ふぶきの部屋

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愛子内親王殿下 22歳に

2023-12-01 10:40:00 | 皇室報道

 愛子内親王殿下 22歳の誕生日おめでとうございます 

今年は書陵部で撮影されたそうです。

学習院大学の切り札である愛子内親王は、書陵部で古文書を見るのがすき~~~な体

なぜジャケットを着ようと思ったのかな。ジャケットなしの方がいいんじゃない?

前ボタンが・・・私にはジャケットの丈が寸足らずに見えて。

明らかにこの白ジャケットはスーツの一部だよねって感じで。

お見合い写真のようですね。早くこれを各家に配って結婚を決めなくては。

 

愛子内親王殿下には、12月1日に満22歳のお誕生日をお迎えになります。

この一年のご活動を振り返りますと、今年4月に学習院大学文学部日本語日本文学科の4年生に進級され、新型コロナウイルス感染症の規制が徐々に緩和される中で、大学の多くの科目で対面授業が再開されたことを受け、今春から目白のキャンパスに足を運ばれて、対面で授業をお受けになるようになりました。

オンライン授業の間には味わうことのできなかった大学の活気を肌で感じられながら、日々の授業や課題に熱心に取り組んでいらっしゃいます。

授業では、平安、鎌倉、江戸、明治時代の物語や和歌を始めとする文学作品などを通して、それぞれの時代の思想や文学への学びを深めていらっしゃいます。

そのほか、福祉や体育の授業など、幅広い分野の授業を履修され、キャンパスでの学生生活を通して、様々な新しい経験を積んでいらっしゃいます。

ご友人との対面でのご交流も再び始まり、旧友との久しぶりの再会を心から喜ばれるとともに、新たな交友関係も広がり、ご友人とご一緒に学内の様々な場所を巡られるなど、残りわずかとなった大学生活を楽しんでいらっしゃるご様子です。

また、ご卒業に向けて卒業論文の執筆も始まり、時には放課後に、日本語日本文学科の閲覧室や書庫で資料を集められたり、図書館に立ち寄られたりされるなど、忙しい中にも充実した日々を送っていらっしゃいます。

日々の学業を優先されながらではありますが、両陛下とご一緒にお出ましになる機会が増えました。 昨年12月には、映画「Dr.コトー診療所」地域医療支援チャリティー上映会をご一家でご鑑賞になりました。

お三方で映画を鑑賞されるのは約3年ぶりとなりましたが、内親王殿下には映画を楽しまれると同時に、離島における地域医療の厳しい現状に理解を深められ、島の美しさや島民の結びつきの強さについても印象深くお感じになったご様子でした。

5月には、ウィーン少年合唱団の来日公演にご一家でお出ましになりました。新型コロナウイルス感染症の影響で4年ぶりの開催となったウィーン少年合唱団のコンサートで、満員の観客と共に、合唱団の少年たちの美しい歌声を堪能することがおできになったことを喜ばれ、コロナ禍を乗り越えて今回の公演を成し遂げた関係者の努力を労われました。

日本の伝統文化にも関心をお持ちになっており、5月と10月には、天皇陛下とご一緒に宮内庁楽部において雅楽演奏会をご鑑賞になりました。

大学で日本の伝統芸能の授業を履修されていた年もあり、その際に雅楽についても学ばれる機会があったことから、楽器や舞の所作などについての解説に時折質問を交えつつ耳を傾けられ、関心深くご鑑賞になりました。

9月には、第70回日本伝統工芸展にご一家でお出ましになりました。

お三方には、作品に用いられている素材や技法などについての説明をお聞きになりながら、受賞作品を中心に、美しい伝統工芸品をご覧になり、それぞれの作品の精巧な技術に感銘を受けられたご様子でした。

その際、日本工芸会の総裁でいらっしゃる佳子内親王殿下とも、作品についてのご感想などを楽しそうにお話しになっていらっしゃいました。

11月には、特別展「やまと絵-受け継がれる王朝の美-」(東京国立博物館)をご一家でご覧になりました。

作品についての解説を熱心にお聞きになり、一つ一つの展示について、構図や画法、また、描かれている内容などについてご質問になりながら、平安時代から室町時代にかけてのやまと絵作品をご鑑賞になりました。

大学の日本語日本文学科で学ばれている内親王殿下には、「源氏物語絵巻」夕霧や「紫式部日記絵巻」断簡といった、日本文学とも深い関わりのある貴重な国宝や重要文化財の数々を実際にご覧になり、絵の描かれた場面や構図、使われている絵具などについて、関心をお持ちになって尋ねていらっしゃいました。

日頃から福祉活動全般にご関心をお持ちの内親王殿下には、皇后陛下が名誉総裁をお務めになっている日本赤十字社が開催する全国赤十字大会や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式を前に行われたご進講に両陛下とご一緒にご出席になり、日本赤十字社の職員の方々の活動などについて、ご質問をなさりながら熱心にお聞きになりました。 10月には、ご一家で日本赤十字社本社をご訪問になり、企画展「関東大震災100年温故備震(おんこびしん)~故(ふる)きを温(たず)ね明日に備える~」をご覧になりました。

今年は関東大震災発生から100年の節目の年であり、お三方には、当時の日本赤十字社の救護活動を伝える今回の展示をご覧になって、理解を深めたいとのお気持ちからお出ましになりました。展示ご覧に先立ち、本社敷地内に建立されている殉職救護員慰霊碑にお三方でご供花をなさり、拝礼されました。

内親王殿下が公式の場でご供花をなさるのは初めてのことでしたが、ご所作などについて事前に天皇皇后両陛下にもお聞きになり、心を込めて臨まれました。

企画展では、関東大震災における日本赤十字社の救護活動の記録を展示する企画展の概要の説明をお受けになり、震災の被害の大きさに思いを巡らされているご様子でした。 その後、常設展に移動され、赤十字の誕生、日本赤十字社設立から関東大震災が起こるまでの活動をご覧になりました。

また、日本での赤十字社活動の初期に当時の皇后陛下(昭憲皇太后)が深く関わっておられたことを示す資料を説明者にご質問になりながら熱心にご覧になり、昭憲皇太后が果たされた役割の大きさを感慨深く思われているご様子でした。

次に、企画展「温故備震」において、関東大震災の救護活動の映像をご覧になるとともに、当時の医療器具・救護物資の展示を一つ一つ丁寧にご覧になりました。 企画展ご覧後には、現在の日本赤十字社で実際に使われている救護資機材の展示を、救護活動に従事した経験を持つ医師や看護師から説明をお受けになり、関心深くご覧になりました。東日本大震災や熊本地震の際に救護活動に使われたエアーテントや、その中に設置された診療ベッドや点滴台など、救護班が使用する医療資機材が機能的に収められている様子をご覧になりながら詳しく説明をお聞きになり、日本赤十字社の救護体制に感心されたご様子でした。

新年の諸行事として、3年ぶりに再開された一般参賀に初めてお出ましになりました

天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下お始め皇族殿下方とご一緒に、計6回お出ましになりました。

最初は緊張されたそうですが、徐々に場の雰囲気にも慣れてこられ、無事に終えられたことに安堵されていたご様子でした。

2月23日の天皇陛下のお誕生日の一般参賀も再開され、こちらにも3回お出ましになりました。参賀に見えられた方々に手を振られ、国民の皆さんとともにお祝いできたことをうれしく思っていらっしゃいます。

2023年は両陛下御即位5年・御成婚30年の年に当たり、5月には、御即位5年・御成婚30年記念特別展「新しい時代とともに-天皇皇后両陛下の歩み」を、ご一家でご覧になりました。

両陛下のご幼少期からご結婚、そして現在に至るまでの様々な場面をとらえたお写真や、お使いになったお品、お召物を、一つ一つじっくりとご覧になりました。

内親王殿下には、ご即位の際に各都道府県から献上された品々をご覧になった際、数々の伝統工芸品の美しさや技術の素晴らしさなどを楽しまれながら、各地の特徴ある伝統文化に思いを馳せておられるご様子でした。

ご自身が、今まで映像や写真などの資料でご覧になっていたものを実際に目の当たりにされて、興味深く思われたご様子でした。

また11月には、皇居三の丸尚蔵館において、「特別展示 御即位5年・御成婚30年記念 令和の御代を迎えて―天皇皇后両陛下が歩まれた30年」及び「皇居三の丸尚蔵館 開館記念展 皇室のみやび―受け継ぐ美―」を、ご一家でご覧になりました

特別展示では、新しくなった三の丸尚蔵館の建物や設備などについて担当者に質問をされながら、一つ一つのお品をゆっくりとご覧になり、思い出の品々がきれいに展示されているのをご覧になって、感慨深く思われたご様子でした。

次にご覧になった開館記念展では、「春日権現験記絵」をご覧になった際に、絵巻に描かれた牛車について天皇陛下から詳しく解説をお聞きになったり、表紙裂の修復の際に、上皇后陛下が紅葉山御養蚕所でお育てになった小石丸の糸が使われたことが話題になったりしました。

また、内親王殿下には、それぞれの絵や書が描かれた時代の文学を学ばれていたことなどからも、ご関心を持ってご鑑賞になりました。

9月には、皇族たる皇室会議の議員及びその予備議員の互選の立会人をお務めになりました。

投票も立会人のお務めも初めてのご経験でしたが、事前に次第やご所作などを両陛下にお聞きになりながら確認されて臨まれました。

お役目を無事に終えられ、安堵されると同時に、良いご経験になられたご様子でした。10月には、明年から伊勢神宮(皇大神宮)の神馬(しんめ)となる予定の「本勇号(もといさむごう)」を主馬班の厩舎にてご一家でご覧になり、お別れをなさいました。「本勇号」をやさしくお撫でになり、ニンジンをお与えになるなどして、慈しみの気持ちを持ってご一緒の時間を過ごされました。

そして、「本勇号」が、今後、神馬としての務めを元気に果たしていくことを願っておられます。

内親王殿下ご自身にとりまして、天皇皇后両陛下や上皇上皇后両陛下のこれまでのお歩みに触れられることや、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下、皇族殿下方とご一緒に様々な行事に出席されることは、皇室の歴史や伝統に触れられる良い機会となり、皇族としてのお務めについて、改めて思いを深くしていらっしゃるご様子です。

そして、天皇皇后両陛下、上皇上皇后両陛下に、常に温かくお見守りいただいていることに、深く感謝のお気持ちをお持ちになっていらっしゃいます。

この1年も、学業の状況を勘案しながら、宮中祭祀にお出ましになりました。昨年12月の大正天皇例祭から、今年に入り、元始祭、昭和天皇祭、春季皇霊祭・神殿祭、神武天皇祭、秋季皇霊祭・神殿祭、神嘗祭にご参列になり、心を込めてご拝礼になりました。

先の大戦や自然災害で亡くなられた多くの方々への追悼のお気持ちから、1月17日の阪神淡路大震災、3月11日の東日本大震災、6月23日の沖縄慰霊の日、8月の広島・長崎原爆の日、終戦記念日には、今年も黙祷をなさいました。

また、昨今毎年のように発生する豪雨等の自然災害の被害に遭われた方々にも、お心を寄せていらっしゃいます。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、令和元年以来ご静養はお控えになっていらっしゃいましたが、

今年は4月に栃木県の御料牧場へ、8月から9月にかけては那須御用邸附属邸にご一家でお出ましになり、ご滞在になりました

久しぶりに御所を離れてのご静養でゆっくりされ、懐かしい施設なども訪れられて地元の方々に温かくお迎えいただいたことを嬉しく思われるとともに、気持ちも新たにリフレッシュされたご様子でした。

御所におけるお過ごしでは、犬の「由莉」や猫の「みー」と「セブン」を始め、大切に飼われている動物たちのお世話を引き続きなさりながら、動物たちとの触れ合いを楽しんでいらっしゃいます。

また、今年も5月から6月頃にかけて、大学の授業の合間に、蚕の飼育をなさいました。卵からふ化して幼虫になり、繭を作って成虫になる過程を観察され、大事に飼育されていました。

皇后陛下のご養蚕の間には、天皇陛下とご一緒に紅葉山御養蚕所にお出ましになり、お三方でご一緒にご給桑や上蔟などの作業をなさる機会もありました。

また、お庭の畑で野菜の栽培を今年もなさいました。白菜、キュウリ、ナス、ピーマン、オクラ、獅子唐、落花生、バジルなどを楽しみながらお育てになり、収穫なさいました。

収穫された野菜は、ご家族でおいしく召し上がられたと伺っています。

お時間があるときには、両陛下とご一緒に皇居内を散策されたり、職員と一緒に屋外でテニス、バレーボールやバドミントンをされるなど、体を動かすことを楽しみにしていらっしゃいます。

この1年間、徐々に元どおりの生活が取り戻されつつある中で、愛子内親王殿下には、いろいろな方々に支えていただきながら、実り多い大学生活を送られるとともに、成年皇族としてのご経験を少しずつお積みになっていらっしゃいます。そのような中で、国民の皆さまから温かく見守っていただいていることに感謝をされながら、お健やかに22歳のお誕生日をお迎えになろうとしています

 

愛子内親王が成年皇族として今年も出来なかったこと

 伊勢神宮参拝

 武蔵野陵・武蔵野東陵参拝

 明治神宮参拝

 講書始の儀

 歌会始の儀

 午餐会、茶会出席

 単独公務

あげたらきりがない。書かれているように宮中祭祀に一生懸命に取り組むなら、まず自分がやるべきことを先になさいという感じ。

また、供花が初めて・・・というのもびっくり。広島へ行った時は修学旅行だったから見ただけか。いやいや、とにかく公務しないからこういう結果になるのであって、今まで供花した事がないというのは、結構恥ずかしい事ですよ。

1年間、両親、または陛下と一緒に鑑賞ばかりしてきた内親王。

4月からは大学院ですか?留学ですか?

学習院大に言っておきますが、コネで大学院に入れるのは間違いです。

そもそもが不登校で、多分卒論も書いてないんだし。陛下に代筆させるんじゃないの?

私としては、新年一般参賀で、また秋篠宮殿下を扇子でどかすような事はしないでねという事です。

 

考えてみれば本当に「お可哀想」あんなお母さまに育てられ、盛るだけ盛られて中身は空洞状態。

所作事の一つも出来ないお母さまより「ご優秀」になるのはきっと無理でしょうね。

 

コメント (13)
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秋篠宮殿下の記者会見で見えて来たもの

2023-12-01 07:00:00 | 皇室報道

 

今回の殿下の記者会見は、あまりにもぐずぐずと続く「佳子様別居による税金無駄遣い」バッシングに対する相対的な答えであると思います。

これ以上でもなくこれ以下でもない。

(それでもまだぐずぐず言うんだろうとは思うけど)

いわばこれで終わり、これ以上の難癖はつけるな・・・という話なのです。

今後、雑誌が騒いでも誰も何も発表しないと思いますのでマスコミは無駄な事はおやめなさい。

さて、この記者会見において、色々見えて来たもの、宮内庁がいかに口下手だった事がわかる部分があります。

 今回の改修というのは、その住まいの部分と、それから来客の応対をしたり、それから私たちが様々な打合せをしたりする場所、これを公室部分と呼んでいます。

そして、広義ではその二つを秋篠宮邸と言えると思います。

それにプラスして、役所の一組織である皇嗣職、それが加わった工事、改修でありました。それの新築部分若しくは増築部分というのは、最も大きかったのがお役所の部分、皇嗣職の部分で、これが66%でした。

そして、それから今度は公室部分、これはもう50年間、元の秩父宮邸ですけれども、50年間にわたって行われてこなくて、かなり老朽化した部分がありました。

それで、かなり引き延ばしていたんですけれども、それも、どうしてもせざるを得ないということで行ったものと、そこに、こちらが主として公的なものに関わる仕事をする場所というもの、それが大体30%弱ですね。

29%になるかな。そして住まいについて、5%ほどの増築をしたわけでございます。

 住まい部分改修 → 5%

  公室部分 → 30%

  皇嗣職などがいる役所部分 → 66%

です。先に西村長官が言ったのは「役所部分の改修がほとんどでした」という事で、具体的な%はなかったですね。

今回ははっきりと「プライベートな生活部分は5%」とおっしゃっています。

秋篠宮殿下は皇嗣・・つまり皇太子と同等の身分となられ、公務が増え使用人も増えた。彼らが活動する部分がない。想定していなかった。どうしよう。

 赤坂東邸を秋篠宮邸の一部にする、一体化させるという話などもありましたけれども、そういうのは、結局は今の共用殿邸としての形を残すべきだろうということから、そういう話がなくなったことなどを合わせて、やはり当初からの大きな変更というふうに考えたことから、6月の公表ということになったわけです。

 赤坂東邸を秋篠宮家の一部にする → 一度はそう考えた

 けれど、東邸は他の皇族も使えるようにしなければいけなくなって、だから当初の考え方とは計算が大きく変わって来たのだとおっしゃっています。

遅くなった理由はわかります。

 日々お忙しい秋篠宮殿下が、公務に加えて建設費用の事まで逐一目を配らなくてはいけないというのはワーキングオーバーであったこと。

 皇嗣職に主となってその問題への発表タイミングを計る人物がいなかったこと

皇嗣大夫は、バッシングに顔が青くなり、慌てて発表したのだと思います。いわば殿下の顔に泥を塗ってしまった事に罪悪感があったものと思います。

しかし、当初の西村長官はそんな皇嗣大夫に苦言を呈した。

だけど、誕生日の記者会見でいよいよ殿下がご自分の言葉で語る事を知って、慌てて長官が「公の部分の改修がほとんどでした」とは言わざるを得なくなったのです。

官僚が物事をはっきり言わず、出来ればスルーしようと思っていたけど、逆にバッシングがひどくなる一方で、殿下自ら乗り出された。

いわば総理大臣に言い訳させたようなものと思います。

それでも殿下が「自分がぐずぐずしていた」という絶妙な言葉で非を認めた事により、これ以上の追及は表向き出来なくなりました。

皇族が自ら泥をかぶることなどあってはいけないのです。

そうさせない為に宮内庁がいるのに、却って庇って貰う結果になった。

しかし、この問題の根本原因は何かといえば

 赤坂の東宮御所を上皇夫妻が占拠する。その事を回りが認めてしまったこと

この一言に尽きます。

「ぶっちゃけおたあさんとおもうさんが隠居所に籠ってくれたら、うちらも東宮御所に移って、水回りの改修だけで済んだのや。

けど、おたあさんは過去の栄光がわすれられへんのや。だからようわかんようになってしもうたおもうさんまで巻き込んで東宮御所に住むいわはった。子としてはもう何も言へへんのや」

って事です。

世が世ならば東宮さんと呼ばれ、かしずかれる身なのに狭い邸に押し込められた。内廷皇族から外された。そういう「不遇」が生みだしたもの。それが改修費用です。

 いずれはこの家から出ていくであろう、実際に一人はもうその前に結婚しているわけですけれども、娘たちの部屋をそこに用意すること自体がある意味無駄になるという考えからです

 一見、めちゃくちゃ冷たい言葉に思えてしまうのですが。眞子様はともかく、佳子様についても「いずれはこの家から出ていくであろう」と考えていると言う事は、つまりここに「女性宮家や女系はない」と明言なさっているのです。

 そうは言っても実際、佳子様はまだ結婚していないし、あと何年宮家にいるかわかりません。だから職員が済む場所に間借りさせる。これは親としては非常に心が痛む筈です。

当の佳子様は、すぐそばとはいえ独立した気分になれるし一人になれる時間もとれるので何とも思ってはいないでしょう。それに確かに「降嫁すれば一般人」になるんですから。

 22歳になる内親王といつまでも親子3人で行動している天皇家とは真逆の生き方ですが、男系を守る皇族として、また成人した子を持つ親としてそれは当然の事なのだろうと思います。

 バッシングと取れる報道とかSNSでの声についての感想、これはまず、なかなか感想を言うのは難しいなと思います。非常に極端なことを言っている人の割合というのは相当低いというのは私も知っていますけれども。

 マスコミがおかしいと思いました。

というか、意味不明な理不尽なむちゃくちゃなバッシング記事を垂れ流しているマスコミが殿下に「バッシングについてどう思いますか」と聞く事がおかしいのではないか。

「嫌に決まっているじゃないですか」と殿下が過去30年に渡る雑誌の内容を全てコピーして記者達に配り、「これを読んでどう思いますか」と逆に聞いてきたらどうします?

そういう事だってしようと思えば出来るんですよ。

でも、なさらないのが秋篠宮さまの優しい所なんだと思います。

その優しさが長女であり、もっともしっかりとされていた真面目な眞子様の心を砕いてしまった・・・というのもまた事実で。

宮家は眞子様を人身御供に出されてしまったのだと私は思います。

 似たような子を持つ親として申し上げますが、この「親の思い」と「子の思い」のすれ違いは永遠に埋まる事はないのかもと、時々絶望的になります。

特に紀子様にとっては、可愛い眞子様、小さい頃はあんなに明るく無邪気でよく笑っていた眞子様が心を閉ざしてしまうという状態は想像がつかなかったと思うのです。

日々、祈り「わが手に返して欲しい」と思うだけです。

眞子様の世代になると、あまり親の気持ちは考えず自分にばかり責任を押し付けてと思ったりするものです。

そうじゃないのに。

 悠仁殿下はお姉さま方を見ていますので、スルーする事が上手です。末っ子はいつもそうだなと。だけど早く眞子様との距離を縮めていかないと悠仁殿下が姉君を誤解するような事になるかもしれない。

そうあってはいけないと思っています。

 

この記者会見は、全て「殿下お願いします」と宮内庁が丸投げした問題を一人で収拾した優秀な皇族のお披露目と受け取っています。

 

 

コメント (4)
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