ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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蘭寿とむ 花組トップ決定&鳳稀かなめ宙組へ

2010-11-15 17:12:20 | 宝塚コラム

ははは・・・・ おめでたいけど、じゃなんでわざわざ蘭とむは宙へ行ったのか?

かなめちゃんが移動ってことは北翔は・・・?

 

 蘭寿とむ 花組次期トップスターに 

 

 蘭寿とむ → 20114月25日付けで花組へ

 宙東京「誰が為に鐘は鳴る」に出演

 3月・・・ディナーショー

 2011年6月24日・・・花組大劇場公演でお披露目

 

  おめでとうございます。ともあれよかったですね 組替えしなくてよかったのに。

   あのままずーーーっと花組にいてくれてよかったのにーーとはいっても

   凱旋組替えでそれはまあいいとしてっ

 

  壮一帆の事を思うと素直に喜べない・・・・ 

   別に壮ファンではないんだけど、何でこういう事をするかなあ。

   これじゃファン同士で憎み合えといっているようなものじゃない

   蘭寿&壮は同期で同じ花出身で、真飛時代の花を支えたのは他ならぬ壮君。

   (支えたというよりは自由奔放にやってる感じでしたが)

   第二の彩吹真央にするおつもりなのねーー

   別に壮君に特別トップオーラがあったかどうかはわからないけど、でも二番手まで

   来てこの扱いはないと思うし。じゃあトップの条件ってなんなんだ?と

   疑問に思ってしまうでしょう

 

  無論、蘭とむには罪はないけど、ファンの間にまたもや嫌な雰囲気が

   漂いそう。こんなんじゃせっかくのトップスター就任もミソをつけるというか

   ますます観客動員が危うくなるってわからないのかしらねーーー

 

  で・・・壮君は退団?組替え?

     

 

 鳳稀かなめ 宙組へ 

 

 鳳稀かなめ → 2011年2発25日付けで宙組へ

 星中日公演 「愛するには短すぎる」「ル・ポアゾン」出演

 2011年5月20日・・・宙組大劇場公演に

 

 ついこの間、星組に来たばかりなのにもう組替えかい?

   何の為の組替えだったんですか?  

 

  私は今の大空祐飛の宙組が好きです。

   正直、宙組発足以来この組を好きだと思った事はないし、頻繁に繰り返される

   組替えと落下傘トップで辟易していたのも事実

   でもまあ、大空になってからは落ち着いたというか、組子が生き生きしているなって

   思うのね。

   だから祐飛君がいなくなった宙は・・・みないかも

 

  とはいえ、宙組での鳳稀かなめの扱いはどうなるの?

   星で二番手だったんだから当然2番手・・・・え? じゃじゃあ北翔海莉は?

   ほっくん異動?異動するならぜひ月に戻っておいでーー 

   何だかこれまた素直にどう考えたらいいのかわからない人事で。

 

  歌劇団にとって二番手ってなんですか?

   トップスターを支え、次期トップの修行中ってのが立ち位置だと思うけど

   こんな番狂わせばかりやってると二番手になる事事態恐怖です

   責任ばかり大きくて実がないっ

 

もう泣きたくないんだけどなあ・・・・・泣く姿もみたくないし・・・・・

コメント (12)
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久米宏経済スペシャル新ニッポン人の食卓

2010-11-15 14:54:32 | ドラマ・ワイドショー

 久米宏経済スペシャル「新ニッポイン人の食卓」 

 

 日本人の食卓がどう変わって来たのか

 スタジオに70代の女性を60人パネラーとして呼ぶ

 彼女達は「元OL」

 日本の食がどう変わっているか追跡調査

 現代の30代・40代が料理をしないわけは70代にあった

 

 街角の人達に「昨日の夜は何を食べましたか」と聞いたら、一番多かった答えが

  「食べませんでした」という事らしいです。

  お腹すかないの?それともお菓子やお酒で紛らわしているって事なのかしら?

 

 今時の主婦の台所を拝見

 冷凍食品をドタ買いして包丁を使わない調理法

 コンビニで惣菜をあれこれ買って綺麗に盛り付け旦那には内緒

そういえば昔見た番組では一年中お鍋という家庭がありました。とにかく切って

入れるだけで簡単だから夏も冬もお鍋。

スタジオに集められた70代の方々はそれらの映像を笑ったりして他人事のように

見ていますが、いざ久米さんに「娘さんはちゃんと料理をしていると思いますか

という質問にほとんどの人が「YES」と答えていました

しかし、実際に娘が台所に立っている姿はほとんど見た事がなく

多分やってるんじゃないかな」程度の事しかわかってないのですね。

働いている主婦にとって野菜を切ったりする手間は大きいから冷凍食品をうまく

使ったりする事はいい事なんじゃないかと思います。

私がフルタイムで共稼ぎの時は冷凍食品は使った事がないのです。っていうのは

私が嫌いだから・・・・ ゆえにメニューはいつも同じだけど作るしかなかったなあ。

考えて見ると、レトルトや冷凍食品の扱いが上手なのは姑で、いわゆる今時の70代は

それらの食材をものすごく上手に使っていたような気がします。

 

 日本人の「食」を調査する

松戸市の聖徳大学教授の方法

 小学生達に紙を渡し、日ごろの食事風景を10分で書かせる

 1日置いたり時間を掛けたりすると真実が見えないので。

その結果 → 紙の端っこに子供が一人で食べている姿

         描いては消しでテーブルしかない

         家族揃って食卓を囲んでいるがほとんど会話なし

         調味料は細かく描かれているのにおかずは描かれない・・・覚えてない。

例) 朝ごはん → ボーロ16粒と牛乳

理由・・・親は食事なしで子供は学校で食育で洗脳されていて朝食を要求

 

日本人が年間お米に使うお金は一人当たり 24000円

         お菓子に使うお金は一人当たり 67000円

 

岩村暢子氏の調査方法

 1家族ごとに1週間のメニューを写真に撮って貰う

(カメラは使い捨てを支給)

 朝・昼・晩のメニューにした理由などを細かく書いてもらう

 買い物をしたレシート等も貼り付ける

 事前に食へのアンケート調査をする

 実験後、カウンセリング (嘘を見破る)

 それを13年間集め続けた

例1・・・素ラーメン・素パスタ・素うどん → 具を入れると子供が嫌がる

例2・・・初日と最終日ではメニューが大きく変わっている。後日になる程家庭の

    真実が。

例3・・・野菜を出した日に「風邪予防」「健康に注意して」等コメントをつけている

    → 家族に風邪をひかれるとイライラする。家族の為じゃなく自分の精神的な

       健康の為。

例4・・・餌場型 → テーブルに適当に食べ物を置いておくと勝手に食べる。

 

今時の主婦(30代・40代)がなぜ「おふくろの味」を作らなくなったのか

理由 親世代(70代)のライフスタイルの変遷

・ 生まれてから10年間は戦争で食べるものがない時代。

・ 母親から「おいしい料理」を作って貰った記憶がない。

・ 戦後、働き結婚し出産する時代にインスタント食品・冷凍食品が沢山出現

・ 食の洋風化を自分達で研究し作り上げる。

・ しかし、娘達にそれを継承させない。強制したくない。自分達が強制されてきた

  ので娘達は自由にやって欲しい。聞かれない限り教えない。

  実はうちの姑がこの典型例になるんでしょうか・・・・75歳だし。

   そして姑の「価値観のない価値観」が私とのあつれきを産んで来たわけです。

  つまり、小さい頃に戦争があり落ち着いた家庭環境やおいしい料理と無縁だった

  彼等は戦後、いきなりそれまでの価値観が覆ってしまい、とまどいつつも

  そこは昔の規範通りに結婚し家庭を持つわけですが、そこにはモデルケースがなく

  自分達で「ニューファミリー」を形成しなくてはならなかった。

 

  食の洋風化に伴い、冷凍食品やレトルトなどを使い、ハンバーグやミートボールに

   スパゲティ等、明治生まれ世代は知らない食生活を作り上げるわけです

   でも、それを次世代に伝えようとはしない。

   なぜなら「親子でも考えかはそれぞれ違うから強制しても意味がない」と考えるから。

   でも、本音を言えば「何が大事で何が悪いか否か・・その価値観がない」ので

   一生懸命にやって来た事に自信がないんじゃないかと

 

  私の両親は大正初期の生まれですから「家庭のあり方」とか「長幼の序」とか

   善悪については確固たる意志があり、子供に対すて「こうすべき」というような

   事はよく言ってました。

   その一方で大正デモクラシーの影響なのかわりとリベラルで男女平等派で今時の

   70代よりはずっととんでる人達でもありました

 

  私の母はお嬢様育ちで家事が大嫌いで苦手。ゆえに私が小さい頃から食事は

   全部お手伝いさん任せ。

   そのお手伝いさんがお年寄りなら和食しな食べられなくて、家庭的な人が来た

   小学校の高学年になって初めて手作りのコロッケやハンバーグの味を知った・・・

   という次第 (勿論、習った事ないし)

   母は一応お弁当も作ってくれた事はありましたけど、不得意で・・見た目も悪いし

   毎日同じものですから次第に嫌になって自分でパンを買うように

 

  その代わりと言ってはなんですが、とにかく仙台では食べられないようなものばかり

   食べさせられて来まして。すっかり贅沢のみ覚えたわけです。

   だから姑が手作りにこだわり、冷凍食品やレトルトを買ってうまく使えという意味が

   なかなか理解出来なかったんですよねーー

 

  「料理が苦手で嫌い」 → 「工夫して作ってみよう」に至るまで15年くらい

   かかったかも。

   子供が出来るとどうしても規則的な生活にならざるを得ないし、家族が増える程

   インスタントではコストがかかりすぎて割りに合わず、結局手作りにならざるを

   得ません。

 

 自分の体験から子供達には小さい頃から洗物をおしえ、料理をあれこ教えて来て

  特に姫は今はほとんどなんでも作れるんじゃないかしら

  ジュニアも包丁を持つ事に抵抗はなく、カレーくらいは作れるし。

  でも、そういう風に言うと舅や姑は「子供達が不憫だ」といいます。理由は

料理他家事は母親がやらなければならないのに、

それを子供達に強制するなんて。

子供をこきつかって自分達は楽をしたいんじゃないか」と。

ここが明治生まれと昭和ヒトケタの決定的違いでしょう・・・・

明治・大正生まれは「子供を産んで育てた以上、

親が楽して何が悪い。家事だって仕事だって早いうちから

手伝ったりするのは子として当然の務め」と思うから。

 

 番組の最後に「強制された過去があって自由を求める気持ちはわかるが

  最初からあなたは自由で何をしてもいいといわれても規範がないから困る。

  そこの所はきちんとした方が」というような意見もり、その通りでした

 

あの戦争がゆっくりと日本の家庭や食のあり方を崩壊させて来たんだなあと

思うと、考えさせられますね。

 

 

 

  

 

 

 

 

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