ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

大和悠河への期待値は・・・・

2007-09-30 19:34:30 | 宝塚コラム

 宙組のショー「宙FANTSISTA」を見ていて、卵から生まれ出る

星のプリンスに感慨深くなったんですよねーー

タニちゃんと藤井先生といえば「NON-STOP」だったなあ。

あれは藤井先生のデビュー作で、タニちゃんは早死にしちゃうサーカスの

少年・・・一生懸命綱渡りをしてにっこり笑ったときの笑顔が本当に素敵で

いつか華やかなトップさんになるなあ」と思ったもんです

そうそう・・・「エル・ドラード」で外しまくりのエトワール・・でも笑顔が絶品で

可愛らしくてかっこよくて金色の衣装がよく似合ってた。

ガイズ・アンド・ドールズ」のネイサンは憎めなかったなあ・・やっぱり

キザった笑顔が可愛らしくて。

 

思い浮かぶのはどれも月組時代の彼女ばかり。

はじけるような笑顔と若さと華やかさを持った若手スター・・月組の御曹司

で、いつか歴代の月トップの中でもひときわ輝くだろう・・と、思っていた

ものです。

(下級生の頃から見ているのでかなり贔屓目)

 

宝塚には様々なタイプのトップがいてもいいと思います。

星組の安蘭けいのように苦節○年、待ちに待ってやっと上り詰めたトップの

座。相手役の遠野あすかと共に最初から安定感を見せ、誰が見ても安心

しつつ、若々しい柚希礼音を育てる役目も負っているというような?

あるいは雪組の水夏希のように、ダンス以外は色々不安定要素も持っている

かもしれないけど、そこは二番手彩吹真央を始めとする

フォローに徹する姿勢の組子に支えられて頂点に立った・・・ような?

 

じゃあ・・宙組はどうなの?と言われたとき。

うーん・・・3回見た結果。

タニちゃん一人で頑張ってる。ものすごく背伸びしてトップらしくあろうと

努力しているものの、今の所から回りしているような」という印象です。

相手役の陽月華は歌以外は全てにおいて大和より上っ

演じさせれば表情豊かで感情表現が上手。躍らせれば多分宝塚の中で

一番上手 そんな表情豊かで技術力のある相手役に恵まれて

一対の雛人形のようにぴったりだけど、大和が一本調子に見える・・・・

特にショーでは藤井作品の機微を知ってる陽月と初めて尽くしの大和の差は

大きいわあ・・・

 

二番手の蘭寿とむは、地がネアカっていうかのびのび楽々好き勝手。

それは北翔海莉もそうで、あまりトップを盛り立てようとかフォローしよう

という意識はないみたい

学年も近いし付き合いも短いし、お互い自分の事で精一杯って感じ?

トップから3番手までの縦並びというより「クラスメイト」的な横並び状態で

こんなんでどうやってトップらしいオーラを振りまけと?

しかも、両横には悠未ひろだの十輝いりすだの四天王みたいな巨人が

いるので妙に大和が小柄に見えたりして・・・・

 

そんなまとまりのない組の頂点に立たされて

(それはしょうがない部分もあるのよね。タカハナ時代が長すぎて

しかも上級生ばかり出たり入ったりが激しく、さらに貴城けいの1作退団で

めちゃくちゃかき回されたんだもん)

大和悠河は一生懸命に笑ってキザって観客を引っ張り込もうとするの。

 

でも、まさに今卵から生まれたばかりのプリンスにいきなり太陽に

なれといってもそれは無理

あの天真爛漫で華やかな笑顔は影を潜め、とにかく重責を担うために

無理している姿がちょっと痛々しい・・・・

今更言ってもしょうがないけど、月組のトップだったらこんなに背伸びしない

で済んだんじゃなかろうか・・・

真横には男役顔負けに度胸のいい陽月華がいるので、よけいに弱弱しく

見えるって言うか、でもそれを逆にいかして組子が一丸となって若き

プリンスを支えたら今までになく華やかでかっこいい大和悠河が出来上がる

ような気がします。

(余命いくばくものをやってーーぜひぜひ韓流ドラマ風を

熱望

 

今回もヴィーナスなどのシーンでキザってアドリブをかましている大和より

サタンで痛めつけられるシーンの方にカタルシスを感じたっていうか?

本来そういう純粋系青年がよく似合う人ですものね

藤井先生は大和を「星のプリンスとして生まれ太陽に成長した

FANTASISTA」として位置づけましたが、そんな正統派の王子様が

よく似合っていたし、卵から生まれて違和感のないトップさんというのも

今時珍しいっていうか?

 

願わくば、月組にいた頃のような笑顔と包容力を早く取り戻して

本物の太陽に成長して欲しいです

 

でも大和を見ていてつくづく思った事。

頻繁で意味のない上級生の組替えはやめましょうよ。スターもファンも

疲れるばっかりだって

やっぱり主演は新人公演からその組にいた生え抜きがいいよーー

そろそろファンに安心と安定を与えてください。でないとヅカファンが

減少するしファンの裾野は広がりませんよ。

 

という事で、大和悠河に対する期待値は今の所未知数

でも時期がくればきっと・・・と信じています。

 

 

 

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バレンシアの熱い花はなぜウケなかったか2

2007-09-30 18:13:33 | 宝塚コラム

 この作品において観客がまっさきに疑問に感じたのは次の3点。

 なぜフェルナンドは婚約者がいるのにイサベラに告白したの?

 なぜシルビアはルカノール公爵が死んだあと自殺したの?

 「私のイサベラも死んだ」の意味はなに?

30年前のお客はこれらの疑問符は持たなかったと聞いています

 

最近スカイステージで榛名由梨版を見ましたけど、上記のような疑問は

思い浮かびませんでした。むしろ、フェルナンドとイサベラの熱い恋に

大いに涙して、ラストの「私のイサベラも死んだ」という台詞に胸が

締め付けられてしまった程です。

 

初演の月組と、今回の宙組では何が違うのか・・・・

それぞれの演技力だの歌唱力だのという事は目に見えている事実ですが

(大和以下が下手というのではなく、当時の榛名以下よりも経験が

浅いという意味です)

それだけではなく、このお話の根底に流れる物を表現し切れなかったから

ではないかと思いました。

それは・・・・「身分の格差」です

フェルナンドは貴族(それも元領主の家柄)、けれどイサベラは酒場の

踊り子に過ぎません。仮にフェルナンドに婚約者がいなかったとしても

結婚なんか出来る間柄ではなかったのです

当時は結婚は家の為にするものだったし、「階級」というのは大きな壁に

なった筈です。

 

フェルナンドの身分からすればイサベラを「遊びの相手」として扱う事は

十分に出来る筈。でもそこを正直に「婚約者がいる。彼女を悲しませたく

ない。でも君への気持は変わらない」と言ったものだから、イサベラも

「限りある恋」に生きる決心がついたのだといえます。

ラスト、イサベラは自ら別れを切り出しますが、それが唯一の彼女の

プライドの表れといいましょうか・・・

そしてフェルナンドは復讐を終え、元の真面目な軍人貴族に戻るでしょう。

マルガリータと結婚して公爵家を継ぎ、家の繁栄に尽くすでしょう。

イサベラを嫌いになったのではなく、愛したからこそ彼女を心から

抹殺する必要があったのです。

それゆえに「私のイサベラも死んだ」という絶望の台詞になったのでは?

 

また介在する「貞操観念」も現代とは違い、心ならずも一旦は他人の

妻になった身が、例え夫が死んだからといって、すぐさま他の妻になれる

というような感覚はなかったものと思います

処女を失った時点で「穢れた」と感じたシルビアが、一途に愛してくれる

ロドリーゴの妻になれるはずがないのです

それゆえ、シルビアはどちらにせよ「死」を選ぶしかなかったんですね。

 

初演版では、フェルナンド、ロドリーゴとラモン、イサベラの身分格差が

非常によく描き出されていました。だから話に説得力があったんですね。

でも宙組版では、大和も蘭寿も北翔もあまり上流貴族に見えないというか

(特に蘭寿も北翔もラモンの方がやりやすかったみたいだし)

陽月も酒場の女の割には品がありすぎ、一方の美羽あさひは貴族の令嬢に

見えない・・・つまりみんな一並びに見えた事が、作品をわかりにくく

していたと思います。

 

そもそも大和はあまりコスチュームが得意でない月組の出身だし、

いきなりフェルナンドのような品格ある人物をあてられても無理があった

と思いますし、蘭寿も北翔も貴族の役は苦手で妙に芝居がかって

いました。

一番は大和・蘭寿・北翔の並びに縦線が見えず、横線だけと

いうのがやっぱり問題だったかな。

(さらに言えばルカノールを演じた悠未ひろ邦なつきさんが昔

恋人同士だったといわれても無理がありすぎっ

要するにベストなキャスティングではなかったということです。

 

お披露目ならお披露目らしく、若々しく元気な大和にふさわしい作品を

書き下ろしてしかるべき。そうやってこそトップスターの人気を

作っていくべきではなかったでしょうか?

 

「バレンシアの熱い花」は名作だと思います

あの台詞の間にある余韻といい、曲も演出も非常に宝塚的で

脇役に至るまで個性があり見せ場も多い、本当に素晴らしい作品だと

思いました。

それだけに、それをいかしきる事の出来なかった宙組が残念ですが

それはトップの責任というより初心者にいきなり上級コースをあてた

劇団の失敗だったと思っています。

これで暫くこの作品はお蔵入りになるでしょうね。

せっかくの名作が再演でおじゃんになってしまうとは・・・・全くもって

残念でした。

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バレンシアの熱い花はなぜウケなかったか1

2007-09-30 17:37:02 | 宝塚コラム

 今日は雨ですねーー我が家では18回目の結婚記念日で。

それなのに姫ちゃんと宙組の前楽を見に行ってしまいました

でもダディがケーキを買ってくれたから・・まあ、いいっか

 

 さて・・・真面目な話。

宙組、大和悠河お披露目公演「バレンシアの熱い花」ですけど、ファン熱望の

再演、しかもお披露目という事でチケット難かなと思いきや、

ファンでもない私が3回も見る事が出来ちゃった・・・ホントか嘘かわからないけど

一応「不入り」の烙印を押されてしまったみたいです。

そんな事いうなら日生劇場も、雪青年館も月東宝も売れてないじゃん

 

 震災以後、お化け作品「エリザベート」の人気と「ベルばら」再演、

そして「ファントム」再演に頼って、大入り満員になるようなオリジナル作品を

輩出する事を怠って来た劇団及び座付作家の責任は大きいと思います。

今、宝塚だけではなく、東宝にしても他のミュージカルにしても観客動員は

決して多くないと思います

(四季は別格・・・でも最近はやっぱり再演に頼ってる?)

それは長引く不況と格差社会が背景にあって、「演劇」を見る余裕のない

人が多くなっているのではないかと思います。

でも、それだけではなく、「この公演に万札はたいてもいい」もしくは

この公演は毎週通ってもいい」というような情熱が観客の中から消えうせて

しまった事が大きな要因。

さらにその要因をさぐるなら、無論答えは一つ。

舞台が面白いと思わないから」という事になるでしょうか・・・・・

 

歌舞伎や狂言など伝統芸能が少しずつ自己努力して新しい観客の

裾野を開いて来たのに対し、ミュージカル、歌劇といった世界は

オリジナルな作品を中々生み出す事が出来ず、昔ヒットしたミュージカルの

再演で食いつなぎ・・その割にはキャストがあってない・・など等

作品に拘るのではなく「集客できそうなキャスト」頼りになっている事が

観客動員の悪さに繋がっているのではないかと思います

 

テレビで見て、どんなに素敵な役者でも舞台で通用するかどうかは未知数

だし、まして歌とか踊りとなれば専門的な技術が必要。

なのに真ん中に立つ人はいつもテレビで見ているあの人・・・・

ええっ?あの人歌えたっけ?踊れたっけ? もうちょっとチケットが

安かったら見てみようかな・・・でもいいや。この次でも。

って感じでしょうか

 

ミュージカルにしてもストレートプレイにしても、まず脚本。そして

その次に来るのは「この人こそ原作から生まれて来たような

キャスティングです そしてそこに演出の妙が加われば名作を

生み出す事が出来る・・・筈

でも、今はどの劇場も上演する前にまず「客を呼べるかどうか」で

キャスティングにお金をかけるから、目の肥えた人ほど見ない状況。

アイドル的人気で一時的に劇場を満杯に出来たとしても、それは一時しのぎ

に過ぎないのよね・・・・

(あのモーニング娘。の主演した「リボンの騎士」も客席が埋まらなかったし)

 

つまり、テレビと舞台は役者が住み分けないといけない世界じゃないのか・・・

と、思うんですけどね。

東宝ミュージカル等は長い間、一人の女優の人気に頼りすぎていて、

しかも脇が中々出世できず、四季と宝塚のトップ経験者でないと主役は

張れない状況になっている昨今、新しいスター作りに苦労しているような

気がします。

(トップじゃなくても主役を出来る元ジェンヌはいますのに・・・・)

 

宝塚においては震災以後、作品よりも一人のトップスターの集客に

頼る傾向がどんどん強くなり、一芸に秀でたジェンヌや娘役を大切にしない

トップが出ずっぱりの作品ばかり輩出して来たお陰で、今やファンまでが

あの人はバウを埋められなかったらトップになれない」だの

大劇場で空席が目立っているからトップ生命は短いわね」などと

噂する始末

 

昔は、座付作家がそれぞれの組カラーやトップに合わせて作品を書き、

それが多少へんてこでも作家の愛情がトップや組子に伝われば、

それが観客にも伝わり、毎日一生懸命劇場に通うファンっていうのが

いたはずですよ。

主役は出来なくても歌が上手な人、躍らせたら天下一品の人、可愛い人

演技が上手な人・・・そんな人達にそれぞれファンがついていて、小さな

見せ場に目を細めてみていた時があったはず。

 

バレンシアの熱い花」はそんな古きよき時代の宝塚で、30年前に

月組トップ、榛名由梨」とその組子達の為に書き下ろされた作品なんです。

30年前に見た人は、榛名フェルナンドにうっとりして、瀬戸内美八

ロドリーゴ、順みつきのラモン・・・それぞれに思いを馳せたんでしょう。

ルカノール公爵を演じた名優沖ゆき子さんやセレスティーナ夫人の

大路三千緒さんらの演技に引き込まれた事でしょう。

あの作品は榛名由梨だけの実力で名作になったのではなく、それを

支える脇役達の名演あっての事だし、なによりも月組というカラーに

あっていたのではないかと思います

 

それゆえに再演希望も多かったんでしょうね。

宙組新トップ、大和悠河とくれば「天海祐希」の再来といわれる

劇団イチオシのトップ・・・それと名作が重なり合えばどんなにお客が

喜び、通ってくれるでしょう的な計算を劇団はしていたのかもしれません。

 

蓋を開けてみれば不入りだったと・・・・

しかも、主演の大和悠河はわりとメタメタにこき下ろされてしまい、

せっかくのお披露目お祝い気分が・・ぱあ?

何とも可哀想な結果になってしまいました。

 

私も最初見た時、「この作品は大和悠河に合わない。なんだってこんな

ベテランが演じるべき暗い作品をお披露目に持ってきたのか。

ショーがなかったら全然お披露目気分じゃないじゃないの」と思いました。

 

作品はひどかったけど、星組の「シークレット・ハンター」の方が

お祝い気分満載でよかったよかったって素直に思えました。

(そういう評価に作家が甘えていられるのもお披露目だけね。児玉さん)

 

どうみても「バレンシアの熱い花」は大人の恋の物語で、トップなり立ての

若い人がやるべき作品じゃなかった・・・・

初演当時の榛名由梨はトップ歴何年でしたか? しかも彼女は歌も得意なら

ダンスも演技も完璧な優等生で大人っぽいトップさんでしたよね。

そんな彼女の声をいかす為に作られた曲を大和が歌っても、綺麗に聞こえる

筈がないんです。

 

それでも大和は本当によく頑張ったと思います

ほんと、必死に毎日やっていたんだなあ・・・って思います。

ただ、彼女自身、フェルナンドという役柄を最後まで理解できなかった

のではないでしょうか。

それはまさに世代のギャップというか、今時の人に30年前の倫理観を

すぐさま理解しろと言っても無理だったかなと思います。

それは観客も同じ。30年前の倫理観に基づいて作られた作品をすぐには

理解しがたかったのではないでしょうか?

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