フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

龍馬伝収二郎

2010-05-02 19:11:47 | Weblog
丹中山にある坂本家の墓を訪れてこの近くにある平井収次郎の墓にも行ってきた。




収二郎の墓は、加尾が建てたと言われて北山とここと2基存在すると言う。




どちらも墓の右側面は削り取られている。加尾が収二郎の辞世の句を刻んだというのが土佐藩の怒りを買ったというのが理由らしいがその辞世の句は平成15年に平井家の子孫によって碑が建てられている。


この歴史公園で案内板を見ていたら土方のようなおっさんがいまどき「ハイライト」なんか咥えて「案内板の後ろにプレートがあるやろう。そこに書かれているのが私です。」と声をかけてきた。またまたボケちゃんマンの類かなと思っていい加減にしてると意外と詳しい。聞きもしないのに「教育委員会の依頼を受けてねここの管理を任されているんだ。今作業中だからあんまり時間がないけど。私今日、2時間しか寝てないから。」と言いながらも取り合いたいらしくなんやかんやと言う。「これでも歴史家やからね」なんて、自分から歴史家なんて言うヤツに碌なヤツはいねえ。全く土佐のほら吹きかよ。とプレートを見ると「歴史カメラマン何某」とあって彼がここを作ったように書いてあった。ナンだとっても有名な人じゃないか。出番が龍馬伝で言ったら河田小竜のような雰囲気でいきなり登場するもんだから警戒してしまった。「自分も15年くらい前に龍馬の漫画の原作を書いたことがあるんですよxxxxという本なんですけど」というと「見たことがある」と言ってくれて「今日は忙しいから」と言うので「それではまたの機会に」といっていったんは辞したんですけど下りていく途中で観光客の若いカップルに出会ってそこで観光ボランティアと化して案内してあげてたら上のほうから彼の先生が「おーい」と呼ぶ。そこでみんなで先生のもとに行くとあんまり熱心だからといって幕末の歴史の教授を10分位してくれた。ありがとうございました。
それから、図書館へ行って彼の先生の著作を検索。郷土史のところに何冊かありました。その中の1冊の写真集を借りて昔の土佐の在りようを見ています。全国区の著名人だから(全然風采はそのように見えませんが・・・失礼)どこにでも彼の本はあると思います。労作です。一期一会か。またどこかでお目にかかりましょう。「龍馬暗殺」など話してみたい。「前田秀徳」先生ありがとう。
コメント
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