今日は何の日?ふ・ふ・ふーーわっ♪
(おもいっきりテレビ風に歌って下さい)
6月23日は
「沖縄戦終結の日」
なんです。
あれから60年。体験者の方々が多くを語らなかったために
本当の「犠牲」がどんなものであったか、どんな思いを人々は抱いていたか・・なんて
戦争を知らない私達には中々伝わらないんですよね。
正直、昔は「沖縄戦」には興味がなかったの
育ったのが東北の田舎で、東北って何となく関東以南に比べると
戦争の悲惨体験に乏しいというか、あまり関心がないっていうか。
「仙台空襲」があった宮城県ですらそんな調子だから、「沖縄」も
「原爆」も遠い異国の出来事のように感じていたわけ
でも、映画「ひめゆりの塔」を見て、初めてその現実を知り、本を読み始めたんだよね。
それでも実際に沖縄出身の方に、「自分の祖父が・・祖母が・・」というような
話を聞くまでは現実感に乏しかったように思う
沖縄っていうと、みんな明るくててーげーで「なんくるないさ」と笑って吹き飛ばす
東北人には「憧れ」の気質を持っている土地柄だけど、
心の奥底には常に「悲しみ」を背負ってる
以前だけど、沖縄から東京に出て来た男性3人が、わざと方言で会話しているのを
見た事があるのね
沖縄の言葉って独特で、私達には外国語のようにしか聞こえないでしょう
すごく壁を感じたね
戦争の話になると、それはもうすごかった。
完璧に沖縄には沖縄にしかわからない「傷」があるんだって事が
それが世代を超えて継承してるのだという事がびんびん伝わって来て
その時初めて、彼らや彼らの先祖が体験してきた「沖縄戦」の悲惨さは
本土の人間には到底計り知れない苦しさをもたらした事実を感じたの
それはきっと「沖縄」だけじゃない
原爆も南方戦線も同じ。サハリンからの引き上げ船の悲劇も同様・・
これは決して言い訳ではなく
「侵略国である日本だから戦争の悲劇は体験していない」とか
「侵略国である日本だから原爆を落とされても沖縄で皆殺しにされても当然」
とは言えない筈
延々と「された事」を語れる人や国はまだいい。
でも、語る事そのものが傷になってしまい、激しい絶望と悲劇の記憶が
甦る恐怖に「何も語れなくなった、何も思い出せなくなった」人達の方が
どれほど苦しいだろうか
「あの日の出来事」を全て心に封印して、この世を去っていった多くの
日本人達。
「歴史認識」にこだわって「自国の悲劇」ばかり主張しないで
悲惨な体験や想像を絶する悲劇を「黙って耐えている」国民がいることを
もっと知って欲しいし、「靖国参拝」のような形式的なことに
目くじらを立てたり、象徴的に扱うよりも、本当の「体験」を聞き取って
言葉にして残す方が本当の意味での「平和教育」になるんじゃないかな
(おもいっきりテレビ風に歌って下さい)
6月23日は
「沖縄戦終結の日」
なんです。
あれから60年。体験者の方々が多くを語らなかったために
本当の「犠牲」がどんなものであったか、どんな思いを人々は抱いていたか・・なんて
戦争を知らない私達には中々伝わらないんですよね。
正直、昔は「沖縄戦」には興味がなかったの
育ったのが東北の田舎で、東北って何となく関東以南に比べると
戦争の悲惨体験に乏しいというか、あまり関心がないっていうか。
「仙台空襲」があった宮城県ですらそんな調子だから、「沖縄」も
「原爆」も遠い異国の出来事のように感じていたわけ
でも、映画「ひめゆりの塔」を見て、初めてその現実を知り、本を読み始めたんだよね。
それでも実際に沖縄出身の方に、「自分の祖父が・・祖母が・・」というような
話を聞くまでは現実感に乏しかったように思う
沖縄っていうと、みんな明るくててーげーで「なんくるないさ」と笑って吹き飛ばす
東北人には「憧れ」の気質を持っている土地柄だけど、
心の奥底には常に「悲しみ」を背負ってる
以前だけど、沖縄から東京に出て来た男性3人が、わざと方言で会話しているのを
見た事があるのね
沖縄の言葉って独特で、私達には外国語のようにしか聞こえないでしょう
すごく壁を感じたね
戦争の話になると、それはもうすごかった。
完璧に沖縄には沖縄にしかわからない「傷」があるんだって事が
それが世代を超えて継承してるのだという事がびんびん伝わって来て
その時初めて、彼らや彼らの先祖が体験してきた「沖縄戦」の悲惨さは
本土の人間には到底計り知れない苦しさをもたらした事実を感じたの
それはきっと「沖縄」だけじゃない
原爆も南方戦線も同じ。サハリンからの引き上げ船の悲劇も同様・・
これは決して言い訳ではなく
「侵略国である日本だから戦争の悲劇は体験していない」とか
「侵略国である日本だから原爆を落とされても沖縄で皆殺しにされても当然」
とは言えない筈
延々と「された事」を語れる人や国はまだいい。
でも、語る事そのものが傷になってしまい、激しい絶望と悲劇の記憶が
甦る恐怖に「何も語れなくなった、何も思い出せなくなった」人達の方が
どれほど苦しいだろうか
「あの日の出来事」を全て心に封印して、この世を去っていった多くの
日本人達。
「歴史認識」にこだわって「自国の悲劇」ばかり主張しないで
悲惨な体験や想像を絶する悲劇を「黙って耐えている」国民がいることを
もっと知って欲しいし、「靖国参拝」のような形式的なことに
目くじらを立てたり、象徴的に扱うよりも、本当の「体験」を聞き取って
言葉にして残す方が本当の意味での「平和教育」になるんじゃないかな