フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

献血

2008-10-24 20:50:28 | Weblog
昨日から目の奥が痛くて脳がはれぼったい感じがして嫌な気分だったけど、朝になると少し和らいで何とかいけそうだと仕事に出かけた。帰りがけに献血の車を見つけて血を抜いたら楽になるかなと単純に思って寄って見た。これで3回目かな?献血するのは。パソコンにデータが全部入っているから身長は、体重は、ハイ、400cc採れますか?ハイ手なぐあいで400cc決まり。今日は、血圧が頭が痛かったのと関係あるのか130と普段より高め。どうりで、普段はあまり出ない血管がぷっくりと出ていた。「きれいなB型の血をいただきます」なんて調子のいいこと言ってきれいかどうかも分からないのに馬に刺すような大きな注射針をぷっくりしている血管に突き刺した。「自分は、血を抜き取られる刑を課せられたギリシャの哲学者、ああ、オレの最後の弁明を聞いてくれ」俺の最後の言葉を、キミが聞き取ってくれるのかクロード。そうか、辺りにはキミのほか誰もいないのか、静かだ。死がそこまで来ていると言うのにこの静けさ。心落ち着く安らぎは何だろう?もはや暗くてキミの顔すらおぼろげだ。私は、何もしないで生きてきた。ただ存在するもの。それが、人であるというテーゼに従って。自ずから然りではなく、自ずから在るこれが人だ。ゆえに個々の存在そのものが貴重であり、魂は付随するものである。オレの魂は、オレの姿である。俺の姿を見るものは、俺の魂を見るものである。では、どのような魂が自分は好きなのか。あるときは?あるときで?ある時のアナログで不安定に存在した自分を自分としてるのだろうか?薄れ行く意識の中でクロードに告げる最後の言葉を探していた。
詩人の魂のように「いい人になってください。幸せになってください」・・・・「ハイ起きて、終りましたよ」・・・ここはどこ?献血のバスの中。僕のギリシャの哲人はどうなるのだろう?バスから出れば厳しい現実!思考なんぞありゃしない。
コメント
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