ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

エリザベート読本・ドキュメント タカラヅカいじめ裁判

2010-11-19 15:33:16 | つれづれ日記

ジブリの舞台 「思い出ぼろぼろ」に朝海ひかるが主役で決定、杜けあきも共演で

仙台コンビですねーー 菓匠 三全さーーん(萩の月の)ぜひ後援なさってーー

劇場でバンバン萩の月を売るっ

 

 エリザベート読本   (渡辺諒著・青弓社)

 

  ミュージカル「エリザベート」の作品論

  ウイーンからヨーロッパや日本で上演されている翻案論

  研究・資料の集大成

 

という事で、早速購入して読んでみました。

ミュージカル「エリザベート」は1992年にオーストリアのアン・デア・ウイーン

劇場で初演。

ミヒャエル・クンツェ脚本・歌詞

シルベスター・リーバイ作曲

日本ではオリジナルミュージカルを作っているのは宝塚くらいで、しかも短い

スパンの中でどんどん作品を出していっていますが、アメリカやヨーロッパでは

一つの作品に10年を費やすのが当たり前で、なぜそういう事が日本では出来ないか

というと、スタッフを養うことが出来ないから・・・だそうです

 

「エリザベート」もウイーンで誕生するまでには長い時間がかかっており、

初演では散々こきおろされたそうで、その点についてはびっくり

やがて宝塚の演出家である小池修一郎がウイーンでサントラを聞き、ぜひ日本で

上演を・・・と切り出し、そこで様々な改変を経て1996年に日本で上演

これが大好評をはくし、その後、その改変はウイーン版やオランダ版などに取り入れられ

今日に至る・・・・・という事のようです。

この本の素晴らしいのは、ウイーンオリジナル版を知らない私達日本人に

細かく脚本の解釈を教えてくれること。

(ウイーン版は字幕なしで見てたので正直歌の内容等はわからなかったです。

でも、宝塚版より遥かに退廃的というか、エリザベートの絶望感が漂って来る作品

でした)

日本での上演スタイルが普通だと思っていたら、実はそうではなく、各国によって

「エリザベート」の解釈は多々あり、しかもその度に演出が変わり、楽曲が変わり・・・と

なってきたこと。

こんなに変化するミュージカルは世界でも珍しいんじゃない

一重に脚本家と作曲家の懐の広さに感激するばかりですが、考えてみれば

国や民族によってミュージカルの解釈や共感する部分は違うのですから、変化して

当たり前  

むしろ完璧にコピー(どこの劇団とは言わないが)する方が変なのよね。

 

長い間、エリザベートを見てきて最大に疑問に感じること。それは

最初から最後までトートを拒否してきたエリザベートがなぜ暗殺によって

トートを愛する事が出来るのか」という事です。

初演の雪・星の時は一路・高嶺・花總、麻路・稔・白城の演技力で疑問にも思わなかった

のですが、花組版を見た時、あまりに春野トートと大鳥エリザが喧嘩ごしなので

ラストシーンに疑問を抱き、今に至っています

ウイーン版ではエリザベートとトートは鏡のような存在。ラストではエリザベートが

死に同化していく・・・というような形らしい。

「死」がつきまとっていたという事を示すために、ルードヴィヒや長女ゾフィ、妹の死を

次々見せていくという手法が取られていたそう。

でも宝塚版ではトートとエリザベートはフランツを含める三角関係の形を取ります。

黄泉の皇帝にも感情があり、エリザベートを死に誘い、フランツは生に繋ぎとめる

役割 その幕切れ一つをとってみても、できれば各国版を全部見てみたいという

衝動にかられます(CDは結構出てるけどね・・・)

それが叶わないので・・・・ぜひ一読を。

 

 ドキュメント タカラヅカいじめ事件  (山下教介著・鹿砦社)

 

出版社が「宝塚おっかけマップ」の鹿砦社という事で、果たしてどこまで信憑性が

あるんだろうか・・・と疑問に思われる方も多いと思いますが。

著者の山下教介氏はフォトライターであまり宝塚を知っている人ではないみたい

それだけに彼が書く「宝塚の掟」が異様なものに映るというか・・・

一般の感覚と宝塚・阪急の考え方は相容れないものがあるんだなあと実感しました。

 

この本のよい所は、原告であるSさんについて正直に書いてあること。決して美化

してはいません。また、時系列に書いてあり、本の終わりには裁判の流れも全部

載っていますので、非常にわかりやすいというか、「ああ、こういう事だったのjか」と

実感できます

 

Sさんは元々は東京出身。でもお父さんのお仕事の関係で盛岡に転校。

小さい頃からバレエを続けていて、それは盛岡でも続いていたと。

高校は進学校で成績もよくリーダーシップを取るタイプ。

そんな彼女が宝塚音楽学校に入ろうと思ったのは、友達に見せられたDVDの数々。

そこで受験を決意し、声楽は音大出の母親に習い、ヅカの有名受験スクールである

KIEの冬季コースを1週間受けただけで合格

(スクールでは「この子は絶対に受かる」と言われていたらしい)

 

でも、そこには10年も大金を払い、時間を使って宝塚を目指して来た子達が

沢山いたわけで

僅か1週間の冬季講習で受かったとなれば当然そこには色々な感情が。

 

不思議だったのは、盛岡では成績優秀で誰にでも好かれリーダーシップを取る

理想的な彼女が音楽学校に入った途端に「失敗ばかりの劣等生」に早代わり

していくこと。

事の起こりはSさんが広島の原爆で亡くなった園井恵子さんの法事に参加してくれと

地元のテレビ局に言われ、制服着用で薄化粧で、髪も男役風にはせず出席した所

それがネットで流れ同期生に見つかり学校側に言いつけられて反省文を書かされた

 確かに学校で無断で・・というのは間違っていたかもしれないけど、責任は本人

よりテレビ局側にあるのでは

その後は信じられないくらい、Sさんは失態を犯し、まるであり地獄に入ったように

その小さな失態が全部本人に「犯罪」として跳ね返って来て、最終的には退学に

なってしまうのですが。

元々は明るかった少女が環境の変化で僅か数ヶ月で判断能力を失ってしまうことに

驚きました。

かつて、香寿たつきや夢輝のあなどが音楽学校に入った時、毎日帰りたくて泣いていた

というような話をしていました

それは学校の規則の厳しさではなく、関西特有の「常識」「風習」が全く理解出来ない

からだったと思います

「何でこんな事までする」「何でこんな事にお金を使う?」みたいな感覚がついて回るのね。

園井さんの法事一つにしても、学校に「お伺い」を立てなかった事がこんなに

大事になるとは本人も親も盛岡のテレビ局も思わなかったに違いないし・・・・

 

また、不思議なのは通常、本科と予科で一部屋なのに、Sさんは同期の委員と

同室になってしまったこと 舎監に何度も訴えているのに誰もいじめを解決

しようとしなかったこと・・・これは認めたくないだろうけど、明らかに「東北蔑視」が

働いているんじゃないか

 

自首退学したWについても書かれています。まあ、ブログを公開した事がファンの

逆鱗に触れた・・・とあるけど、真実はそもそもWのブログにSさんの悪口が

書かれていて「こんな事かかれているよ」とさらされ、そして前後の内容を見たら

彼女の妹?のあられもない姿の写真を出していたことで・・・さらに怒りを買ったのは

彼女が善光寺宿坊のなんちゃらという家柄で、そういう馬鹿な事をやっても

一切のおとがめがなかったこと

あの当時はVISAや長野の教育委員会まで電話が入って、どうにもならなくなって

最終的に自首退学という事になったのです

 

無論、夢華あみが「メモカ」と呼ばれるようになったいきさつも書いてありますが、

音楽学校の事務長と雪組のプロデューサーは密接な関係があり、人事に大きな

影響を与える事が出来るらしく、それで夢華が雪に配属後、いきなり新人公演で

主役を張り、今回のジュリエットに繋がったんだなあ・・・・と

 

Sさんは耐えに耐え、でもただ一人信頼していた95期の上級生にも裏切られ、

ある日、突然退学を言い渡されてしまったという事です。

可哀相で仕方ありません

どうしているのかなあ・・・頑張って音大とかまたは四季とか・・そういう所で

花を咲かせて欲しいです。

とにかく時系列で書いてあるのでわかりやすいの一言です。

ぜひ一読を。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする