これらの人々と自分にはつながりがあるのを見つけ始めた。精神的な病気が彼女の系図を通して家族にあるのが見て取れた。彼女は、実の祖母、曽祖父母や高祖父母の略歴(生年月日や出生場所、姓名、など)を得て、その情報を自分の家系図に入れていった。失われていたリンク(つながり)部分が徐々に復元されたことで、リナリーの名前は突如として一つの家族柄だけでなく、その家族が紀元前557年まで遡られるラインにつながった。


次から次へと見つかる先祖の名前が、世代から世代へとつながり、自分にもつながっていくことで、ステイシーはこれまで知らなかった美しい展望を持った。 絶望的に独りぼっちで、自分だけ切り離されているのではなく、彼女にも絆があったのだ。とうとうと続く家族の流れの一員であるのだ。 彼女は有意義な話を持つ馴染みのある魂が成す一つの鎖の一部であったのだった。



ldsmag.com

母リナリーと娘のステイシー


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする