ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウィークリー

2024-04-14 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

4月5日・・・天皇陛下 → 通常業務

4月9日・・・ 両陛下 → 明治神宮参拝

4月10日・・・愛子内親王 → 明治神宮参拝

       天皇陛下 → 通常業務

4月11日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 

皇嗣家

4月6日・・・殿下・悠仁親王 → 玉川大学視察

      

妃殿下 → 「昭憲皇太后百十年祭記念国際シンポジウム「受け継がれし明治のドレス」聴講

4月7日・・・佳子内親王 → 「第25回記念全国高等学校女子硬式野球選抜大会」観戦

4月9日・・・両殿下 → 明治神宮参拝

4月10日・・・妃殿下 → 「圓照寺門跡山村御流いけばな展」を見る

 せめてなあ・・・愛子内親王だけでも勤労奉仕団に会釈すればいいのに。

そして、4月9日は上皇夫妻も明治神宮参拝

 

この姿を見て私は思いました。

平成の天皇退位に何の意義があったかと。

なかったんではないでしょうか。

「天皇の役割が果たせない」から退位したのではないでしょうか。

いくら認知症と言えど、足腰が弱っていても、このように明治神宮参拝が出来ると言う事はお元気ですよね。

上皇は毎月のようにハゼの研究に皇居に通っているというし。

弟の常陸宮殿下、妃殿下も現役で公務を続けていらっしゃいます。

ご本人達は、「令和6年まで生きる事は出来ないわ」とお思いだったのかもしれませんが、とんでもないこと。100歳過ぎても元気でいらっしゃる気がします。

なんせ今年の4月10日はスターサファイア婚だったんですしね。

 

そうなると、一体何の為の「退位」だったのでしょうか。

よく「秋篠宮家に皇統を受け継がせる為」との意見を聞きますが、実際どうですか?

「愛子様を天皇に」の声の方が高まっているではありませんか。

皇太子夫妻時代には、批判も多かったのに即位してからは「北の将軍様」のような扱いを受け、何でも「速報」

愛子内親王は動けば讃えられ、神々しいだの涙が出るだの。

週刊誌に踊る見出しを見る度、背中が寒くなる。(書いた人は恐らく見たくないでしょう。顔から火が出るくらいの嘘だから)

こんな時代にする為に、上皇はわざわざ「上皇」になったのなら、結果的に今上夫妻を神格化させる手助けをした事になります。

これが果たして予定通りなのかそうでないのか。

悠仁親王成人まであと少しの段階で「悠仁天皇より愛子天皇がみたい」などと雑誌に書かせること自体もう、狂ってるとしかいいようがありません。

 

判断能力に疑問があっても位にい続けて、皇太子を摂政にすべきでした。

そしたらまだましだったかもしれないと思うのです。

上皇・・・というより美智子さまの中で、これは予定内だったのか、予定外だったのか、ここまで今上らにほっておかれるとは思わなかったのでは。

今回の明治神宮参拝も、存在をアピールする為のものとしか思えないし、今年はとうとう正月から黙っている・・という沈黙している。

その沈黙を「招待してくれない」と被害者になりきって仙洞御所にいかないんですよね。

美智子様は何をしたかったわけ?

高輪では狭いと文句をつけ、秋篠宮家が入る予定の東宮御所を二人で占拠。

本来、東宮御所は国賓等を迎えるにふさわしい場所なのに、公にも使わせず、秋篠宮は相変わらず宮邸か赤坂東邸で公務をされています。

こんな意地悪、どこから思いつくのか私にはわかりません。

老害にも甚だしい。

上皇も上皇后も親としてあまりにも徳仁親王に甘過ぎました。

そして文仁親王と清子内親王に冷たすぎました。

「悪い姑」になりたくないばかりに、序列より皇太子妃優先が、今の雅子天皇状態を作った責任を取って頂きたい。

 

上皇陛下におかれては、東京裁判のトラウマがずっと心に残って、父君、昭和天皇と心を通わせることが出来なかった。亡くなるまでずっと。

そして自分の誕生日にA級戦犯が処刑されたという恨みつらみは全部父君に向けたのではありませんか。

ゆえに「このような皇室はなくせばいい」と思っていたのでは?

 

美智子様に洗脳され、「戦前の全否定」と長男至上主義に毒されてしまった。

せっかく秋篠宮家が40年ぶりに親王をあげて下さったのに。

眞子様の件でも本当の意味で眞子様の為にならない事をなさった。

本気で許せなくなってきましたよ。・・・・すでに昭和34年から皇室破壊は始まっいたんだと思うと、日本の崩壊も近いのかもしれません。

コメント (13)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする